どうも…ショーエイです。
まず最初に、
力を持った時の信長たまは滅茶苦茶強いです。
ミッチーの様に謀叛でも起こして、
寝首を掻かない限り倒せません。
では、こうした相手とどう交渉すれば良いのか…
大抵の人は相手を弱体化させることで、
少しでも有利な交渉をという考えに陥ります。
ところが信長たまの様な人物だと、
弱体化させようと試みるだけで察してきます。
【一般的にクレイジーに該当する人物】
日本人には馴染み深い、織田信長という人物ですが、
本質的にはクレイジーの部類です。
これはアレクサンダー大王もチンギス・ハーンも、
この部類に入ります。
下手したら諸葛孔明もクレイジーの部類です。
クレイジーな部類の人は、
一般的に負けず嫌いとも言いますが、
普通の人の負けず嫌いと違い、
人に屈する事が嫌いというのがその違いです。
これは勝負事の話では無く、
寧ろ理であり利の無い話には屈しないという点で、
普通の人には理解しにくいポイントにも成ります。
逆に勝負事に関しては理を追求するゆえに、
誠実に考えます。
この誠実に考えると言う話だけでも、
一般の人には理解できない部分でもあると思います。
クレイジーな部類が誠実に勝負を挑むという事は、
実はどんんあ相手も一応のリスペクトを以て挑む姿勢で、
決して馬鹿にして挑まないという事です。
その上であまりにも不甲斐ない相手だった場合、
逆にその無謀な挑戦に激怒することもあり、
反対に自分を苦戦させる相手には敬意を持ちます。
その分、クレイジーな人は引き際も早く判断できるわけです。
クレイジーな人は理を追求する為、
負けた勝負に対してもなぜ負けたのか冷静に分析し、
むしろそれを素直に受け止めます。
なので大局に於いては絶大な強さを示すのです。
更にクレイジーな人は
自分の死に対して冷静に受け止めます。
いわばいつ死んでも可笑しくはないという考え方です。
死が怖いというのは当然ですが、
死の瞬間が迫った時は避けられない事も知り、
それは相手に屈する位なら死を選ぶという事にも繋がります。
その反面、人の死に関しても冷酷です。
ある意味敵の死に関してはという感じですが…
【クレイジーな人はチョロいです…しかしそう感じた瞬間が・・・】
実はクレイジーな人は意外とチョロいです。
ところがこれはマフィア映画などにもよく見る光景ですが、
チョロいと思った瞬間、その人は敵に成ります。
クレイジーな人が敵と見なした相手には容赦はしません。
いわば…チョロく騙せても騙した後は地獄行きです。
むしろそれだけ報復できる力が有るから、
最初に信用して遊ばせてみるわけです。
【現代ビジネスの交渉術は相手の弱みに付け込む方法】
相手の弱みに付け込んで、交渉を有利に進める。
これは交渉術の一つとしては有りですが、
実はこれには条件があって、
自分が力量的に有利な場合にのみ通用する話です。
その為にビジネスでは
いわばパトロンいった存在を後ろ盾にしたり、
国同士の外交では同盟国を募るなどの形で形成します。
これをクレイジーな相手に対して行うと、
冒頭で述べた様に、
弱体化を狙う行為を察する為、
逆鱗に触れて一触即発の問題が生じるわけです。
さて…ここまで話すとどの問題に該当するかは
読み手の方がたも察するところでしょう。
そうですロシアとウクライナの話です。
【理と利の話】
日本人側であり、西側の視点で思考すると、
西側の支配が浸透する方が
世の中が安定するという考えに成ります。
確かに我々の民主社会はかなりの自由が保証されてます。
なのでロシアであり中国の影響力の低下を
望ましく考えます。
ところが・・・西側の政治家の質は最悪です。
