ナイス・ガイは悪い事では無いがクール・ガイとは違う。 | ショーエイのアタックまんがーワン

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タッグチームLiberteenの漫画キャラクター・ショーエイが届ける、笑えるブログ・ショーエイの小言です。宜しくお願いします。

どうも…ショーエイです。

人間は恰好ツケという事に拘るもので、

過去には寡黙でクールを気取った感じが

格好いいとい時代もありました。

ただ、結局はそれらは恰好ツケなだけで、

中身は全然クールでも何でもない

見せかけだけの気取り屋さんなのが見抜かれ、

寧ろナイス・ガイに転じる方が

好感を持たれるようになった訳です。

 

ただ・・・これもキレイごとを言っているだけの、

上辺だけのナイス・ガイが横行しているので、

徐々に気持ち悪い存在になりつつあります。

 

人間のクールさ、いわば恰好良さは、

本質を見極めて考える所に有ります。

 

【戦争という認識に関しての違い】

ナイス・ガイは人を殺し合うという戦争自体を否定します。

人が人を殺し合うことは好ましくないと訴えますが、

戦争にしても喧嘩にしても、

発生の本質に有るところは対話の崩壊です。

 

暴力は良くない事だから、

暴力を振るったら負けという論理の下で、

数の圧力を持って少数派を黙らせる。

これが民主制のルールという形で主張してます。

一見、道徳的に正しいように見えますが、

結局はこれ古代ギリシャの民主制が

崩壊したのと同じ論理なんです。

 

では…少数派の人たちは

黙って自分の権利を放棄するだけなのか?

 

例えるならタバコの件。

タバコを禁止にするという多数派の意見が横行し、

徐々に喫煙者には肩身の狭い状態が続いてます。

タバコの値段も上がり、その上で喫煙場所も限られ始めている。

ただし現状ではまだ喫煙可能という事で、

何とか権利は維持されていると言っても良いです。

 

しかし、タバコの値段が上がり続け、

ある意味貧乏人には

タバコが買えないという状態にまでなると、

一部喫煙者の道徳は崩壊します。

いわば「盗んででもタバコを吸いたい」

なんて考える人も出てくる訳です。

 

多数派が決めたことだから

黙って従いなさいという状態では、

少数派の我慢の限界を見極めずに、

どんどんと多数派の支配を広げる議論が蔓延します。

タバコの例でもあるように、

その流れは自己の権利を守ろうとする人の

限界を超える方向にしか向かない事に成るわけです。

この時点で一部、

一部とはその言葉の通り10%の人とします。

その一部は絶望視が先行して暴力的な思考、

または非道徳的な思考に走ります。

法治社会なら犯罪ですが、

法治から外れた中ではテロリストに走ります。

多くの人が中国とウイグルの問題で、

ウイグルの人たちを擁護するのなら、

先ず、ここの本質は理解するべきで、

道徳的に思考するのなら中国政府の立場を

理解して考えるべきなのです。

 

それでも対話の解決に向けて

少数派から多数派へ向かう努力をする人たちも居ます。

こう説明するとその人たちの考え方は立派に見えるでしょう。

しかし、その少数派の努力で多数派に台頭してくると、

今度は多数派の道徳心がねじ曲がります。

いわば多数派を維持するために手段を択ばなくなるのです。

我々が良く知るその手段は「誹謗中傷」です。

誹謗中傷によって対話への努力は評価されず、

多くの人が少数派を「悪」として

認識するような議論が展開されます。

 

ココからはタバコでは無く、

ウイグルの話を例に考えてみましょう。

 

議論するべき本質は、

中国政府がウイグル人に対して講じるテロ対策の

人権的な超過部分です。

勿論、これは「テロ対策」であることを忘れてはいけません。

しかし、中国政府を「悪」と認識させる意味では、

「テロ対策」という部分を差し置いて、

「人権的な超過部分」のみを主張する訳です。

国家としてテロ対策は大事な事は誰もが理解できるでしょうが、

人権問題のみを取り上げて主張すると、

テロ対策という部分の話は「言い訳」に聞こえてしまうのです。

 

科学的かつ誠実な議論の場では、

中国政府が懸念するテロ対策部分を考慮した上で、

人権問題として過度に対応している部分は無いかを

論じなければ成りません。

その上で「過度」に感じる点は中国政府の見解を配慮した上で、

是正するように働きかけ、

その上で中国政府とウイグルの人たちにとって

ベストには成らなくともベターな解決へ推し進めるべきなのです。

 

