新年あけまして…今年は反省の年にするべき | ショーエイのアタックまんがーワン

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タッグチームLiberteenの漫画キャラクター・ショーエイが届ける、笑えるブログ・ショーエイの小言です。宜しくお願いします。

どうも・・・ショーエイです。

新年あけまして…

最近ではおめでたいか?

と、言うとそうでもないのでそこは省きます。

 

昨年からの継続で、世界全体は大きな過ちを犯している。

キリスト教やイスラム教、仏教を含めた

宗教的な表現になりますが…

 

我々は神ではない、

ゆえに選択に過ちを犯すのは仕方がない。

しかし、結果を得て省みることが出来ないのなら、

それは単なる愚者でしかない。

 

愚者は結果を以てしても

自身の選択不備を常に認めることが出来ない。

それは自らに神を求める愚行に走るからである。

 

まあ、政治家に愚者が多いのはこういう事ですが…

 

【全ての政治家は反省するべき】

最初にアメリカ大統領 ジョー・バイデンから…

一応、世界のリーダーであるアメリカ大統領。

リーダーが適切に判断できていれば、

ウクライナでの戦争は起こらなかった。

先ず平和を求める状況下でNATOは必要ない。

寧ろNATOの枠組みで

ウクライナで戦争に参加出来ないのだから、

NATOそのものが意味のない組織と言っても良い。

逆にウクライナへの支援という形で考えたら、

ここでもNATOの枠組みは関係なく、

寧ろ日本やオーストラリアなど

組織とは別で参加しているのなら、

国同士の友好関係維持こそが

重要な要素であることを理解するべき。

 

またこのNATOの枠組みに拘らなければ、

ロシアがウクライナに戦争を仕掛ける事は無かったと

断言してもいい。

 

反省するべき事は、

平和を求めるのに、

NATOという軍事的同盟の拡大を意識した事。

この意識をのものが

戦争を導くだけの選択でしかない事を

理解し反省するべき。

愚者として居座り続けるのなら

自らが平和主義であることを諦めるべきで、

それは神に近いものでは無く、

人(市民)を欺き

惨事に手を染める悪魔として

意識するべきはなしである。

 

次にロシア大統領 ウラジミール・プーチン。

反省するべきは

この戦争で結果として

ロシアとウクライナの間に大きな亀裂を生んだという点。

NATOの軍拡に対抗する手段として、

またドンバス地区でのロシア系住民の保護という名目で、

本当にこの戦い方で良かったのか?

ある意味、ロシア軍の統制が本来の目的を阻害し、

寧ろ戦争を野蛮化させた点は反省するべき。

結果としてウクライナの人々の心に

大きな抵抗を生んでしまった。

 

戦争故に残酷な状況を生み出す点、

戦争と言う殺伐とした環境で、

多くの犯罪を生み出してしまう点。

これらは戦争をする中で

当然の様に発生するもので有る事は仕方のない事でも、

それらを軍として抑止できなければ、

結果としてウクライナの人々の心は、

その行動自体に

敵愾心を大きく抱く効果しか生まないという事。

 

ある意味、感情的になって仕掛けたという点は省いても、

目的を大事にした軍事行動としては

些か範囲を肥大化させた点は反省するべき。

 

その次にウクライナ大統領 ウォロディミル・ゼレンスキー

先ず考えるべき点は、

ロシアを敵視する必要性があったか?

民意を大事に考えるのなら、

ロシア系、またはロシアとの友好を支持する側が、

マジョリティを占めても、

それは民主制として適正であるという点。

反ロシア支持層がNATOなどの支援を受けているなら、

ロシア支持層がロシアの支援を受けている状況は、

ハッキリ言って民主的な意味では公正な状況である。

ウクライナ側のこの戦争の発端は、

そもそもが反ロシア支持層の肥大化が原因である。

彼らの主張であり、

ロシア支持層への弾圧とも受け止められる行動、

いわばロシア語の公用語禁止を例に、

ロシアに軍事介入させる口実を与えてしまった事。

 

もしゼレンスキーがロシアと上手く付き合う形で、

国内的には上手く中立して調整し、

外交的にはNATOなどに目もくれず、

中立的に国の利害を考えて選択していたのなら、

国民にこれほど犠牲を強いる状況は避けられた。

その能力が不足していた点は反省するべき。

 