理が通らないダブルスタンダードを平気で正当化します。
そんなダブルスタンダードを
力のごり押しで正当化する話では、
西側の正義や正当性は理不尽なものでしかないわけです。
いわば西側以外の思考では、
理不尽な正義や正当性を強要する為に、
反対派を抑圧する行為でしかないため、
これに徹底的に抗う思考が成立する訳です。
世界規模の政治として考えるなら、
現状西側の主張は与党です。
ロシア、中国などの新興国とする方は野党とします。
西側が民主的な主張を正当化して考えるなら、
与野党の意見の対立も民主的に受け入れるべきです。
ただし世界規模の政治、
いわば国連はまだ選挙制を用いていないため、
票決という決着は難しいです。
と、いうか…イスラエルのガザ侵攻問題が発生して、
この部分もダブルスタンダード化してしまいましたよね。
ウクライナ問題であれだけ民主的な形で
ロシア批判を展開しておきながら、
イスラエル問題に成るとアメリカは拒否権を行使して、
民主的な評決を反故にする。
こんな程度の低い話で、
国際社会に西側の理が通じるとは成らない訳です。
こうした理不尽な作用で与野党の攻防に決着をつけるには、
結局は戦争と言う選択肢しか無くなるわけです。
その上でNATOなどの軍事同盟の強化・・・
更に戦争をチラつかせているだけの行為に成ります。
【クレイジーは核兵器の使用も平気】
クレイジーな部類の人は、
通常の人間と思考が違います。
通常の人は道徳だとか人間性だとかを気にするが、
クレイジーな人は
社会に何を植え付けて死ぬかが大事なのです。
キレイごとだけで理を理解しない世界なら、
破滅の危機を植え付けて思考の改善を促すことも、
社会の軌道修正に必要と考える。
まず…平和という概念で理を考えるなら、
何故NATOの様な軍事同盟が今だに必要なのか?
またそんなものを拡大してどこを敵視するのか?
敵視する以上、それは戦争を挑発している話で、
全く平和ではない。
西側諸国が自分たちの安全を確保するだけで、
敵視する側に対しては脅威を植え付ける。
その脅威は逆らえば滅ぼすというメッセージな訳です。
これを通常の人は
「そんなつもりはない」
と言葉で否定します。
否定したところで、
国連内でも外交上でも、制裁など用いてて敵視側を脅かして
要求を理不尽に正当化して強要している訳です。
この時点で理の話として平和的とは言いません。
クレイジーな人からすれば、
こんな理が成立しない程度の世界なら、
核兵器で破壊する方が良いと考えます。
いわば馬鹿な屁理屈と理不尽な力で
支配が及ぶ世界にしたから
世界は一度壊滅の危機に瀕したという歴史を作った方が、
人類はもっと反省して
平和を再認識するだろうという発想に成ります。
逆にこのまま馬鹿な屁理屈と
理不尽な力で推し進めれば、
強者と弱者の格差が広がり、
テロと反乱が横行する世界しか望めないとなります。
通常の人は核兵器を用いるなんて
非人道的と主張するだけですが、
結局はどれだけ非難を展開しても、
広島や長崎の被爆地が訴えても、
使うと決めたら全く関係ないのも事実です。
反対に核兵器を使わせないようにするには、
道徳的な話より、
クレイジーな人が世界に絶望しないように、
本当の平和とは何であるかを訴えるべきなのです。
いわば、核兵器の使用を批難するより、
広島や長崎でNATOなどの軍事同盟拡大を批難する方が、
実は核使用の抑止力の効果として
成立するという話なのです。
ローマ法王がウクライナに
「白旗を掲げる勇気」の話をしました。
通常の人は戦争の勝敗に捉われて、
もっと大事な事を見失っているから
その真意が理解できないでしょう。
戦争第三者として何を大事に考えるべきか?
