教育問題を考える…馬鹿とは何なのか!! | ショーエイのアタックまんがーワン

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タッグチームLiberteenの漫画キャラクター・ショーエイが届ける、笑えるブログ・ショーエイの小言です。宜しくお願いします。

どうも…ショーエイです。

世の中には大きく2つに分けて、

文系と理系という分類で語られます。

一般的には数学が得意な人が理系、

数学が苦手な人が文系の様な意味で考えられがちです。

 

実はこれ…根本的に間違っているのです。

 

オブラートに包んだ言い方をすれば…

理系は合理的な理解を求めて思考するタイプで、

文系は手早く解決を吸収したいタイプ。

いわば理系は自分であらゆることを合理的に解釈して

初めて理解するタイプで、

文系は合理性より手順を学んで自分の技術と出来るタイプです。

 

まあ、文系の人の方がせっかちで、

いわば「考えるな!!覚えろ!!」

と、機械的に動く人間を生み出す…

いい形の表現で言うなれば育てるなのですが、

そういう人間を作る事は早いわけです。

 

ある意味、合理的な考えとして社会を見れば、

一から自分で思考して最良の手順を考えるより、

既にある最良の手順を学ぶ方が、

時間的には大きく短縮されるわけです。

 

簡単な例で伝えるなら、

IKEAで買った家具を組み立てるのに、

組み立て図いわばマニュアルを読んで、

その手順の通り組み立てる方が間違いなく

手早く組み立てられるわけで、

それを読まずに組み立てようとする方が

遥かに効率悪いわけです。

と!!まあ文系を少し立てた意味で伝えてますが、

さすがに合理的思考で考える人なら、

臨機応変に対応する訳で、

態々パズルを楽しむような時間を省く方法位は気付きます。

 

文系の人の自尊心を傷つけないレベルで伝えるなら、

覚える、学ぶ方が生活の知恵を身に着ける意味では、

効率が良いと言えますが、

現代社会の民主制という政治システムでは、

誰かに従うだけの従順な忠犬では、

その飼い主のためにただ吠えるだけのペットを

育てているだけの社会に成るのです。

勿論、文系の人たちも色々思考してます。

しかし彼らの思考は合理的な思考では無く、

より良いものを選別する思考なのです。

 

携帯電話を例に言えば、

アップル社のアイフォン(i Phone)を選ぶ人が多く居ます。

何故アイフォンが良いのか?

機能性、操作性、PCを含むアップル社製品との連動制など、

色々と利便性の面で伝わる話も多くありますが、

殆どの人は感覚的に宣伝された話を理解しているだけで、

実際の技術的な所は、高度な技術知識が無い限り、

全く理解していません。

アンドロイド・フォンとどれほど差があるか、

一般仕様上では解らないレベルで、

アイフォンが良いものだと決めつけているに過ぎないのです。

企業的裏知識の話をすれば、

グラフィックボードで有名なNVIDIAの方が、

アップル社より既に技術的な評価が高いわけで、

半導体の話では、TSMC無しでは語れないのが、

現時点の主流です。

これらはアップル独占の企業では無いです。

なので…別段、アップル製だからという部分に

技術的説得力は有りません。

利便性の面でも、ソフトウェアはWindows OSと、

アップルOSの両方で共有されるのが当然で、

それに携帯OSのアンドロイドも加わった話に成ります。

 

合理的に思考する人は、

技術的な差異で語る事を寧ろ恥ずかしいと考えます。

その上でアイフォンを使っている人は、

デザイン性とか、長年使ってきた理由から

OSのUIいわば操作性にそっちの方が慣れているから、

アイフォンを使い続けているという訳です。

僕の場合、アンドロイドを使っていますが、

同じソニー製のエクスペリアにする理由は、

UIの操作性が慣れ親しんだ形だからで、

アイフォンに興味が無いのは、

何かあった際、壊れたときに

面倒なアイフォンショップに予約を入れて

対応して貰わなければ成らない部分で、

携帯ショップに気軽に足を運んで対応してもらうサービスとは

違う面が有るからです。

まあ、電話対応などで

どちらも処理できるサービスは有るのでしょうが、

最悪、数少ないアイフォンショップより、

駅前に行けば大体存在する携帯キャリアーのショップの方が、

遥かに利便性がいいという判断です。

 

さて、文系の思考を馬鹿と蔑む形で表現しましたが、

実はコレ、暴言でも何でもない事実なのです。

この「馬鹿」と英語のSTUPIDの意味で理解すれば、

文系の人は言葉通り馬鹿にされたという感じに成りますが、

中国の故事の「馬鹿」の意味で伝えるなら、

本当に「馬鹿」な話なのです。

 