ただし…戦争が起ってしまった以上、

これ以上に平和的な選択肢を望むのは無理な状況で、

彼には残念なことに

戦争の結末を待つことしか残されていない。

こうした状況も全て当初、

ゼレンスキー自身が未熟であった点は反省した方が良い。

 

その次にフランス大統領 エマニュエル・マクロン。

一般的には彼は優柔不断だという様な

反省を促す傾向があるかもしれない。

しかし、彼はそうした評価を気にせずに、

自分の信じる行動と立場を維持してほしい。

反省する部分を言うのなら、

少しでも大衆の批判に動揺する気持ちがあった心境。

結果動じる事なく毅然とした態度を貫いた点は大事にし、

常に中立的な視点を維持して、

逆に内政的に発生するだろう

自らの過ちは常に柔軟に考える意識を持ち続けるという事。

政治的、民意的な流れに動じるようでは、

自らの歴史的な評価を落としてしまうという事を意識して、

政治生命を掛けてでも自らの信じる道に挑んで欲しい。

 

その他EUの政治家。

ロシアを嫌い、ロシアを非難するだけの政治家は、

ハッキリ言って愚者そのもの。

それが人道的な観点で

ロシア君虐めという状態を引き起こしている。

 

どの国でも同じで、

ヤンチャな子を虐めれば

ヤンチャな子はどんどん悪態をつく方へ進んでいく。

ヤンチャな子に更生を求めるのなら、

ヤンチャな子を理解してあげることでしか、

彼らを救う方法は無くなる。

ヤンチャな子が更生できなければ、

彼らは犯罪という社会で、

社会に反抗する生き方を選択するのだ。

 

極めて単純な要素で、

キリストの哲学を理解するはずの彼らが、

寧ろこんなことにすら気付かないで、

NATOという非平和的かつ軍事的な組織を用いて、

平和の為と主張する行為そのものが、

そもそも無理の有る主張でしかない。

 

優秀なはずの政治家という身分に有りながら、

得られる情報が少ない

大衆と同レベルの見識で行動すること自体、

能力として無能に近いと言える。

大衆が知らない都合の悪い部分を誤魔化して、

人気取りに走り、

大衆に合わせた形でしか権力を維持できない点は

大いに反省するべき話である。

もっと都合の悪い部分も含めて、

素直に認めつつ

そこで本来の平和という視点で

何が適切かを考え行動する勇気を持つべき。

 

優秀な政治家としてそれが出来るはずなのに、

臆病風に吹かれて出来ないのなら、

歴史的に無名のままで終わるしかない事を意識してほしい。

 

キリストは右の頬を打たれたら、左の頬を出せ

 

そういう哲学を示している。

この解釈は

正しいと信じることに動じるなという表現でも理解できる。

結果として欧州政治家、NATO組織の政治家、

彼らが平和を唱えつつ、

平和的に解決できなかったこの事実を

反省しないのか、反省するべきなのか、

自らの言葉が示す「平和維持」という目的で、

先ずは反省する事が前提という点も伝えておこう。

もし、反省することなく

「平和維持」という自らの言葉を裏切るのなら、

それは先にも述べた様に

人を欺いて悪魔の所業に手を貸す選択として、

割り切ってほしい。

まあ、それなら勇者に始末してもらいやすくなるし…

なんてね…

 

それで…日本の政治家・・・

まあ…彼らは一切反省する事ないし、

哲学なんてものは無意味な人たちなので、

継続して愚行を頑張るだけでしょう。

 

彼らは知識いわば

攻略法に頼って行動するしか出来ないレベル。

攻略法の無い、通用しない世界では、

誰かがその攻略法を教えてあげるしかない。

ただ・・・教えるにして…

彼らはプライドが高く、

先ずは彼らに媚びへつらう人間でなければ成らない点。

そんなことまでして

こいつ等に功績を与える気も無い

と、言うのがこれまたプライドの高い優秀な人間。

 

いわば…愚者の国そのものの姿な訳です。

 

日本に今必要なのは、

周の武王か劉備玄徳が必要といっておきます。

そして彼らが三顧の礼に匹敵する形で、

太公望や諸葛孔明という

優秀な軍師を迎えるならということなのかな・・・

まあ・・・そんな幻想的な人物居ないわけだから、

日本国民は諦めた方が良い。

 

居るのは歴史に埋没した国や勢力の人材程度。

そして…歴史の中に80年代、90年代を最盛期に

埋没して行く国の姿だけ。

 