そうした議論がクールな議論な訳ですが、

ナイス・ガイを装って「人権問題」のみを取り上げて、

中国政府を「悪」とするのは、

寧ろ揚げ足取りの議論でしか無いわけです。

これを多数派がこぞって中国政府「悪」という形で話が進むと、

むしろ少数派の中国政府は

対話が成立しない状況と判断せざるを得なく成ります。

多数を目指して我慢強く努力しようとした結果、

この様に理不尽な形でいわば内政に干渉される状態は、

これこそ国連憲章違反の

「内政不干渉」に抵触する行為なのです。

しかし、多数派がそれを無視するとなると、

その問題は国連憲章違反としての議論も成立しません。

そこでここまで来た状態で状況を打開するには、

ある意味「暴力的な手段」を講じるしか術を無くします。

 

これが「戦争」が起きる論理なのです。

このケースはロシアのケースにも当てはまる訳で、

そういう形で戦争が勃発して、

今更キレイごと並べて非難しても、

その戦争に巻き込まれた人たちの命は帰ってこない訳です。

また、「暴力的な手段」でしか解決しないと判断した側に、

どれだけ「悪」というレッテルを貼って非難しても、

相手には何の効果も有りません。

寧ろ、「対話による解決」を放棄して、

相手に「悪」のレッテルを貼りつけて議論している時点で、

「最悪」という評価に転じようとも、

対話という手段の中では、

一向に評価を変える術を与えていないのだから、

戦争と言う手段で「最悪」という形に成っても

一緒と言う事で割り切れてしまうのです。

 

【米国憲法は対話によって問題解決をするためにデザインされたもので、多数派が明確な論拠なく施行できるものでは無い!!】

大統領選挙を見るとその名残が有ります。

元々米国の政治は「有識者」のみで選挙を行い、

大衆の意見に惑わされずに、

科学的な論拠に基づいて議論し、

その上で上下両院議会の評決と大統領の判断という

三重の決定の過程を得て行うというシステムです。

 

大統領選が大衆による表決のみで決まるシステムでは無いのは、

その名残です。

独立直後の状態であれば、

寧ろトランプが大統領に成るという事は許されなかった。

どれだけ50%近い支持を民衆から得ていても、

有識者が不適正と見極めたら、

民衆の評決を無視しても、

投票権を持つ代表者がそれを自身の判断で行使出来たのです。

そもそもは一般市民にすら

当時は投票権を与えていなかったわけで、

有識者が選んだ票を無視しても

理由を明確に説明できれば問題なかったと言えます。

 

現代ではその選挙人は選ばれた州の評決に従う様に、

道徳的に行うように努めているに過ぎないのです。

ただし現代ではその選挙人が

各政党の代表として存在しているため、

民主党の選挙人が選ばれた州は

その選挙人を総取りできるというシステムに成っているため、

各州ごとの判断は一応は絶対という形に成っています。

ある意味、これも選挙人の裏での操作や陰謀論的な選挙を回避し、

民意が反映する結果として改善されたシステムである点は、

否定しません。

 

しかし、国際秩序を担う国連の中では、

票決(Vote)ではく評決(Verdict)ベースのシステムなのです。

それを票決(Vote)にすり替えて議論している時点で、

国連の機能を阻害しているに過ぎないのです。

 

【票決は結果が解りやすいものでしかない】

票決は多数が賛成したという結果が解りやすいだけで、

実際には議論の中身が空っぽでも、

結果だけで納得するというものでしかないのです。

これを民主制の有り方だとするなら、

理由も無くある人物を「悪者」の票決で決めたので、

皆でその人を悪者として扱うようにしましょうという事も

正当化されてしまいます。

そんな幼稚な事は…まず無い?

それをロシアや中国にたいして行っている事は、

実際にどうなのでしょう?

 

評決という形で、拒否権も有る中での議論なら、

拒否権を持つ側を説得しなければ成りません。

それが拒否権を持つ双方が関わる事案ならば、

双方が妥協できる所まで徹底的に議論しなければ成りません。

この議論は大変な労力を伴います。

その議論を面倒くさがるから

票決という手段にしようとするわけですが、

ウイグルの問題を挙げたように、

中国政府の内政上の治安維持を理解した上で、

人権問題として考える配慮も無く、

ただ単に人権問題としてのみ取り上げて、

中国政府の治安維持の名目を完全に無視した議論で、

「中国が嫌い」という票決または、

「アメリカ君とチャイナ君、どっちを選ぶ?」

という天秤に掛けただけの票決で、

何の科学的な論拠が

話されるのかという事にしか成らない訳です。

いわば…「悪者」を票決で決めた幼稚な話そのものなのです。

 

【圧力によって悪者にする手段】

例えるならこのブログに関して…

「このブログは人々を洗脳してます。」

と、言われればそういう風にも見えます。

ある意味、反民主制の様な形で

人々を説得している様にも見えなくは無いです。

 