馬鹿の故事は、中国の秦王朝の時代の話で、

漫画キングダムで有名な政が死んだ直後の話から来ています。

政こと始皇帝が死んで、

その側役として仕えた宦官趙高が実権を握り

自らの影響力を秦の臣下に試すため、

馬を用いて鹿だと言い、

誰もにそれを鹿と認めさせた話から来ています。

ある意味、パワハラの話なのですが、

そういう部分で「馬鹿」の故事を理解するなら、

パワハラに屈して社畜になる事を

「馬鹿」というか形でも表現できます。

ただし、現代までに理解されている「馬鹿」の表現、

いわば人として見下す意味を、

寧ろ哲学的に考えると、

 

動物学的に認識された

馬(サラブレッド)と鹿(二ホンジカ)の区別は、

さすがに誰でも区別できるので例えにするのは難しいが、

科学的にはウマ科として認識されるべき新種を、

著名な動物学者がこれはシカ科であると言ったら、

一般の人はシカ科だと認識してしまうという話で伝えられます。

ある意味、見た目は魚と大差のないシャチやイルカが、

魚類では無く哺乳類である事は誰もが知っているところでしょうが、

新種のイルカを見せられて科学的な解説無く、

これはサメだと伝えられたら

それをサメだと信じてしまう感じの話です。

 

こういう意味で文系は馬鹿なのです。

動物の様にまだ見た目や生態で判別できるならともかく、

政治や宗教、哲学、または定説でない学説も含む話ですが、

可視化できない表現上のものは、

合理的な解釈はハードルが高すぎて、

個々の価値観の選別に依存されてしまうわけです。

この有名な話が、「天動説と地動説」です。

 

こういう意味で特に日本人に馬鹿が多いのは、

実は天動説と地動説の教訓を

日本では全く伝えていないからなのです。

天動説と地動説の歴史的な話は、

日本人の多くが知識として知っているところでしょう。

でも、これが科学の教訓として伝えられる部分は

全く理解されてません。

まあ、最近ではもしかしたら欧米でも

習ってない可能性があるのですが、

定説か仮説かを見極める事の大切さが伝わらなければ、

天動説と地動説の話を知っていても

意味が無いと言う事です。

屁理屈こねて今は天動説も地動説も正しいなんて話は、

本来の趣旨から外れた話なのでどうでもいいことして

一応は伝えておきます。

 

いわば文系の人が陥りがちな著名な本を読んで、

それが正しいと信じてしまうのは、

中国の故事に伝わる「馬鹿」と同じで、

天動説と信じていた時代の大衆と同程度という事です。

 

馬鹿の故事の元ネタの宦官趙高の話ですら、

史記などから伝わる宦官趙高として、

僕自身も勝手に馬鹿な感じでイメージしていた訳ですが、

WIKIで調べると宦官では無かったという説や、

実際は「馬鹿」の故事に有る出来事0は作り話だという説や、

趙高は宦官じゃなく臣下だったとか、

仙人の様な賢人だったとか、

色々な説があるのも事実ですが、

どの説も「仮説」でしかない事と、

哲学として「馬鹿」の故事は、

現代社会にも残しておくべき話と言う観点で、

伝えておくべきと考えるわけです。

 

まあ、自分の駒として使う場合、

余計な事を考えずに言いつけ通り守ってくれる人の方が、

扱いやすいと考えるのは当然でしょうが、

馬鹿ほど自分に心地よい言葉に流されがちで、

現実的な本質を理解することなく、

ただ心惹かれたその人物の為に吠える犬に成ってしまうのです。

これが民主制を悪い形に導いてしまう作用でも有ります。

多くの人は

ヒトラーみたいな奴に投票するなんて考えられない

と、考えるでしょう。

でもヒトラーは民主主義の中から誕生しているのです。

そういう危機感すら無いのが殆どで、

いわば大衆の殆どが、

騙されやすいのではなく、

根拠のない心地よい言葉に流されやすい馬鹿だと言う

自覚が全くないのです。

平和という言葉、安全保障という言葉、

結局はどういう形が平和で安全なのかを知る事も無く、

敵を産み出して敵対関係を増幅させる流れに、

心地よさを抱いてしまい、

結局は取り返しのつかない形で、

その心地よく聞こえた言葉とは逆の現実に直面する訳です。

心地よく聞こえる言葉を発している人間は、

心地よく聞こえる言葉を使いこなしているだけで、

本当は何も理解していない「無知」であることを、

「馬鹿」に陥る人見抜けないのです。

 