こういう状況にある事すら、

日本の政治家であり官僚は理解していない事に、

日本国民は嘆き反省するだけ。

国民が反省すれば、

後に少しは良くなるかも。

 

まあ、ここまでは

政治家に愚痴言わせてもらいましたが・・・

反省することなく同じ過ちを続けるのかな…

 

因みに最近、話題に成る

学校へ行かない「ゆたぽん」くんの話。

ゆたぽんが学校へ行かない、

その父親が行かなくて良いという方針なら、

それはそれで良いと思う。

今後の事は彼らの責任で、

親子そろってそれに挑めばいいし、

それもそれで人生の選択だとおもう。

 

ただし、それが社会的に正しいという主張は違います。

 

ゆたぽんが主張して良いのは、

「成功の自由」

偶々、Youtubeの世界で成功したケースだから、

彼ら自身がその成功の有り方を変える必要性は無く、

寧ろ「成功」という実績の中では、

成功しなかった状態より、

ある意味正解とも言えるのです。

 

ただし、それはエンターテインナーとして成功したからで、

多くのその他はその成功に辿りつけない事を知るべき。

 

一握りの成功者と違って、

多くの人は地道な生活の中で、

細やかな幸せを求めて生きていかなければ成らない。

その細やかな幸せを維持する手段として、

「怒られないように頑張る」という社会労働が求められます。

 

学校で何を学ぶのか…

夢や希望を与えるのは教育の姿勢で、

教育の目的で言うなれば、

「怒られないように頑張る」という労働者の鍛錬です。

何かあれば上司から怒られる、

お店の店員なら客から怒鳴られる。

普通の精神状態では爆発します。

耐えられない人は喧嘩もします。

場合によっては殺人に走ります。

ある意味、ヤンチャに育った子たちは、

こういう部分で問題を引き起こします。

筆者も例外では無いと言っておきます。

 

でも、こんな人ばかりの社会では

殺伐とした世紀末な社会しか成立しない訳です。

 

逆に、学校教育を真面目に受けて、

こうした環境にも適応できる立派な社会人が多く居るから、

日本は治安の良い国で、

サービスも適正に機能する状態にあるのです。

 

学校へ行く事の大切さは、

寧ろ成功出来ない場合でも、

細やかな幸せを見つけて生きていける事を

鍛錬する場と理解した方が良いです。

その中で成功できた人は、

ある意味勤勉な鍛錬の下で頑張った分、

強かな生き方が出来るのです。

 

ただし!!

能力的な優秀者さは「教育の姿勢」部分に該当する為、

論理的かつクリエイティヴな発想を

育成する意味では機能しません。

いわば成功者の中で突出した成功者を生み出す要素としては、

まあ、最悪と言っておきます。

ただしその成功者に成れる人は一握りの人間ですが、

それでも学校を楽しむ場としての機能であり、

同時に社会活動の鍛錬という部分で、

様々な可能性と向き合って考えれば、

日本の教育はもっと改善されるべきとは言えます。

 

かといって…「学校へ行く必要はない」のとは違います。

あくまで嫌でも

社会活動をしなければ生きていけないという鍛錬の意味で、

修行した方が良いという事です。

 

ゆたぽんは今、成功した事で自由に活動できます。

でも、それは自分が成功した事で

あくまで家族から学校での鍛錬を免除されただけと

自分が特別であること意識して考えてください。

そうでなければ社会的に大事な鍛錬の場を破壊する、

社会悪に成るだけなのですから。

そして社会悪に成れば、

結果として足を引っ張り、

ゆたぽんの成功を邪魔する人が増えるという事も。

その結果、今の成功を維持できなくなるという点は、

今学んでおいた方が良い事とも言っておきます。

 

ゆたぽんくんにアドヴァイス出来る事は、

学校に行った方が良いか、

必要ないかの議論は

一切しない事です。

ここでいう事は、

「自分は運よくYoutubeの世界で成功したから、これからはより良いエンターテインナーを目指して家族と修行するつもりです。」

 

と、いう事だけ。

最終的には、

「学校へは行けるなら行っておいた方が良い」

と、そして・・・

「その中で自分で環境によって判断していくのは、その人の自由だと思う。その判断を社会が否定するのは逆に良くないと思う。」

と、まで言えるように頑張ってください。