頭の悪人は

「これは洗脳なのか?」

と、思えばそう感じてしまうことも有るでしょう。

しかし…寧ろこの場合、

何の根拠無く「洗脳している」という表現で、

このブログを「悪者」と認識させることが、

寧ろ「洗脳」している行為なのです。

このブログでは明確に根拠を示して説明してます。

また、戦争を「善」という表現で用いている訳でも、

民主制を「悪」として用いている訳でもありません。

寧ろ、何が「適切」なのかを伝え、

そして読み手に考えてもらう切っ掛けを与えているだけです。

 

バイデン政権を悪くもいいますが、

そもそもが「何の解決も齎さない愚かな判断」

という形で話しており、

実際に何の解決にも導いていない事実が

それを証明しているに過ぎないのです。

これを「洗脳」と表現しても、

読み手がその判断力を失って

誤った考えに転じる様な内容でない事は、

誰もが解る事です。

しかし、大衆がこうした詳細を理解せずに、

または内容を読みもしないで、

ニュースの見出しに、

「ショーエイのブログは反民主を洗脳!!」

と伝えたら…恐らく多くの人は

そういうものという先入観を抱いて

真面に内容を理解しようとしなくなるでしょう。

これが寧ろ「洗脳」であり「プロパガンダ」の手法なのです。

 

中国やロシアの主張に対して聞く耳すら持たない姿勢は、

正にこうした手法によって齎された状態なのです。

 

さて…根本的な問題は…

ロシアや中国を「善」と見なすか

「悪」と見なすかの問題では有りません。

西欧にも西欧の権利があり、中露にも中露の権利がある。

そういう中でお互いが上手く付き合うには、

どういう形で纏まるのが一番いい形か…

そこを話し合う形で無ければ、

善と悪に分かれた戦争と言う形で、

暴力という手段で支配者を決定する

作業しか残されなく成るだけなのです。

 

戦争は悪者を排除する為に行う事。

 

中露からすれば「悪者」を生み出す「悪者」を排除しなければ、

嫌われ者は全て「悪者」に成る。

ある意味、悪者を排除する根拠として成立する意味にも成ります。

逆に彼らから「悪者」にされた西欧は、

中露が「悪者」の癖に何を言っているのか?

という形で対抗する根拠にもできます。

 

と、言うわけで結局は「戦争」を肯定する流れを、

彼らは議論上で推し進めているだけなのです。

 

孫子の兵法では、

「戦争は最終の手段とするべき」

と、いう形で説明しており、

「外交によって解決することを良策」

と、伝えてます。

 

これを逆の法則で説くと、

敵を最終の手段に追い込むことは、

外交による良策を用いていない愚策と言えるわけです。

なのでロシアを戦争へ誘ったバイデン政権の外交は、

愚か者でしかないという評価になります。

で…戦争仕掛けたロシアが悪者か?

そもそもロシアを冷戦時代からの名残で

「悪者」扱いしてきた訳だから、

今更何を馬鹿げたこと言っているの?

と、言う話でしかありません。

それを更に「悪者」として

どれだけロシアが悪者に成れば良いのかな?

成らばロシアが核兵器を用いても、

「所詮は悪者だから悪者だ」

で、終わり?

それで核兵器の使用を食い止められない

無能な流れで良しとしている方が

頭おかしいのではと思うのです。

 

中国に対しても、

「悪者」としている状態で、

結果として中国が「悪者」であることを証明して戦争に成っても

何をどうして外交的な解決が出来ているという話?

 

結果として、ナイス・ガイを気取っている人たちは、

自分たちの価値観で悪者とした人が、

悪者としての行動を選択する結末に導いて、

やっぱり悪者だったという証明が出来て

喜んでいるだけという意味不明な満足感を望んでいるだけ?

それで多くの犠牲者が発生しても、

悪者仕業として片付けて何が平和なの?

これを大衆が望んでいること自体が、

地球的には大問題という話なのですが…

 

本当にアホですかという話で…

何とも言いようが有りません。

まあ、ここまでくると

もうネタとして活用するしか無いというのも事実で、

どんどん滅茶苦茶にして下さいという感じ。

 

頑固な大人が、

幼稚な喧嘩に没頭した状態は、

寧ろ彼らを消し去るしか止める方法は無いのです。

消し去ることが出来ないのなら、

徹底的に滅茶苦茶にさせて、

自身の愚かしさを反省させるしかないでしょう。

 

私ら無力の良識人に何が出来るのでしょうか?

 

方法は有るけど・・・

まあ、幼稚な人間は自己顕示に走って

それを妨害することしかしない訳で、

愚かな連中に権力を持たせている現状を、

まあ呪うしか無いのも事実なのかな?

 

とは言え…一応、彼らが妨害しているのは表面上の事。

実態は…まあこの話がうまく伝わるなら、

結果はそういう事なのかなと言っておきます。