雪のトかし方4
追記したった
宮本えいだい
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雪のトかし方
宮本えいだい
4
──12月、終わりと始まる。冷たい鼻先、いそいそ……
体育館に集まる、そぞろ気な生徒たち。
期末試験を終え、終業式を間近に控えた私たちはムズムズとしてどこか落ち着かない。
2学期末の生徒総会。
1月から始まる新生徒会選挙の立候補、選挙活動、投票等の説明が主な目的である。
会長の掛橋が演台に立った時だった。
体育館の天井の四方から、振動する昆虫の羽のような音が響いた。
ざわめくフロアから見上げた宙(そら)に、無数の紙が舞っていた。
水銀灯の明かりに揺れる灰色の影は、まるで散って行く華弁(かべん)の様に──
私の足元にも墜ちたA5サイズの用紙。そこには掛橋の姿が写し出されていた……
"あの時"のイエローのゴシック文字と共に。
やられた──
いや、やってしまった。私が掛橋を誘ったせいだ。
『生徒会、黒い献金流用の瞬間!』
『高級ブランドを買い占めか!?』
誕生日の日に一緒に回ったブランドのお店。
そこでアクセサリーや服、バッグを試着している時の写真。
その中に、お揃いで買ったネックレスの写真もモノクロの背景の一つになっていた。
隣にいる筈の私の姿は、それとは分からないように切り取られていた。
未だ天井から降り注ぐ灰色の紙。それを見上げて私は只、立ち尽くした。
「──さん!清宮さん!」掴(つか)まれた両腕を誰かに揺らされた。
「北……川?」
「しっかりしてください!今、あなたが折れていてはいけません!」潤んで赤くなった瞳が、真っ直ぐ私に訴えていた。
頷(うなづ)く私は北川と、掛橋の所へと急いだ。
混乱したフロアの生徒にぶつかりながら、やっとの思いで壇上へと辿(たど)り着く。
演壇(えんだん)で掛橋は小さく蹲(うずくま)り、肩を震わせていた。壇上(ここ)にもモノクロの紙は降ってきていた。
「掛橋っ……立て、しっかりしろ!」
私は掛橋の肩を抱えて立つ。
ゴシップに沸き上がる生徒たち。それを収(おさ)めようと先生らが声を上げる。混沌としているフロア。
あの日の北川の言葉が脳裏を過(よぎ)る。
愉快犯──
この中に犯人がいるかもしれない……
軽蔑や好奇が入り混じった何百の目を、私は睨(にら)み返す。
「掛橋、清宮!大丈夫か?!」白石先生だった。先生の顔を見た途端、私の中で張り詰めていたものが弛(ゆる)み出した。
瞼(まぶた)から零れるものを堪(こら)えようと、宙を見上げる。
視界が映した体育館の2階の窓。
そこから入る穏やかな太陽光線に潜(ひそ)んだ反射光。
教室棟の屋上でチカッと何かが光った。
人──?
込み上げ弾けた電気ショックと共に、これまでの事が脳裏で高速になって巻き戻された。
「先生!掛橋を頼みます!!」白石先生に掛橋をお願いし、壇の上から駆け下りる。
勢いの間々に教員と生徒が入り乱れる波を掻き分け、体育館の出口へと走った。
飛び出した扉の外は、静まり返った校内。
逃がさない
私は全速力で教室棟に向かう廊下を走った──
──掛橋?」白石が抱えていた腕から、掛橋の体がするりと抜け出していた。
未(いま)だ混乱収まらぬフロアは、マイクスイッチの入る音を掻き消していく。
「皆さん、聞いてください──」
その声は叫ぶ訳でなく、悲痛に訴える訳でもない。
真綿よりも白く純粋で、濁(にご)りの無い透明な声。
それでいても感覚を惹き付ける存在感。
壇上に近い列から遠くに向かい、波が引いて行くようにフロアが静まり返る。
「これに書かれている献金はありません。写真は友人と買い物をしていた時のものです。私は中学の頃に──」
──ふぅ……
北側教室棟、屋上へと出る扉。普段は出入禁止の為、鍵が掛かっている。
吐く息の音を消して、私はゆっくりと扉のノブを回した。
吹き込んで来た風が髪を揺らした。
屋上の端、立てた三脚から体育館へと向けた望遠カメラを覗き込む作業着の人物。
焦燥(しょうそう)した様子で、ぶつぶつと文句を垂れ流す。
「おい!──」
私の声に、驚いた猫の如(ごと)く飛び上がった相手は、三脚に足を取られて這(は)うように転げた。
見上げた男と視線がぶつかる。
見覚えのある顔──深く被ったフードと前髪で隠れる眼光……
「お前は──!」
這い出して、屋上の扉に向かおうとする男。
「逃がさない!!」広げた私の両手が行く手を阻んだ。
その瞬間、男が雄叫(おたけ)びと共に突進して来る。
神経反射で取った構え。
沈む体勢、左足の爪先がくるりと体の内側へ向かう。
右足に傾いた身体、斜めに掛かかった重心。
螺(ねじ)を巻いた上半身は、全ての反動を振り上げる右足へ──
「──そのことがあって、また私は元に戻っていました。あの時のように言われるのが恐かったから。でも、もう戻りたくない……」
