どうも…ショーエイです。
皆さん、良識を思った考え方がネット上で
あまり目立たたいのは何故か考えた事有りますか?
実はこれ最近、世界的に理解され始めた事ですが、
攻撃的な人間ほど他人を蔑む事に躊躇せず、
攻撃的に成れない心の優しい人間は、
逆に彼らと同類に成りたくない意味で、
彼らとの議論は避けようとするのです。
故に、攻撃的な人間はネット上の中で、
あたかもマジョリティとして残り、
良識的な意見を排除しているのです。
例えば、戦争理論。
良識ある人は戦争の必要性が今の社会には無く、
寧ろその警戒心が再び刺激し合って、
グローバル社会に亀裂を生じさせる要因に成る事を、
理解してます。
しかし、戦争論者は常時相手が騙してくることを警戒し、
それに備えて何時でも戦争できる準備をした方が良いと、
主張してきます。
まあ、中立的に考えるとどちらも正しく見えるのは事実です。
しかし、論者の性格性から、
平和主義の人は人と争う事を望まない故に、
無駄に平行線に成るような議論は避けます。
逆に戦争論者は、人と争う事に躊躇しない故に、
シツコク攻撃性のある主張で、相手を打破しようとします。
故に、平和主義者は大人として、
そういう人をイチイチ相手にしない姿勢故に、
ネット上ではコメントを避ける傾向に進むわけです。
逆に、攻撃的な人たちはコメントを続けて、
それらが集団性を帯びる事で、
あたかも意見がマジョリティで有るかのように君臨するのです。
恐ろしいのは
中立に立って考える人で、
彼らは逆に意見の大衆派を
正論なのかなと認識してしまう事です。
どちらの主張も正しく聞こえる訳で、
実際に中立の人はそれほど問題に
興味を持っていない感じです。
ある意味、政治の事は政治家に任せておけば良いんじゃないのと、
大きな関心を抱いていない訳だから、
多数派=民意なんだという認識で終わらせてしまうようです。
と、ここまでは世界の総体的動向で考えた場合の見識です。
これに民度というものが加わって、
更にその傾向が大きく別れるてくるわけです。
ある意味正義感の強い人が多い国では、
間違いは許せないという意識が強く、
議論でとことんまでやり合う事に躊躇は無いです。
【論理で大衆に伝える姿勢】
攻撃的な側、平和的な側双方が論理を詰め合わせて、
徹底的にやり合う姿勢に成るゆえに
「論破」なんてしょうもない勝ち負けの価値は存在しません。
ある意味、貴方はどちらの意見に賛同しますか?
と言う姿勢で議論するからです。
大衆に対してより明確なメッセージを伝える方が強い
という形に成っていきます。
大衆の求めるポイントを理解した上で、
論拠の無い言葉は無視される傾向にあります。
日本のネット状況と異なる形で説明すれば、
「それは君がオカシイからだ」
と、根拠も無く言い放つと、
「根拠が出せないならこの議論は終わりだね」
という勝利宣言で返してきます。
議論を活発に行う国では、
大衆は、前者を言葉に詰まった側、
後者はまだ言葉を持つ側として認識します。
更に大衆を意識した議論故に、
双方が相手の意見に寛容になり、
聞く話は聞いた上で、自己の足りない部分を補足しながら、
思考していく傾向に成ります。
的を外したり、大衆に響かない極論では、
自分の説得力が不足してしまう事を意識しているからです。
ある意味、これ意識できない日本のネトウヨみたいなものは、
真っ先に馬鹿にされます。
アメリカの弁護士を例に考えて見れば、
彼らが主張する相手は、
常に陪審員を意識しているという点で理解できると思います。
如何に陪審員が納得するように答弁をして、
より明確な論拠を提示するかなのです。
故に、日本の様に判例が云々という弁護術は、
何の根拠も持たない話に成ります。
判例はあくまで裁判官が過去に出した参考であるという扱い。
最近は日本でも判例は余り使わない感じも有りますが…
【味方の加勢を促して数で圧倒する低民意】
日本はこの例が良く当てはまる国で、
上記で述べた中立の人たちが流される点でも、
最終的に民度の低い国に成るわけです。
民度が低いというのは、
国民または市民が自己の権利を理解せずに、
大衆の流れに殉じて自分の見解として合わせてしまう事を言います。
いわば何故その見識に成った?
と聞けば、
有名な大学教授がこう言ってたから、
とか、
皆がそれを支持しているからなど、
自分の意見として明確に感じていない状態に成るからです。
彼らにとっては論拠の内容では無く、
どれだけの人数がその意見に
賛同しているかだけが焦点です。
一見、説得力のある言葉なら、
賛同する票数が自然上がるのでは?