ウクライナの人々の命で考えるなら、
国としてのプライドか、
それとも人命かという話です。
領土を失った事は国としての損失です。
しかしその損失を補填する為、
戦争を続けて人命を失う状態を継続させる方が、
そこに住む人々にとって良いのか・・・
そういう問いかけです。
勿論、ウクライナの人々にとっても
勇気が必要な選択ということです。
ロシアを許せないという人も居るわけですから・・・
【結局はWINWINな関係が一番の交渉術】
理と利を説くという事は、
最終的にはWINWINな関係で纏まるという事です。
これは仏教の哲学ですが、
「欲を捨てる」
という事がポイントで、
「無欲」に成るというのは間違いです。
無駄な欲を捨てて、最低限の利を喜ぶ。
こういう言い方が哲学上適切かもしれません。
実はクレイジーな部類の人は、
理と利が合致するポイントを交渉前に定めているため、
それ以上に理と利が合致する話以外は、
妥協は決してないと言っておきます。
なので弱点を突いて譲歩を引き出す交渉術は、
寧ろ逆鱗に触れることに成ります。
勿論、通常の人に
クレイジーな人かどうかを見極めるのは難しいですが、
理と利を理解せず、自分の利益だけを求める人は、
ハッキリ言ってクレイジーではなく、
単なる強欲な人間でしかないです。
まあ、クレイジーでない人間なら
命の危険に敏感なので、
クレイジーな人ほど無茶は出来ないと言えますが、
クレイジーな人だった場合は、
平気で無茶な決断もするゆえに、
理を語れずになめて掛るととんでもない行動に出ます。
ロシアが核兵器を用いるか否か…
西側がNATOがロシアを敵視している軍事同盟でないと
方便を使うのと一緒で、
使うつもりはないは方便という形で考えておくのも大事です。
現状、「核兵器を使うつもりはない」=
「現状まだ世界に失望する状況にない」
という話で…
どういう流れであってもロシアが「世界に失望した」と成れば、
核兵器が容赦なく使われることは
覚悟して考えた方がいいということです。
うつけの兵法の新作は現在書いている最中です。
近々アップします。
因みに今回書いた「理」とはどういう事か?
と、いう話ですが・・・
通常の人は人の見解と意見は其々と考えがちです。
実はそれは「理」ではないのです。
「理」とは腑に落ちるポイントなので、
もっと深い議論の所に存在するものです。
科学的には仮説の段階は意見で、
定説となって「理に適う」話に成るわけです。
平和の理を語るに、多くの人は自身の安全を語ります。
最終的に平和になれば安全は担保されますが、
安全だけを考えても平和に成りません。
平和とは社会全体の信頼です。
日本でも絶対の平和は難しいですが、
基本的に自分を害する人が居なければ平和なのです。
自分を害する=窃盗や殺人を例に、
そういう存在が有る中で安全を考えると、
セキュリティーの話に成ります。
逆にそこから平和を考えて、
窃盗や殺人に関わる人を排除と考えるのか、
それとも社会生活の質の向上で、
窃盗や殺人に走る環境を改善させるのか、
こうした議論に成るわけです。
これが国内の秩序として考えれば、
暴対法などで法的な解決策もありますが、
国同士の場合、現状では戦争に発展する訳です。
ならば自ずと社会生活の向上こそ望ましいと成るわけで、
世界全体の経済底上げという手段が功を奏しました。
イスラエルとガザの問題も、
ガザというよりパレスティナの人々の暮らしが
全く向上しない状態にしていたから、
ハマスに加担する人も多く出るわけで、
彼らの主張の正当性も
パレスティナの人々が感じるところと合致する訳です。
逆にイスラエル政府がパレスティナの人々を迫害せず、
寧ろ彼らの生活向上に力を注ぐ形で支援していたなら、
ハマスに加担する人は減らせるという話でもあります。
単純な話、家族と平穏無事に生活できる状態なら、
あえて危険な戦闘状態を望む心理も緩和されてくる訳で、
寧ろ過激な思想でハマスがその生活を脅かせば、
パレスティナの人々は逆にその主張を正当化しなくなります。
イスラエル政府が主張する様に
ハマスを危険視するのなら、
先ずはパレスティナの人々を味方に付ける事を考えるべきで、
ヨルダン川西岸への入植行為など止めて、
更にはガザ地区の閉鎖なども緩和し、
彼らの生活を支援する形にするべきなのです。
結局はこれと逆行する形で、
パレスティナの人々を迫害し、
追い出す政策をするがゆえに、
パレスティナ人は
イスラエル政府を許せない感情に支配されるわけで、
今回のガザ、ラファ侵攻で
それがより強まっただけの話に成るわけです。
仮にハマスの支配がその地区から縮小したとしても、
イスラエルへの怨恨が強まった以上、
ハマス以外にも
更に反イスラエル組織が構成される流れで、
イスラエルはよりテロに脅かされる、
またはアンダーグラウンド化して
発見しにくい状態に成るだけでもあるわけです。
もっとイスラエルの人々はパレスティナの人々と、
WINWINな関係を築く政治に転換するべきという話です。