これらは「考えるな!!覚えろ!!」

という教育と言うより調教の効率化から生まれる弊害で、

例えるなら

ゲームで遊ぶ姿勢すら攻略法に依存する

達成感だけで満足する人間を作り出しているのと同じなのです。

寧ろ考えるだけ時間の無駄という、

一見効率的な社会風潮が蔓延している状態です。

教育を考えるべき政治や政府の機関が、

こうした思考で汚染されているため、

ほぼ末期症状で手の施しようがないのが日本です。

 

さて・・・ここまで話しても、

共感する意味で理解された方は居るとは思いますが、

まだその人にとって

心地よく聞こえる程度の領域を抜けてはいません。

確かに日本の教育は間違っている、

確かに文系は考えていない人が多いと、

共感を与える程度の話です。

 

では考える事の大切さとどういう教育であるべきかを伝えねば、

本来、何の説得力も無いわけです。

考えない人が多い中での会議では、

独自のアイデアは基本的に認められません。

また前例のない話は、

どれだけ言葉を尽くして説明しても、

論理的な理解力の無い相手の中では、

全く理解できない領域に成るのです。

その為、新しい発想が生まれにくい社会に成ってしまうのです。

心地よい言葉で「イノベーション」なんて文言が飛び交っていますが、

日本ではイノベーションに前例を用いて説得するような話で、

結局、前例がある類似の発想でしか着手できないのです。

それ故にメタヴァースにしても、AIにしても、

結局は海外の失敗事を真似て、

的外れな方向で進むだけなのです。

そもそもAIの発想が

情報学習のデータ量とその正確な分別だけを競う発想自体、

既に海外の技術を模倣しているだけで、

思考するAIではなく便利な百科事典化するだけの話なのです。

日本の教育弊害同様に、

知能と知識の分別が出来ていない時点で、

全く呆れる話で、

寧ろ自動運転技術の研究の方が、

実はAI研究に近いのです。

 

科学的に考える世界の中では、

前例は失敗例を分析する為のものです。

成功例は既に研究対象から外すものです。

また文系は仮説と定説の分別なく、

全てを定説だと思い込む。

先ず教育として最低でもこの違いは教えなければ成りません。

園主率が3か3.14かはどうでも良い話で、

むしろ円周率がどういう計算またはどういう形で、

その定数が求められるのかを一応教えるべきです。

いわば数学を知識で教える前に、

数学をする楽しさを教えて興味を惹かなければ、

数学を学ぶ意義を感じない訳です。

円周率を適切に考える形で学ぶと、

実は3.14と言う定数には成らない事も知ります。

3.07であったり3.22であったりと

直径の長さによって変化します。

こうした変化する園主率をグラフ化して、

より安定した計算式として求められるように

研究されたのが、

関数を用いた計算に成るのですが…

そもそもが数式化できないほど

実測と円周率が噛み合わない為、

sin,cos,tanというチート文字を用いた計算で

省く方法を取るように成ったとまで学ぶべきです。

こうすると…

数学が馬鹿馬鹿しいという感じにも成るわけですが、

だから今でも円周率の謎の解明は

研究されていると伝えれば、

ある意味思考する挑戦心に火が付く場合も有ります。

そもそもが…

円周/直径で定数を求める試み自体が間違ってないのか?

例えるなら半径を求めて、

半径と同じ円周での長さが何度に成るかを計測して

グラフ化して別な計算方法で円周率を求めるのです。

円周=360/x × 半径で、

xが円周に沿って半径分移動した角度とした場合でも、

実は円周の数値は割り出せます。

この計算を馬鹿はsin,cos,tanを用いて計算するでしょうが、

そもそもが計算のコンセプトが違う事を理解できなければ、

挑戦する意味すら理解できない話です。

いわば前例の円周率=円周/直径で求めるのと

完全に異なるやり方という事です。

既存の円周率3.14で計算すれば、

xの値は直径1センチとしても。57.32度に成るわけですが、

円周率の数値に安定性が無い場合、

実際の角度を測定すると

60度から55度の間で計算とは異なる数値が生じるはずです。

そもそも円周率の計算法を見て、

実は昔から違和感を感じていた訳ですが、

直径または半径の長さと、

円周の長さには数字的な関係性が今一感じられなかった訳です。

寧ろ広がる距離に比例して

円の膨張率に変化が生じると考える方が合理的で、

xの数値をグラフ化することで、

x=膨張率×半径の式が当てはめられる訳です。

この場合、360/x×1/2=(ニアリーイコール)現行の円周率

と、成るだろうと思われますが、

どちらが実際の円周に近づくかは、

実測結果を見なければ解かりません。

まあ、当方はそこまで頑張る気は無いので、

興味ある方は試して見て下さい。

恐らくですが、

現行の円周計算より正確に出せる方程式なはずです。

 

ついつい円周率に興味を持って、

ついつい疑問が生じたので、

別の計算式を割り出してみたわけですが、

現行の円周率が不安定であるという事実を知ると、

円周率が正確な計算を出していないものと判明します。

そこで何故を感じる事は大事な事です。

ところが…馬鹿に侵された世界では、

逆に何故、誰もが認める円周率に疑問を抱くの?

