うつけの兵法 第一話「天命」 | ショーエイのアタックまんがーワン

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タッグチームLiberteenの漫画キャラクター・ショーエイが届ける、笑えるブログ・ショーエイの小言です。宜しくお願いします。

【第一話 天命】

 

 

「形あるものは何れは滅ぶ…」

 

それを定めとして刻み、

そしてそれを受け入れるのである…

 

少年吉法師は城下を見渡す大木の上から、

それを眺めていた…

 

少年の頭でそれを理解していた訳ではない、

その言葉が頭を過った訳でもない、

ただ、そののどかな那古野の城下を木の上から眺めて、

ただ感じるのである。

 

「死んだらどうなるんだろう・・・」

 

茶筅に城主として衣装を身にまとった

少年吉法師。

女の子の様に美しく愛らしい顔立ちの

まだ10歳にも満たない子供は、

ふと単純に考えた。

 

少年が考えた「死」とは、

決して宗教的な世界では無い。

ただふと…

自分の定めを純粋に感じ取っただけだ…

 

いわば…今が亡び、

死した後に

自分は同じ城主としての定めを受けられるのか?

 

定めを受けたものは…

決して自らの運を誇らない。

むしろ危ぶむのである。

 

織田弾正忠家の嫡男として生まれ、

生まれて間もなく父信秀より那古野城を与えられ、

守役の平手政秀を筆頭に、

多くの家臣を宛がわれて、

何の不自由もない生活を送ってきた。

 

それを「定め」として当たり前の様に受け取ってしまえば、

全ては周りが教えてくれる。

期待された定めの通りに教育を受け、

そして周りが認める定めと成れば良い。

 

大人として処世術を身に着けたものなら、

それが一番無難な生き方と説くであろう。

 

しかし、少年として「死」という将来を認めてしまった子供には、

寧ろ…

「今を楽しむ」思考が過るのである。

これが少年吉法師が「うつけ」となる切っ掛けだった。

死への答えなど見出す事も無い…

すでに少年の興味は「死」から「楽」へと移り変わっていた。

 

吉法師が何を感じ取り、

何を求めて城下に興味を持ったかなど知る由もない。

ただ好奇心に駆られて城下を見たいという話だろう。

無論、少年に何かの考えがある訳でも無い。

ある意味、その通りなのだ。

ただ、天命という感性を除いては・・・

 

吉法師は守役の平手に、

「爺!!城下を見たい!!」

と、せがむのであった。

爺と言っても、平手はまだ50台に差し掛かったばかり、

現代ではまだ働き世代の中心である。

爺と言って、執事長という身分に近く思われがちだが、

ある意味嫡男の教育係という立場は、

次世代の参謀候補として認められた者であり、

家中ではある意味一番の重責ある者と言える。

 

執事長の様な存在で平手を想像すれば、

とても優しい容姿を思いうかべてしまう。

しかし、弾正忠家の重臣としての彼は、

寧ろ威厳があり、厳格で厳しい人だった。

無論、それは吉法師に対しても同じである。

 

それ故に…平手は吉法師に問う。

「何故、城下へ」

平手は厳格な教育意識から、

行動に伴う明確な理由を考えさせる為に、

あえて吉法師に意地悪な言葉で問うのである。

 

そんな質問は少年吉法師には理解できるはずもない。

吉法師からすれば単なる好奇心なのだから…

そういう意味では

平手が意地悪で城下に行かせてくれないと感じるのであった。

 

そんなある時、

父信秀が那古野に足を運んだ際、

吉法師は謁見した父親に、

「父上!!城下を見てみとうございます」

と直談判した。

この当時の吉法師はまだ礼儀正しく、

父親との謁見の際も、臣下の礼をとり、

臣下としてそう申し出たるのであった。

無論、こうした行儀は平手の教育の賜物で有り、

当時の吉法師は何の違和感も感じずに、

その作法を受け入れていた。

父親からしても奇抜で賢い少年に見えた事だろう。

 

故に、信秀は生涯、信長を愛したのである。

年を重ねて吉法師が信長として成長しても、

信秀の心には幼い頃のこの従順で可愛らしい姿が、

愛おしく残りつづけたのである。

 

信秀は吉法師の申し出を受けて平手に問いた。

「政秀…どう思う?」

その言葉に、吉法師は少し不貞腐れた。

(どうして爺に聞く…爺はダメという)

しかし、作法に従順な吉法師は顔には出しても、

父親に我がままをあえて言わない。

そういう弁えも身に着けていたのだ。

すると平手は、

「若は何故城下を見たいのですか?」

と、平手は吉法師に問い返した。

 

(いつもの意地悪だ!!)