という事も有りますが、
そこで語られている内容が全く別物という事に成ります。
日本に限った話では有りませんが、
ブレグジットの投票の際、イギリスの国民の殆どが、
ブレグジットの意味すら知らない状態だったという事で、
投票したケースがそれに当たります。
そして彼らの理解はイギリスがEUから独立する。
「独立」という言葉に惹かれた感じだったケースが
これに当てはまります。
いわば「いいね!」の数が全てみたいな現象で、
「いいね!」が付くならその為の話をすればいいというだけの
内容に成ります。
論拠よりも「都合のいい言葉」、「綺麗ごと」を並べてれば
良いだけの話で、
寧ろ難しい論拠は「理解できないもの」として
好まれない傾向も生じてます。
「???」
正直、この国の民度程度なら騙そうと思えば
簡単と言う事を先ずお伝えします。
いわば「日本の為に」「国民の為に」という綺麗ごと強調すれば、
「何が日本の為に成るのか」、「何が国民の為に成るのか」
という論拠は求められないからです。
ある意味、難しい数値やら、難しい根拠を提示しても、
興味のない中立な立場の人たちは、
「良く解らないな…」
という感じ成るのがオチで、
経済状況やら、世界情勢を説明した所で、
それを理解しようという努力すらしないのです。
ブレグジットの話で言えば、
EUから離脱したらどういう問題が発生する。
逆に離脱後イギリスは何を失って何を得る?
そういう情報はほぼ参考にされずに、
「独立」という言葉を選ぶか、
このまま「共存」という言葉を選ぶかの選択で、
「独立」という響きが格好良く、
イギリスのアイデンティティを得るような印象で意識された感じです。
単純に「独立」という言葉を意識すれば、
ロックでカッコいい響きに聞こえてきます。
他人に頼らず、自分達だけで頑張ろう的なニュアンスとして。
故にネット上などで、
「やっぱり憲法改正は日本に必要だな。」
「北朝鮮が攻め込んできたらどうする?」
と解りやすい内容で煽って、
「自分たちの国は自分たちで守ろう!!」
なんてのをバイト君たちに連呼させれば、
大衆にはそれが齎すリスクなどは考えもせず、
寧ろ論文並みの反論など読む気にも成らず
響きの良い言葉と
皆が正しいという流れに惹かれて
という考えに成ってしまうのです。
論拠で説明すると、日本が世界に示すべき平和主義の価値だとか、
国際協調が進む中での軍備の不要性と拡散防止など、
逆に人受けの悪い論調に成ってしまい、
何が世界平和に大事かは論理理解できない人には
解らない話になるのでしょうね。
彼らが理解する時は、
戦争で大きな被害が生じた後でしか無いのも事実だし。
【嘘がバレると怖いから隠蔽しちゃう社会】
論拠を突き詰めて考えてない人たちも、
「嘘」とバレれば信用を無くします。
実際に戦争に成って多大な被害を受けた時に、
政府が勝てると言っていた「嘘」を
その時になって批難しはじめます。
民度の高い人達は、
「嘘」に騙されない様に慎重に内容を考えようとします。
それゆえに「嘘」に対しては過敏に反応もします。
国民、市民の「嘘」への監視が高い故に、
その「嘘」で生じる国の被害は最小限に抑えられます。
※嘘はどの国にも存在する。
ところが民度が低い国では「嘘」への関心も緩いため、
「嘘」に寛容になり過ぎて、
気付いたときには「嘘」の社会に飲み込まれます。
これに輪をかけて日本の場合は、
責任逃れの「嘘」の習慣が横行していて、
寧ろ「隠蔽」という手段は「賢い選択」みたいな感じに成っています。
本来、正義感の強い国では有り得ない状態で
「隠蔽」が可能になっている。
政府との忖度などがその症状を悪化させていると言えます。
ところがこの「隠蔽」日本政府には忖度して隠せても、
外国では直ぐにバレます。
「リコール問題」がいい例な訳ですが、
最終的にこうした「リコール問題」で
日本企業の信用は落ちたという事です。
それ以前に、サービスの中でクレームに対する
「隠蔽」が有ったなどの点は察するべき状況で、
親切、信用のメイド・イン・ジャパンはとうの昔に
世界では意識されなくなったとも言えます。
嘘がバレない様に隠蔽しても、
隠蔽した事がバレたら、
信用を失うのが当然なのですが・・・
【誰もが責任逃れを意識する国でのネット環境】
責任感の無い教育の齎した現象です。
いわば責任を取りたくない故に、
「不味い事は隠してしまえ。」
が、この国の有様です。
バレなければ大丈夫というのもこの国の国民意識に有ります。
それ故に、社会全体がこうした隠蔽に関して、
「誰もがやってる事」
で、許しているのです。
誰かがこれを「悪い事だ!!」と言っても、
「お前も浮気したりするだろ。」
という感じで、
「誰も叩けばホコリが出る」
という感じに終始します。