と、いう目を向けてきます。

先ほど記した円周の計算方法は、

適切に計算を理解できれば、

確実に円周が割り出せます。

寧ろそれが理解できれば

あなたはまだ馬鹿に侵されていない人と言っても良いでしょう。

ある意味、円周率4000年近い歴史を

根本から覆す行為です。

なので私がここに出す以前に誰かが発見していた可能性は有ります。

また、円周を求める計算として、

合理的に考えた場合、

円周から直径を割っただけの数値と、

半径と同じ長さの角度を割り出して、

1週分の360度で割った円周率、

どちらが計算上合理的であるかを考えてみるのも、

面白いかも知れません。

 

実は教育で大事な事は、

考える楽しさを教える事であり、

実は正解は無いと教えるのではなく、

正解が存在するものと、

正解がまだ存在しないものとを区別して

伝える事なのです。

1+1=2

これは寧ろ想像力の答えなど必要のない、

不変の正解なのです。

しかし、円周率3.14は

まだ正解が解からないものと伝えて良いものです。

正解の解からないものは、

自分で正解を探してもいいという事で、

その正解が空想で終わらないように、

説得力をもたせる努力をしなさいというのが、

本来教えるべき事です。

 

まあ、小学生の子供にこんな話は中々難しいです。

子供たちにはもっと

遊びから学びなさいと伝えて、

その中で将来成りたいものを見つけなさい

と教える方が大事です。

別にスーパーヒーローに成りたいでも良いのです。

現実を学ぶ中で、

役者として子供たちのヒーローを演じる道に進むの有りだし、

ヒーローの様に人を助ける道を選らび、

消防隊や警察官、または自衛隊なども有ります。

純粋な心でそういう世界を目指してくれる方が、

調教教育で脱落し、

生活する為に仕方なくそういう世界に進んだ人より、

遥かに頼れる存在に成るのですが…

まあ、そういう純粋な気持ちも今の社会では、

逆にキレイごと扱いされて、

踏みにじられてしまう訳です。

末期症状は本当にどうしようもないです。

 

せめて多くの人が今の知識に満足せず、

より深い探求心をもって、

世の中の真理を考えてもらいたいものです。

 

今回は馬鹿馬鹿と連発してぶちまけたので、

何となくすっきりした感じです。

 

人生は反省して生きる方が成長するわけで、

僕も反省の毎日です。

別に暴言を吐いた事は反省しないけど、

まだまだ文章が未熟だとか、

あの方程式で間違いなく円周は出せるけど、

3.14からのバラつきを考えると、

どの道安定した数式は出無いかもと、

満足する事はありません。

ただ・・・数学者じゃないので、

別にそこまで挑戦しなくても良いかなと…

適当に切り上げちゃうわけですが…

それに正直簡単に割り出せそうな方法だから、

昔誰かが試して、

3.14の円周率に勝てるほどの

説得力が無かった可能性も考えるわけです。

 

こうして再び円周率に戻って、

何故数値の上下に関わらず、

円周率の値が0.7単位くらいで前後するのか

その構図を考えつぃまう訳です。

 

ある意味思考力とは諦めの悪さだとも言える話です。

とは言え、

興味のない事は馬鹿なままで、

人の話をチョロいほど鵜呑みにしちゃいます。

知り合いの自慢話とか、

全く疑いもせずに信じちゃうし・・・

まあ、自分に害のない事なので、

疑っても意味無いですからね・・・

 

人は興味を抱けば何でもできる。

実は本来誰でも可能性を秘めているのです。

好きなアニメや漫画を深く知りたいと思う気持ちから、、

マニアックにそれを探究する人もいるわけで、

興味が齎すパワーは計り知れないです。

 

興味を持てるかどうかはその人次第なのですが、

浅い興味のまま浅い知識で

興味の薄い人々を馬鹿にする…

ここでは馬鹿に侵食するという意味で、

まあ洗脳するといった感じに成りますが、

そういう行為は本当に迷惑千万です。

本当に興味の薄い事だと、

人間はチョロいほど直ぐに共感してしまうので、

特に政治の世界の話では恐ろしい事にも成るわけです。

 

ある意味北川景子さんの旦那であるDAIGOさんの様に、

ふざけてか本気か知らないけど、

「WINWIN]とポジティヴな言葉を連発してくれてる人の方が、

寧ろ本質を語っている感じに思えるのです。