吉法師はそう心で感じた。

無論、教えられた作法を身に着けているのとは異なり、

吉法師にはまだ明確に理由を説明するだけの知恵は無い。

また、「好奇心」で見たいという事に理由を問われても、

その「好奇心」が理由になるという摂理すら理解していない。

故に平手の「何故?」という質問は

吉法師にとっては意味不明なのだ。

しかし、やりきれなくなった吉法師は

ただ我武者羅に子供らしい我がままを

敢えて父信秀にぶちまけて見た。

 

「父上、見たいから見たいのです!!」

 

すると信秀はその言葉に笑みを浮かべて

微笑ましく黙って頷いて見せた。

礼儀正しく振舞う子供が、

子供らしく我がままを言った様に見えて、

信秀は寧ろ愛らしく感じたのであろう。

平手は信秀のその仕草を悟ってか、

それともそれが「答え」という意味か、

「若…それならば…城下へお連れしましょう。」

と、吉法師の申し出を認めたのである。

 

吉法師は寧ろ、

何故それで城下に行くことが許されたのか…

ある意味解せない。

しかし、父親なら自分の気持ちを解ってくれる…

子供ながらにそう感じたのは間違いない。

 

そして信秀は

「吉法師よ…見たいという気持も、何故という問いの答えだ!!」

と父親らしく吉法師に教えた。

平手はその言葉を聞いて敬意の表しの一礼を

信秀に捧げた。

ただ実際は平手自身、吉法師にもっと厳格な理由を求めていたのである。

 

「城下の民の暮らしを見てみたい」

 

もっと崇高な意味で理由を語れるまで、

学問を学ばせる中で答えを引き出そうとしていた。

平手としては

ただ好奇心で見たいというのでは、

城下を見る事の意義を感じさせられないのではと思っていた。

それは平手自身の経験から感じたのか、

それとも平手が考えた教育方針なのか…

寧ろ、吉法師の好奇心を煽り、

城下を見て回る意義が、頭の中で成立するまで

君主として帝王学として

その行動の意味を教えようと考えていた。

 

教育理念は人それぞれに異なる。

実際にどちらが正解であるかは、

教える本人ですら解らない。

その教え子がどう育つかで見えてくるモノの、

それが正解か不正解かはないのである。

 

平手がこの時信秀の言葉に、敬意を記したのは、

自分の思惑の中で起こる葛藤に

一つの区切りを付けてくれた事へのモノなのか、

臣下の礼として、または処世術として、

主に対して示しておくべき作法だったと考えたのか、

実際、政秀の心の内は解らない。

ある意味優秀な人物故に、

自分の引き際もわきまえていたと言える。

 

ただ、何れにせよ主君の命として、

吉法師の申し出を受け入れた事には変わりなく、

吉法師を城下へ連れて行く事となったのである。

 

しかし、この好奇心がいわば「うつけ」の始まりとなる事は、

後にも先にも、神のみぞ知る摂理なのであった。

 

どうも…ショーエイです。

暫くはこの形でグジグジ言わせてもらいます。

 

《香港と中国政府》

一般的には民主主義が

絶対の正義という認識だと思われてます。

実際に僕も、民主主義を大事に考え、

このブログでも語っていますが…

 

もっと大きな意味で、

自由と正義を見つめ直す上では、

中国の試みは実際は大事なのです。

 

いわば、我々の民主主義は完全ではない!!

 

選挙で選ばれた議員が

常に国民が安心できる様な

真面な政治を出来る訳では無い。

議員に成れる人間の資質は、

政治家としての資質ではなく、

権力いわば政治的に力を持った人間に

忖度できる人間が主流です。

 

また、日本の国会議員に限らず、

最近では米共和党であり民主党も

党の意向が優先され、

法案可決の個人的な見識は無視されます。

 

故に今の民主主義では、

力による意向に従う形が当たり前で、

科学的と最近言われる

いわばロジックに基づいた議論の下で

個々が法案の是非を考えて投票する事は許されません。

(日本では特に)

 

更には国民が投票する際に、

議員候補者の主張で選ぶわけでは無く、

むしろ野球の試合の様に、

どの党に勝たせたいかで選ぶ感じに成っています。

 

中国の共産党と日本の自民党…

大きな違いは日本は辛うじて選挙を介して

国民が国会議員に投票できるだけです。

実際に米国も同様に、

国民が国会議員を選んでいる訳では無く、

党が立候補者を選んで、

国民に選ばせているのが事実です。

 

逆に中国の方式は、

国民に選ばせる権限を与えていないだけで、

選別している過程はほぼ一緒なのです。

 