それまで澄んでいた掛橋の言葉が、雫の落ちた水面の様に波を作った。
「理不尽なことを理不尽だと。間違っていることは間違っていると言える人のように。私もなりたいです……
だから皆さん……信じてください。お金なんて受け取っていません。宜しく、……宜しくお願いします!」
水を打ったように静まり返っている体育館。
深々と頭を下げた掛橋に、声援と拍手が一斉に起こりフロアに渦を巻くのだった。
翌日、生徒会室には掛橋以外の役員全員が集まっていた。
"あの男"は、掛橋が中学生の頃にも付き纏(まと)っていて警察沙汰になったそうだ。
その時に学校で、ありもしない噂が立ち、掛橋は一時休学するほど迄に追い詰められていた。
警察の事情聴取の時に分かったことだが、募金活動の時にお金を渡してきた相手が、付き纏われていた男だと掛橋は気が付いていたと言う。
男は未だ取り調べ中とのことだが、今回の一連の事件について犯行を認めているそうだ。
その日の放課後、私は掛橋と変わらず生徒会の業務をしていた。時計は既に夕方の6時を回っている。
大方片付いた作業に、私は手持ち無沙汰になっていた。
横目が会長席で黙々と作業をする掛橋を映す。
酷(ひど)く喧嘩をした訳ではないし、明白(あからさま)に避けられていると言う訳でもない。
だけど、この部屋で問答したあの日から確かにある掛橋との距離……
私はまたチラリと掛橋の様子を伺(うかが)った。
「清宮さん──」
不意な呼び掛けに、声を裏返らせた私は咳払いに喉を鳴らした。
「ごめんなさい……私、始業式の日から清宮さんのことを──」
目一杯の誠意が込められた掛橋からの言葉。
彼女の一言は、変わる筈のないこの世界で、私の全てを変えていった。
「"レイちゃん"て呼んでよ……私の方こそ、ごめんなさい」深々と頭を下げる。
「ありがと。レイちゃん……」
見上げた視界で、少し疲れた様子の掛橋が微笑んでいた。
「あーぁ、私って本当に薄情で冷たくて、嫌な奴だよなぁ……」椅子に体を預けて、掛橋が宙を仰(あお)いだ。
「そんなことない!」前のめりに立ち上がる私を見て、彼女は微笑みながら呟く。
「レイちゃんは、私が何て言われているか知ってる?」
どう言葉を返すべきか迷った私の口は、只閉じられた間々だった。
望みもしないのに聞こえて来る話。
それは、往々にして耳を塞ぎたくなる言葉。
私の様子を察した掛橋は少し寂しそうに話を続けた。
「『強迫を覚える潔白(けっぱく)、息の詰まる模範生徒。公平でいて誰にも気を留めない。近付こうとすれば冷たく流れされる』
──それを皮肉って"白雪(しらゆき)様"だって……」
掛橋を妬(ねた)んで一部の生徒が言ったことだった。
掛橋、あなたは今だって皆の──
「……レイちゃん、レイちゃんは皆から自分が何て言われているか知ってる?」
「……」
「"太陽スマイル──"明るくて、温かくて。
レイちゃんは皆の太陽なんだって」まるで、自分のことの様に嬉しそうに笑う掛橋。
「掛橋……」
言葉に詰まる私の視線は生徒会室の中を泳ぐ。
留まったのは生成(きなり)の壁に掛かった黒い窓。
雪だ──
銀縁で漆黒を切り取った枠の中で、小さな白い花びらが舞っていた。
私は思わず立ち上がり掛橋の手を取る。
「行こう──」戸惑う彼女の手を引き、私は駆け出した。
生徒会室がある管理棟を出ると、教室棟に繋がる渡り廊下がある。
その渡り廊下と2つの棟に挟まれた小さな中庭。
疎(まば)らな庭園灯の周りで、降り続いている雪がオレンジの光を反射していた。
息を切らせ、未だ呆気(あっけ)に取られている掛橋を余所(よそ)に、一人中庭へと私は飛び出した。
見上げた暗闇から、花びらは絶え間なく降り注いでいた。
どこまでも真っ黒に続く空。
そこに一人で浮かぶ白い月は、この小さな世界の私たちを見守っている様だった。
渡り廊下に降ろした瞳。
白い息を吐(つ)いてこちらを見詰める掛橋が映った。
「掛橋、私ね。太陽じゃなくて月が良い!」生徒の居なくなった教室棟に響いた声。
「雪を溶かす太陽じゃなくて、空から降りる雪を優しく照らす月!」
「私、あなたに重ねてたんだ……理想の自分、生徒会長になった自分を。
だから嫌だったの。
理不尽な事にも耐えて、立ち向かって行かないあなたが……でもそれは違ってた。
あなたは……掛橋は、掛橋の戦いをしてたのに。
それを私は自分とは違うからって……私、私は……」
俯(うつむ)き袖で顔を拭(ぬぐ)った。
きっと寒さのせいだろう。袖を掴む指が、背中が震えていた。
私の溺れた視界が映したのは、芝生の上に咲いた雪花(ゆきはな)。
そして彼女の靴の爪先。
見上げた顔が、頬を赤く染めた掛橋と向き合った。
笑った瞳、ぽつりと雫が白い花に落ちた
──もう、大丈夫だよ。レイちゃん
回される細い腕に私を預ける
トかした雪はきっと、この頬に伝う温もりなのだろう。
雪のトかし方/おわり