野党が100%勝つ方法…新民主主義!! | ショーエイのアタックまんがーワン

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タッグチームLiberteenの漫画キャラクター・ショーエイが届ける、笑えるブログ・ショーエイの小言です。宜しくお願いします。

どうも…ショーエイです。

最近、ネット上の情報を見るに、

日本の意識が少しづつ変わりつつある様に感じますが…

与党に限らず野党も含めて

政治家全体はどうしようも無いと感じる今日この頃です。

 

野党が結束するしか現・与党に対抗する手段はない訳で、

どれだけ政策を立派に唱えようとも、

その政権奪取へ向かう勢いを感じさせなければ、

結局は誰からも期待されないだけで終わるのです。

 

枝野さんが(今はさ付けしておきますが)どれだけ人格者として振舞っても、

所詮は政治家のパフォーマンスにしか見えないと言えばそう成るわけで、

政権交代などの変化に興味を持たない層を惹き付けるだけの魅力は全く有りません。

残念なことにこういう現実を把握していない故に、

今度は期待外れ感が応援していた層にも浸透していくのです。

 

オッサン先生も…立憲民主党は期待できないかも…

と諦めモードに入っており…

選挙に態々行くより、寧ろ選挙に行かない選択肢が先行する感じです。

こういう雰囲気は現状の日本社会に大きく蔓延しているのでは無いでしょうか。

 

政治家が直視すべき事は、

個人の一票は所詮は一票でしかないという事。

しかし、その一票が大き9な流れを産む一票で有れば、

それを投じる意義が存在する事。

その流れを変える一票で無いのなら、

無駄な足掻きと諦めてしまう。

 

如何に、次の選挙で一人一人の一票が

日本の流れを変えるか!!

ここを最大限にアピールしなければ、

選挙に行く価値すら失わせるだけです。

 

【新民主主義】

野合言われる野党連合で、

個々の政策が合致することは無い点は現実的に把握すべき事です。

把握するとは、理解しているという意味では無く、

そういう状態に成るという現実を受け入れるべきです。

その上でこの連合をどう纏めるか。

 

先ず、枝野さんはご自分たちが「吐いた唾を飲みなさい!!」

十分な議論とういう点を主張し、

審議に時間を掛け、国民が納得いくような政策に練り上げるべき

という事を良く主張しています。

 

成らばご自分たちがそれを実行すれば良いだけの話です。

ここで「新民主主義」というフレーズに成るのですが、

意見が対立し、双方の議論の修正が困難と成った場合、

国民にネットによる参考投票を行わせるのです。

参考投票はあくまで参考投票であり、

それによって議決の勝敗を決定するモノでは有りません。

ただ、参考投票の結果を受けて、

個々の議員が賛否どちらに投票するかは自由な判断とすべきです。

また、参考投票を行った際は、必ず記名投票を実施するべきで、

どの議員がどちらに投票したかを明確に開示するようにします。

 

これは個々の議員に与える国民からの心理的なプレッシャーでもあり、

党内の案件に票を投じるのか、

それとも国民の選択に票を投じるのか、

議員としての誠実な考えを極力反映させるためのシステムです。

 

無論、何でもかんでも参考投票を用いる必要性は有りません。

議論の仕方によっては、

反対意見を参考する事によって修正を加えながら、

原案よりも確りした法案に持って行けます。

特に、日本の政治家はこういう労力を行うべきで、

それによってせ施工後発生する副作用を克服できたり、

更には国民の多数が納得いくようなものへと成っていく訳です。

 

日本人は自らの考えに固執するがゆえに、

柔軟な議論が成立せず、

結局勝った負けただけの物別れに終わってしまう。

日本に限らずとは言えますが…

アメリカもそこまでスゴイ議論がなされてるとは言い難いのも事実ですが、

日本はそれ以下です。

 

優秀な人間はロジック(論理)の構成を重んじて、

結果、柔軟な議論を受け入れる。

ある記事で、Appleのスティーヴン・ジョブズの話を読んだのですが、

かなり独裁的な存在だった彼の評価は、

「常に正しい選択をする人」というモノでした。

それは自分の意見が論理的に間違っていたと知った場合、

悔しそうにしながらもそれを認めて自らを訂正できたからだというのです。

故に結果としてその選択肢は論理的に正常であるモノが選ばれ、

無茶な自分の間違った論理で失敗することは無い選択に成るのです。

 

まあ、オッサン先生に言わせれば…

アメリカ社会の風潮で育つと、結構当たり前の様だが、

それでも普通の人は論点を見失ったり、

本来の目的を見失ったりして、

議論中に混乱するケースが多々あるので、

ロジックの構成を常時見失わないで考えれるのは

才能が無いと出来ないのかもしれない。

※論点ボカシの揚げ足取りで議論が

すぐにグジャグジャに成ってしまうケース。

北朝鮮の非核化実現とそれに伴うロシア中国を巻き込んだ

大きな戦争の回避…

これが本来の目的。

それを忘れて行き成り北朝鮮が信用できなくなったから、

やっぱり戦争へ…

それで中国とロシアが北朝鮮を支援する状態では

本末転倒…

論点を整理するならロシアと中国が北朝鮮を見限る様な状態で

構成すべき話で、制裁解除に応じずとも交渉は先ず続けていくべき。

ディールの話じゃ無いのだよ…

 