民主主義では、

国家運営に不満が有れば、

アメリカなら共和党が気にいらないなら、

民主党にという選択肢が有ります。

ただし、それは共和党に任せるか、

民主党に任せるかの選択肢でしか無く、

議員の資質を吟味して選ぶ形とは程遠いと言えます。

 

中国では逆に

国家運営に不満が生じたら

革命が起きます。

とても安全とは言えないシステムで有る事は

間違いありません。

しかし、国家運営に不満が生じない状態だと、

逆に民主主義より盤石です。

今の中国は疲弊していた30年前と比べ、

格段に生活レベルは向上し、

国家運営としては盤石です。

これを幾ら諸外国が非難しても、

ハッキリいて無意味なのです。

 

日本ですら腐敗している自民党政権、

いわば安倍政権を長期的に維持させていた訳で、

中国の人も今の習政権を覆す考えは、

民主的な選挙を以てしても覆らない。

寧ろ選挙で、

ドナルド・トランプvs習近平で行ったら、

中国では圧倒的に習近平が勝つでしょう。

たとえそれがジョー・バイデンでも、

間違いなく習近平が勝ちます。

ポンペオ国務長官はそういう現実を理解せずに、

中国批判して何の意味が有るのか?

ハッキリ言ってこの人アホです。

無論、民主党のナンシー・ペロシ下院議長も、

同じ間抜けです。

 

己を知り、敵を知る。

 

こういう程度の低い人たちに

権力を与えている民主主義。

未だ不完全なシステムで有る事を理解するべきで、

安定化した社会情勢では、

人民共和制(中国は実は共産制では無い)と、

民主制どちらが政治システムとして優れているかは、

判別出来ない話です。

 

ただ社会を安全に維持できるシステムとしては、

民主制では選挙による変革は可能で、

人民共和制では、暴力的な革命が

その変革を意味するモノの違いで、

中国政府が現状のシステムのまま、

政権を保持しようとするのは

諸刃の剣に成るのです。

 

実際に中国政府もこのことは理解しているため、

人民共和制の修正を考慮しているのですが、

香港の様な状態が発生すると、

温和な対応では通じないという認識を与えるだけで、

より強固な圧力に転じていくだけです。

 

今の中国批判は実は、

中国の温和な変革思考を阻害して、

中国の思考を旧体制に逆行させているだけの話です。

中国の意識が、

いわば政権では無く、

共産党員のマジョリティとなる数が、

共産党の権力保持に傾けば傾くほど、

昔の中国を呼び起こす作用を働かせるだけで、

強大な技術力と人口を抱えた国として、

より驚異的な存在となるだけです。

 

無知でも見える脅威は同じで、

無知はその見える脅威に怯えて、

自らを警戒することで

その脅威を結局は実現化してしまう。

 

あえてその脅威を相手と共有して、

理解し考える事で、

実際の脅威を遠ざける事は叶うわけです。

 

無知は失敗する事を前提で、

何の対策せず、対応に備えるだけ。

 

対応に備える事は常に心掛けた上で、

対策を講じて脅威を回避する事が、

科学的かつ論理的な思考なのです。

 

結局、ダメな時はダメで同じなのだから、

最善を尽くさなくてどうするの?

って話です。

 

孫子曰く

外交を以て敵を制するは上策、

戦争は最終手段であるべき

 

正にこういう思考の話です。

 

《人の構造は複雑》

 

「うつけの兵法」でも上記の様な外交の話は出てきます。

武田信玄、上杉謙信を外交で押さえ込もうとした

織田信長…

足利義昭の無能さがそれを阻害した。

多くの歴史家はそれを知らないで、

信長たまを誤解しているが、

暴れ狂った信長たまは、

全てが無茶苦茶にされたからの結果です。

 

室町幕府成立の南北朝時代、

連合に分かれた南北朝勢力が、

正当な天皇を掛けて戦い、

正当な天皇を立てる事で最終的には、

足利幕府成立で終息した。

 

応仁の乱

これも東西に分断して行われた状態で、

ここでは足利家をめぐって争われた様なモノ。

諸大名はその旗本で連合し、

最終的には和睦で終息。

 

こうした歴史の経緯から、

信長たまも義昭を有して、

上杉、武田、朝倉、浅井、

などと連合して戦国時代を終息させようと考えていた。

まあ、一番てっとり早い話です。

でも…義昭は将軍としての地位に驕り、

自らの無能な主張で信長たまと対立したのです。

 

