0泊1日の豊前中津城城攻めとその周辺探索紀行(前編) | 傷だらけのひろ太郎のブログ

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TUBEにサザン、ネコに旅行などテーマにしているものが好きな永遠のハタチのブログです♪

今年の1月2日に地元の名城の一つ中津城に行ってきましたー(^^)

今頃アップかい!という突っ込みはしないでくださいませ(^_^;)

 

中津城とは・・・豊前国中津(現在の大分県中津市二ノ丁)にあった日本の城。黒田孝高(如水)が築城し、細川忠興が完成させた。 大分県指定史跡。江戸時代の大半は、奥平家が居城としていた。(Wikiより一部抜粋)

 

有名なお城とはいえ、正月から城めぐりする人はいないだろうと思い行きましたが・・・駐車場が満車になるほどでした。後述もしますが、城内に神社がいくつもあるみたいです。

 

で、早速車を停めて散策開始~♪

 

 

 

駐車場で早速石垣がお出迎え(*≧∀≦*)

 

その上は土塁になっているようでした。

 

 

先ほどの案内図を無理やり頭に叩き込んで廻りました。

 

 

 

いい眺め~・:*:・(*´艸`*)ウットリ・:*:・

 

 

 

どこぞの風化した縄張り図とは違って見やすいですね。

 

堀に沿って西へ歩いていると生活道路っぽいトコに出ました。

いいのかなと思いつつ歩いていると

 

 

 

これまた立派な石垣が(*≧∀≦*)

 

近所に住んでいる人が羨ましい~。観光客でうるさいかもしれないけど。

 

少し歩くと

 

 

 

神社がいっぱいみえてきました。

 

 

なんかよくわからんけど、他の人が写真撮ってたのでつい撮ってしまいました(^^;

 

少し歩くと川沿いに出ました。福岡県との県境にある山国川です。

 

 

で、海(北)のほうに向かって歩いていると

 

 

 

細川黒田の石垣の境目があるとこはどこやねんと思いつつ散策を続けました。

 

 

 

川沿いの遊歩道がスロープになっているトコに出て石垣が途切れてしまったのでここじゃないのかなと思って天守閣側(南側)を振り向いてみると

 

 

 

 

やっと見つけましたヾ(*´∀`*)ノ

 

右側が黒田時代、左側が細川時代の石垣です。

 

 

 

軍師官兵衛、面白かったですね。

岡田准一さんは晩年の官兵衛を演じるためにスキンヘッドにしたとか。

本人も凄いけどよく事務所が許したなぁと思いました。

 

黒田と細川は石田三成襲撃の頃から関ヶ原あたりまでは仲はよかったけど、細川が豊前に入封して黒田が筑前に入封されてからは犬猿の仲になったみたいですね。黒田長政が豊前で徴収した年貢を作法を無視して全て筑前に持っていったことが原因だとか。で長政は細川に備え豊前との国境付近に益富城や鷹取山城、麻底良城らを構え、重臣をそれぞれの城主としたみたいです。重臣の一人後藤又兵衛は益富城城主を務めたが長政との関係がこじれ、出奔し細川を頼ったが、長政が家康に手をまわし細川家に召抱えられなかったとか。で、長政は家康に奉公構を発してもらい、又兵衛は浪人の身となったとかで。年貢の持ち逃げに関しては小早川秀秋も筑前から岡山に転封するとき筑前で徴収した年貢を持って行っているし。小早川秀秋って武功以外のエピソード多過ぎでしょw

 

それはさておき、また堀の周りをテコテコと探索しました。

 

 

 

 

 

定番のアングルで撮ってみましたが、パンフのように綺麗に撮れないですね。

 

 

お堀にいましたヽ(´▽`)/

 

で、本丸へ向かうトコがあったので本丸へ行きました。

 

 

 

 

極度の高所恐怖症なので天守閣には登りませんでした。

 

 

8の字を描くように3回輪っかをくぐってお参りするみたいです。

前日に大分市の春日神社に初詣したけど、面白そうだったのでくぐってお参りしました(^.^)

 

 

すぐ近くにあった自動販売機です。

お金を入れると「反対の手は何をしておる?」と言うかどうかは分かりませんw

関ヶ原直後家康と握手したことを報告した長政に言った言葉を勝手にパロってみました(笑)

 

後編に続きまーす。(後日アップ予定。予定日未定)