では…例えとして原発の賛否で考えます。

これに伴い新民主主義も合わせて説明いたします。

東北震災で起きた福島原発の事故が発端で、

原子力発電所の安全性が色々と囁かれている訳ですが…

安全性の議論となると…

100%の安全は無いという主張と、

福島で起きた様なケースは偶発的で、

今後の対応で十分に克服できるという主張でぶつかります。

これを元に、原発の稼働を許容するか否かは、

真っ二つの議論に分かれるところで、

平行線を辿るだけです。

 

では、それに伴う社会的な要因を考えましょう。

A. 原発稼働すれば電力供給の際のコストが抑えられ、

その分、電気料金の値下げに還元できる。

(政治家が主張する場合、電力会社に

その値下げが成立する事を担保しなければ成らないです。

ある意味、原発稼働を許可する場合、

電気料金の大幅な値下げが絶対条件として

電力会社に義務付ける形の誓約を取り付ける。)

 

B. 安全性という対価が料金上昇分で賄えるのなら、

安全性を取る方が良い。

 

このAとBでも国民其々の生活意識から議論が分かれます。

 

そして最終的に・・・

クリーンエネルギーの研究によって原発に代わる

安全エネルギー供給を目指す。

というポイントは誰もが理解できうる点ですが…

 

それまで原発は稼働させるか、

それまで国民に電気代を過剰に負担させるか…

 

こういう物別れな議論に成ります。

 

その中で本来考えるべき議論は…

原発を稼働させずに、国民に電気代を負担させなければ良い。

という事を考えるべきなのです。

 

これをなにも考えようとせずにその両立は無理として物別れに終わってしまっているのが、

現状の状態です。

 

①税金で燃料上昇分を補填する。

だったら他に使うべきという議論が生じます。

特に、防衛費との兼ね合いで考えれば…

防衛費を削ってそれに充てれば100%とは行かずとも、

かなり負担軽減に成るのでは・・・

 

②日本の産業コスト軽減化には電気代の値下げは大いに貢献できるのでは・・・

③個々の家庭内の電力出費が抑えられる事で、余剰金が発生して国内消費にも貢献するのでは…

 

正直、こういう議論の下で、

原発NOでも電力代軽減という両立が可能かという点に絞って、

様々な見識、見解を募り、

資料と照らし合わせて、

ベストに近づける試みを討議すべきです。

※ここまでが新民主主義の第一ステップ。

 

それでも両立が難しいという事に成ってしまったら、

政党の主張や個々の主張でも

ある意味平行線を辿るモノゆえに正解は無いのだから、

国民に参考投票を募り、

①原発NOか

②電気代軽減のために原発を稼働させるか
 
ネット投票という簡易的な方法で選択してもらうべきです。
(新聞の調査ではなく、国が投票ページを設けて投票してもらう形式を取ります。
その際に、マイナンバーによって一人一票を管理するシステムも活用します。)
 
その投票を促すにあたって、政治家は自身が支持する政策を、
国民に説得しなければ成らないのです。
故により解りやすく国民に利点が伝わるように努力しなければ成らなくなるのです。
 
そしてそうした活動の上で、参考投票の結果が出た時は、
自分の指示する結果とは異なっても、
自分の説得力が足りなかった事を認めて投票結果に従うか、
それとも自分の意思を貫くかを選択します。
 
【重要なポイント】
自分の主張を曲げることは自分を支持して
選挙で投票してくれた人を裏切るという意味で考えがちな状態ですが、
参考投票に従うという事は、国民の票決に従うという行為で示せるため、
議員選挙での有権者を裏切る意味とは異なるモノとして成立します。
 
新民主主義に於いては、
政治は有権者の票田を搔き集める為に行うのではなく、
如何に有権者を含む国民の為に政治を考えるかに重点を置くものです。
それに伴い有権者も、党派で選ぶのではなく政治家その人で選ぶべきで、
政治家のリベラリズムを助長して、党の政策に固執するのではなく、
政策の論理的構成に重点を充てた熟練した民主制を促します。
 
野合として連合で挑む野党が主張すべきマニュフェストは、
この新民主主義のシステムで有り、
これが成立するのであれば、各党の政策がバラバラであっても
最終的な纏まりは保証するモノとして寄与します。
 
令和という新時代にこのシステムを看板に立ち上がれば、
日本はおろか世界中から注目を浴びて、
大きな期待と共に、一代ムーブメント引き起こすだろうと自信を持って主張します。

 

正直、日本は新しい時代を迎えます。

「令和」に賛否両論あるけど…

そんな命名の話よりも、

もっと新しい時代に新しい日本を生み出そうという

気概を持つべきだと思います。

 

もっと国民が正常に考えるような議論を

国会の中で示してほしいです。

面白いモノで、

国会の程度の低さが

その国のネット議論のレベルを表している感じで、

先ず国会のレベル向上から
国民のレベル向上を目指すべきだと思います。
 
まあ、今の幼稚で誤魔化しだらけの国の最高機関があれでは
国民もあの程度が最高の手法だと勘違いするのも無理ないかも…