「うつけの兵法」では

一応、創作上の逸話になりますが、

信長たまは「三国志演義」を語り聞かされた際に、

自らの憧れを「曹操」でも「劉備」でもなく、

「諸葛孔明」としたことにします。

そして信長たまは自らの主君として

足利将軍に「劉備」を求めていたのです。

これは心理分析上、

義昭と信長たまが対立する大きなポイントに成る点で、

劉備を失った諸葛孔明=乱世の織田信長で見れば、

奇想天外な天才戦略家の構図がマッチングしていきます。

信長たまは諸葛孔明同様に、

天下を平定した人物で有る事より、

天下を治める貢献を望んでいた。

いわば名声よりその実績を望んでいた訳で、

現世における「地位」=「将軍職」などには

全く興味が無かったという事です。

 

出世欲に駆られたイメージで見ると、

信長たまの奇行は理解しにくいでしょうが、

こうして見れば歴史資料に存在する話と

辻褄は合ってくるのです。

 

諸葛孔明に憧れていたであろう武将は、

明智光秀しかり、竹中半兵衛、黒田官兵衛など、

後世のイメージで多くが存在しますが、

何れも実は諸葛孔明からは程遠い。

竹中半兵衛はまだ近いかも。

でも、イメージは寧ろ「郭嘉」

 

歴史家の多くは諸葛孔明を知らなさすぎ!!

 

孔明先生はかなりの偏屈ものですよ!!

曹操嫌い、曹操ムカつく!!

絶対に曹操の下では働かない!!

 

実は徐州での騒乱時、この騒乱の地域で

諸葛孔明は思春期を過ごしたようです。

それ故に、曹操の噂も、劉備の噂も耳にしていたでしょう。

 

荊州=劉表の所領に移った際、

孔明は仕官したかしなかったは実は記述が無い分

不明です。

ただ、劉表の下では

出世できない=自分が何かを動かす力を持てない

と感じて、出奔してニートに成ったか、

それとも元々ニート暮らしでノホホンと過ごそうとしていたのか…

 

まあ、予想ではニート万歳な人だったんでしょうね。

ある意味、叔父諸葛玄の遺産が幾らか有り、

隆中の一角で小作農を雇い、多分特産物の栽培を行って、

行商に出る事で財を成していた可能性はあります。

故に三顧の礼で言われるように、

孔明を見つけにくかった。

貧乏なだけのニートが

劉備の耳に入る様な人物としての評価は得られないという

現実視点です。

 

また、例の奥様月英の逸話でもある通り、

工作品も扱っていた可能性も有ります。

一輪車=木牛流馬はこの当時から持っていたとも考えられ、

こうした奇抜な発明家であり、行商のセンス、

そして行商で回って得た見識など

周囲の著名人が一目を置く存在となっていたと考えられます。

 

これだけの功績の下で、

劉備にその噂が届いたのなら、

そりゃ貧乏ニートという話より、

明らかに興味を惹く人物という扱いには成ります。

 

ただし!!

孔明は元々人の下で働ける人物では無かった!!

 

偏屈モノで才能ある故に、

人が上に居ると、決断面で邪魔に成る。

自分の判断でしか動けない人だったのです。

 

そこは劉備に推挙したとされる司馬徽も見抜いていた事で、

故に「孔明(臥龍)を得たなら天下を取れる」

と、話したともいわれます。

いわば、

「この偏屈モノを参謀に招き入れるには、

それ相応の器の持ち主で無ければ使いこなせない」

という意味で、

司馬徽は劉備の人柄を見て相性が良いと察したとも言われます。

徐庶君は、寧ろ司馬徽が孔明を推薦する位の器ならと、

興味本位で劉備に近づいたと考えた方が

実は偶然としても辻褄が合ってきます。

 

実は、これが諸葛孔明の実態で、

信長たまの歴史上の軌跡を参考に

精神鑑定するとかなりマッチングするのです。

 

まあ、戦国の世に信長たまを

下に於ける人物がいたとするなら

斎藤道三と北条早雲くらいなもので、

何れも信長たまより先に死んでいる訳です。

 

因みに精神鑑定は簡単に考えてはダメなのです。

一般的には実績=人物で鑑定されますが、

それは成長過程の「天命」が及ぼす要素を無視しているから、

全く当てはまらないケースが多く存在します。

 

今回の第一話「天命」でも語っている意味は、

その個人が何に「宿命」を求めるのか…

そこには「欲」の分類も作用し、

出世欲、財欲、名声欲などが発生します。

 