これをオッサン先生に言わせると、
「境界線も用いずに皆で許し合って、
最終的に皆で大損しているのがこの国の現状。
そして皆で日本の信用を落としている。
信用できない国と誰が真面に取引する?」
オッサン先生のいう境界線とは、
個人的な事か、社会的な事かの区別くらい付けて考えろという事。
浮気は個人的な事。
迷惑を掛ける相手も限定されており、
仮に責任取るにしても、
法律上離婚がなどが成立し、慰謝料を支払う形で
責任を取ることに成る。
ところが社会的な隠蔽では、
迷惑を被る数に対して、社会的責任の追及もかなり難しい。
企業の不祥事を糾弾するのも、
普通に考えると簡単では無い。
ましてそれが日本政府であった場合、
ハードルは更に上がる。
結局、個人的にバレた時の責任を取るレベルで、
企業や国の社会責任を許してしまっては、
企業や国は社会が許して騒がないから大丈夫という事で、
隠蔽したまま無かったことにしてしまえます。
それは個人個人が何らかの権利を侵害された時、
何にも出来ないという大損を被るだけです。
電通で起こった過労死の問題など、
誰かが死んで初めて対処するでは、
常に遅い訳ですし、
ハラスメント等で自殺者が出た、
虐めで自殺者が出た。
など、死んで権利をアピールして初めて注目されるのも、
民度として恥ずかしいと感じるべきと言えます。
国民が常時、これらを厳しく監視し、
許さない姿勢を持てないのなら、
日本人は権力(政府に限らず、企業でも)の下の
奴隷で居続ける国民なだけです。
民主的な見地でこれを見ていると、
日本人はアホなのか?
としか言いようがない。
それで以て、自分たちが民主国家である
という自信を植え付けられている。。
これは虚偽民主に近い状態で、
何れは再び一部の権力者に逆らえない国に落ちていくだけ。
いわばこの国のネット社会は、
媚び諂い、忖度、隠蔽が正論であり、
弱肉強食が当たり前と言うレベル。
パワハラも、サービス残業も、
黙って会社に従え。
それで給料もらって生活してるんだから、
仕事があるだけ感謝しろ。
まあ、仕事に対するモチベーション滅茶苦茶下がるし、
IQ高くて優秀な人は、
こんな社会見限って、
自己の権利が認められる国や企業に行ってしまいますわな。
日本人は自ら日本と言う国の価値をこうして貶めて、
何の魅力も与えない国で満足しているという話です。
普通の先進国からしたら、
間抜けな人種だねと見られても仕方ないですよね。
それで日本は良い国、素晴らしい国だなんて、
心地の良い言葉に惑わされているだけです。
確かに、日本には心優しい人が多く住んでいるので、
嘘では有りませんが、
それらの善良な活動を利用して対外的にアピールする人達は、
醜悪な嘘で固めた人たちで有る事は誠に皮肉な話です。
損してるか損してないか?
仕事があるうちは気づかないんだろうね。
でも、これから減給やら仕事が無くなって、
初めて気づいても、
回復力は遥かに乏しい。
良識ある人がもっと強く戦わなければ、
本当に善良な国民の粋な心は、いずれ廃れてしまうかも・・・
権利を守るとかって話は
直接的な利害には関係ない事だけど・・・
何故中国よりアメリカに魅力を感じるかを考えて欲しい。
アメリカの方が権利保護の精神が保証されているから。
これが大きなポイントだと思います。
これをじゃあ、傍から見た日本として見れば?
日本は移住していい国に見えるのか?
実態を知った人たちで、優秀な人たちは、
確実に日本は敬遠します。
さて、失楽した技術大国日本。
日本人だけで何とか戦えた時代は既に終わってます。
グローバル化で世界の技術水準であり、
教育水準も向上した現状で、
より優秀な人材を確保した国がこれからはより強く成ります。
日本は人材の過疎も進んでおり、
日本人で優秀な人は、
野球やサッカー同様に、メジャーでビッグな所に向かいます。
サッカーの様により強いブランド力のあるチームに、
より優れた選手が集まって、
より強い成績を残す様に、
多くの企業がそれと同じ競合を人材に与えている訳です。
TOYOTAは頑張っているが、
果たしていつまで世界の強豪で居られるか。
SONY、PANASONICなどは、
ほぼ中堅に近い企業に成りつつある。
日本にレアルマドリードの様な企業を置かない限り、
この国はドンドン埋没していくだけです。
さて、隠蔽気質で責任感の無い、
パワハラ体質の国に、
誰が好んで来ると思いますか?
これを変えるのは
国民一人一人の権利に対する意識変革からです。
隠蔽なんて政府の隠蔽は絶対に許しては成りません。
コロナの情報すら疑って見るべきと締めくくります。
まあ、難しい話故に、民意の低いネット民は
スルーする話に成るので残念な国としか言いようが無いのですが…