ある種の人々にとって、この社会は本来いるべき場所ではない。
客観的に、あるいは主観的に考えても、この世界において何の希望も幸せも得られない。

だが、百年河清を俟つのたとえにもあるように、あるいは吹雪の中でさえ一瞬青空がみえることが
あるように、人生に希望や幸福、つまりほかの人々のように人生を喜んで生きることができるかと
一瞬感じることがある。

もちろんこれは幻でしかない。日光浴をしようとあわって服を脱いでも、ただ風邪を引くだけである。
しかし、経験としてこのことを知っているわれわれは、これを奇貨として本来の道、当然必要な選択を
実現することができる。幸せな時期こそ、この世界から旅立つべきときなのである。
この一見矛盾した選択には、以下のような利点がある。

・人生の勝者、われわれの主人でありわれわれの自殺を妨害しようとする人々の目を避け、安全かつ
確実に実行することができる。
・「人は一時的な苦しみから自殺するのだ」という間違った認識を持つ人々、あるいは
生きていればいいことある教の信者から、自殺の本質を隠すことができる。
・社会として勝ち組のままで死ぬことができる。おそらく死後貼り付けにされることはないであろう。なぜなら
幸せな人々は自殺しないというのが彼らのテーゼなのだから。

われわれがこの人生に対して取る態度はひとつしかない。そして、われわれの誇るべき知恵は
一時的な幻覚にも決して惑わされないのである。