この話では

「死」を悟るとある訳で、

実は信長たまが好んだ敦盛の句

「人間50年、下天の内をくらぶれば夢幻のごときなり」

が意味するところです。

人間はいずれ死ぬもので、

財も名声も全ては一時のものでしかない。

ここからが信長たまの信念で

天命を信ずるならば、

万民の為に世を平らにすることを目指すべきで、

自ら死した後に、

運を伴わずに平民として生を受けたとしても

その世を平穏に享受できるならなお望むべし。

 

人間の精神は基本的には利己主義です。

いわば自分本位です。

これは精神学上それが本質として

認められているモノです。

 

利己主義的に分析すると、

必ず「個人の欲」に結びつきます。

幸せを感じたいという欲

これがどこに存在するかも判定基準です。

いい意味でこの欲が現れると、

「家族愛」「交友愛」とか「動物愛」など、

心優しい作用として機能します。

そしてそれを守るために、

「財産欲」「出世欲」「名声欲」と、

複雑な作用を引き起こしてきます。

性善説も性悪説も関係ないです。

性善性の欲と、

性悪性の欲、

いわば味方を作る為の欲を性善性の欲、

敵を生み出す欲=

競争原理で誰かを犠牲にする行動が生じる

性悪性の欲、

人間には必ず生じてくるもので、

生まれた時はこれ全て無なのです。

子供が感じる性善性の欲は、

すべて孤独からの回避で、

甘えたりする行為に結びつき、

性悪性のモノは

好奇心からの悪戯から生じてきます。

性善性の欲は、愛情をはぐくみ、

性悪性の欲は、知恵をはぐくむ。

 

まあ、キリスト教の哲学で

堕天使ルシフェル(ルシファー)は

人間に知恵を授けたという一説は、

ある意味興味深い例えです。

 

これが人間の基礎精神の構造です。

この中で生まれた環境で様々な感性が構成されていき、

人間像に変化を齎していきます。

 

天命を一つの「魂」の要素として「仮説」すると

関羽が生まれ変わっても、

必ずしも関羽に成る事は無い。

 

武の達人として名声を得たものでも、

転生してその武を教わる事が無ければ、

その武が達人レベルに達する事は難しい。

武に対する興味が他に向けば、

その集中力と興味はその他へ向く。

 

遺伝子という複雑な機能が、

その興味を同じ方向に向かせない作用として考えられ、

体力の無い遺伝子を得たものが、

体力のある遺伝に体力で対抗する事は難しい。

遺伝子は魂が得るクジ引きの様なモノで、

「天命」が必ずしも絶対でない

公平な作用なのかも知れない。

 

これらの作用に加えて、

人生の誓約もその教育課程において

加わってきます。

「人を騙してはいけない」

「嘘をついてはいけない」

道徳過程で教わる話ですが、

ここでいう教育課程は…

人を騙さなくても有利になる実感。

嘘をつかなくても許してもらえる実感。

これらが無いと、人は言葉で教わる道徳を、

まったく身に付けません。

逆に人を騙した方が得をする実感や、

嘘をつけばバレない実感を経験すると、

人はそれを処世術として身に着けていきます。

 

この分野に成るとかなり複雑に成ってくるのですが…

簡単に説明すると…

遺伝子的に痛覚に耐性のある子供なら、

悪戯をして母親からクレヨンしんちゃんの様に

ゲンコツを食らっても平気で、

ある意味無理に嘘をついて身を守ることは

必要ないとうい成長に結びつくかも知れません。

逆に、遺伝子的に痛覚に敏感な子供は、

ゲンコツに対する恐怖心を覚え、

それから嘘をついてでも身を守らなければならない

という成長に結びつく。

 

こうした人間が遺伝子的に持つ耐性の作用で、

同じ教育でも全く異なる人格形成が生じるのです。

マニュアル教育が上手く行くはずないのはこういう事です。

 

人間の構造は本当に難しく、

マムシの斎藤道三=劉備玄徳なんて、

本当に成立するのかな?

劉備玄徳=イエス・キリストなら成立しそうだけど…

と、有り得ない事、有り得る事を

単純にしか見比べられないのも事実です。

 

ただ、斎藤道三=劉備玄徳は、

織田信長が唯一信頼した相手で、

斎藤道三も伝記上の話か、史実かまでは定かでないが、

織田信長を自分の夢を託す後継者として認めた事です。

斎藤道三は美濃一国でその勢力が留まり、

信長は天下統一まであと一歩のところまで進んだ…

玄徳が孔明無くして蜀を得る事が叶わなった

そんな関係でもある様に見えます。

こうした因果関係からも有りうる「仮説」なのです。

 

おお!!本編より愚痴の方が長くなって、

オッサン先生にクレーム言われたぞ…

では、失礼。