🔖夢見羽は絵空に焦がされ《壱》
肩を落とした未央奈が下りのエレベーターに乗り込む。
あれから三日が経つ。
万理華は集中治療室に入ったままだ。看護師さんから容態を聞くが、一命は取り留めているものの深刻な状態は続いていると言う…。
動き出さないエレベーターに『ぁ…』と小さく声を漏らした少女は、帰る先のボタンを押した。
ガシャン…と、大きく音を立てて動き出す。空気の籠った箱に響くモーター音に、未央奈の記憶は巻き戻されていく。
揺れる視界の中で橙色(とうしょく)に照らされる悪魔の顔。
向けられる二つの銃口から、抗うことのできない死の感覚が植えつけられた。
それを遮る勇ましい背中。
(守られてしまった…戦うこともできずに…)
(重傷だった万理華の背中の後ろで、私は脅えることしか…)
月下に映った勇ましく美しい二人の姿が、同じ銃口を前にそれを圧倒する戦士が、勇敢に燃える背中が、未央奈の瞳の先で濁り墨色(すみいろ)に溶かされていった。
ダァン!!と箱の中に鈍い音が響く。
力の限りで打ちつけた腕は、痛みでは無く空しさを未央奈に連れて来るのだった――
――副長席の椅子に身体を預ける奈々未が長めの息を流す。
今日は眉に寄った節目を気にする余裕は無いようだ。
見つめているのは、沙友理から麻衣と自分に送られて着たメール。
『インフルエンザになっちゃった。しばらく休むね。ゴメン』
いつもは騒々しい文章の沙友理らしからぬ短文。過剰な絵文字も姿を消している。
(未だ十月になる前だぞ…全く…)
昨日の麻衣との衝突で…否、先日の商業ビルの裏組織拿捕(だほ)の任務。その報告の時から沙友理の様子には気づいていた。
かつての悔恨(かいこん)が創り出した仲間からの復讐。それを取り巻く黒尽くめの仮面ら。悪魔の仮面をした敵は、沙友理の攻撃を止めるほどの者…。
やっと掴もうとした細光の前に、重く分厚い壁が幾重にも覆いかぶさるような…奈々未はまた溜め息をつく。
「まるで恋人に離別された彼女だな…」
ここ最近は珍しくない奈々未の困り顔を、揶揄(からか)い微笑む麻衣は、局長席に音を上げて座り背もたれに寄り掛かる。
麻衣が部屋に入って来たことにも気づかなかった奈々未。
沙友理のことで随分と思い詰めている自分に気付かされる。
「…相変わらず鉄のような心だな…。そんなのでは、恋人すら現れないぞ」
流した瞳で嘲笑(ちょうしょう)を向ける奈々未。
息を吸い両肩を持ち上げた麻衣が、瞳孔を開く。
「あー!ひどいなーっ!こっちは奈々未の、重ぉーい失恋の空気を軽くしようとしてるのに…」
翠緑(すいりょく)が射す奈々未の瞳が丸くなる。
「なっ…なんで私が振られたことになってんの!?ぃや、付き合ってないから!…ぇ?何この話…」
動揺する奈々未を見る麻衣に、悪戯な影が落ちる。
「ほぅ…それは何ですか?これから付き合うと言うことですか??」
「なぁーんで、そうなるのかな…?この、古流恋愛妄想姫女子…」
遣り返す奈々未の言葉を、部屋の入口側から飛んで来た咳払いが遮った。
二人の視線が部屋のソファへと注がれる。目差しを両手で開いた漫画に向けた七瀬が、静かに頁(ページ)を捲る。
「沙友理さんなら大丈夫です。なな、沙友理さんに【コードギアシュ】の単行本、全巻借りたままですから…戻ってきます。絶対…」
手元から離れた七瀬の真剣な瞳が、二人を見据えていた。
(…あしゅ?)
首を傾けた奈々未。
瞬きを繰り返した麻衣に、七瀬は深く頷いて視線を漫画本に戻した。
七瀬から視線を逸らされた二人は我に返る。小さく咳払いをする奈々未が、口を開いた。
「沙友理が居ない間も上からの指令は有り得る。それに…今回拿捕(だほ)した奴等から、例の組織の足取りが掴めると思うんだ…」
奈々未の言葉の間に少し時間ができる。
「私も覚悟を決めたよ、麻衣。…未央奈を含め、能力の覚醒が見込める隊員の力を借りる」
奈々未へと向けていた麻衣の瞳が一瞬鋭くなった。
シューティングレンジで話をした時から、奈々未の情調に薄々気がついていた。それはフロント、セレクトであれば誰にも過ぎる思い。
広げた無垢な掌に、野卑(やひ)に落とされていく赤と黒の濁り。
度を重ねては節目まで浸み込み広がり、混濁を繰り返すそれは、拭おうとしても徐々に元の色を分からなくする。
そうなるのは自分たちだけで十分だ…。迂遠(うえん)だと分かっていても、何度となくこの思いに苛まれる。
『…そうか』と、一旦視線を宙に泳がせる麻衣。奈々未に戻す眉を上げた瞳は、得意気に伝えた。
「それならもう、頼んであるんだ…」
麻衣の薄い笑みが、奈々未に向けられるのだった――
――乃木坂学園の正門に、丸い瞳を付けた赤色の外国産車が映える。
運転席から降りる柔らかな脚線美から、パステルピンクのパンプスが、コツリと音を立てた。
悪戯な色の無い風に、セミロングの髪が靡いていく。
「うわぁー…懐かしいなぁ…」
黒髪を押さえながら、学舎を見上げる女性。
涙袋に浮かぶ愛らしく丸い呂色(ろいろ)の瞳。淡いピンクのジャケットに真白のワンピースが裾を揺らしている。
あどけなさを残す面差しは、その瞳を潤ませていた。
「…ぁ、何一人で感傷に浸ってるんだろ…やばっ」
胸元で緩くカールした髪を直しながら歩き出した彼女。
未央奈たちに覚醒への試練が訪れる――
―夢見羽は絵空に焦がされ・続く🔖―
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eidaman