
どうも…ショーエイです
2つのネーム原作賞へ作品を出しましたが…
全くダメです…
まあ、一つはタイトルをどこにも書いていなかったので返却。
もう一つはそのままダメなわけですが…
両作品とも改めて見直したり、知り合いに意見を聞いてい見ると
構成上修正すべき点が見受けられ
最初の数ページが雑に感じる点に気付きました。
返ってきた方はまた後で話すとして、
返ってこなかった方は、コメディタッチに作った作品だったのですが…
最初の5ページのセリフを考えすぎたという点で、
難しいだろうということは既に発表前に感じていたので、
発表の結果にショックは無かったわけですが…
発表されたタイトルから割り出した受賞作品の傾向や、その他雑誌で出てくる受賞作品または短編の内容を精査するに、長編向けのモノで、短編風に構成するのは難しいだろうと感じました。
ある意味、内容が濃すぎて54ページでもコマが詰まってしまうのと、大事なポイントにコマの大きさでインパクトを与えるのが難しい点、コマ数の関係上詳細を盛り込むのに言葉が多くなる点が障壁と成ってくるのを常々感じます。
それでも以前出した「魔仙妃」は上手く出来た構成だと思うのですが…
全体的にノッペリした感じに成ったのかな…
ノッペリ…いわば新鮮味を感じない作品にみられたのかもしれません…
そう考えて返却された方の作品を改めて見直しました。
内容自体はインパクトのある話になると思たのですが、
これまた詰まりすぎて、
読み手が何度も読んで詳細をつかまないと
難しいという点に気付きました。
いわば細かいポイントをセリフにして盛り込んでいるのですが、
セリフを意識しないと気付かないという点です。
書き手は書いてるから大丈夫だろうと考えていたのですが、
読み手にとっては苦痛に感じる状態なのだろうと感じます。
漫画故に活字に頼らずという点は理解していたつもりでも、
どうしてもページ数の限界で詰まってしまう事が避けられません。
そこで、ある雑誌の募集では文字原作でも良いと書いてあったので、
とりあえずその返却作品を脚本風にアレンジし始めました。
脚本風なら逆に手馴れているので書きやすい点があるのですが、
情景を想像しながら作ってみると
漫画54ぺージ分では作品の1/3に届かなくなることに気付きました。
まあ、もともと120分の映画の容量で構成したものです。
大体、18ページの一話が12分相当のアニメに成るといわれており、
54ページ=18ページ×3は=12分×3=36分程度と成るわけです。
映像の流れで小物や仕草を細かく表現して作品を作るという点では、
漫画も同じ構成なわけで、
そうやって(絵を描かなくていい為)想像力だけで構成すると
妥当なボリュームはそうなると判断しました。
とりあえず返却された賞の方はこの脚本で出してみようと考えてますが、
他のネーム原作賞に関しては、
36分程度の作品で勝負せねば成らないと
頭を切り替えてみることにします。
まして45ページというモノならば
30分程度で収まる作品なわけで、
映画ではB級と言われる内容…
いわば内容が単調で解りやすく焦点が伝わるもの…
を目指してみます。
B級映画と表現するのも、これが短編の特徴で…
実際に金を払ってまで読むか?
と言われると疑問に感じるレベルだけど、
見れば「ああ成る程ね」と納得はできるという作品の意味です。
某編集者は「次読みたい」と思われる作品で無ければなんて言いますが…
正直、一般読者の感覚では短編でそれは有りえない話です。
次は無いけど、でも、この纏まりならというモノが
賞で評価されているというのが実態です。
勿論、次は無いと感じるのは個人的な感性かもしれませんが…
そこで例えとして、
名作「ロッキー」という映画を題材に
多少のオリジナルを加えて短編構成の荒筋を考えてみましたので、
それを元に説明します。
ある時、KO負けが一度もないというだけが取り柄のボクサーにとてつもない試合が舞い込んできた。
相手は同ミドル級世界王者で、彼はイベント試合という名目で対戦者を抽選で選ぶという遊びを試みた。
無論、名目上タイトルマッチではあるがその趣旨はチャンピオンの圧勝劇を見世物にするというモノでしかない…
そして、その抽選で選ばれたのが主人公の「ロッキー(またはラッキー)」である。
イベントがイベントなだけにロッキーは全く喜べなかった…
彼は自分がその見世物として晒される状況を既に察していた為、
逆に自分に不運訪れたと感じ始めた…
そんな中、トレーナーのミッキーは「チャンスをものにしろ!!」と喝を叩きこみ、
彼を何とか試合までに仕上げようと試みる。
ロッキーは試合が近づくにつれて更に不安が心を蝕んでいく…
そんな中、ロッキーは恋人のエイドリアンに慰みを求めるのだが、
エイドリアンは「今はダメ!!」の一言でこれを拒んだ…
恋人にまで見放されたように感じたロッキーは、
心を塞ぎこみそのまま試合へ挑んだ…
リングへ上がるや自分が見世物として晒される事にいよいよ覚悟まで決めた。
試合が始まるや、ロッキーはただ防戦一方で良いように殴られるだけ…
それでもガードはいつもの様に固くダメージは少ない…
しかし、相手に浴びせるパンチは全く出すことは無かった。
トレーナーのミッキーはロッキーに攻撃の指示を出すが、
塞ぎこんだロッキーは
「どうせ俺は見世物だ…悪あがきをして惨めな状況を悪化させたくはない…」
と言って全く耳を貸さなかった。
さすがのミッキーもそんなロッキーに見切りをつけて諦めかけた7ラウンド目…
心配でリングサイド近くに駆け寄ってきたエイドリアンの口から、
思わぬ言葉が…
「お腹にあなたの子供が居るの!!せめてあなたの諦めない姿をこの子に見せてあげて!!」
その思いもかけなかった言葉で仄かな希望を見出したロッキーは
突如、闘志を蘇らせるのであった。
チャンピオンはここまで防戦一方の相手に
飛ばしすぎるかのペースでパンチを浴びせていた。
それ故にスタミナに思わぬ盲点が生じていた。
そこへ急変したロッキーが攻勢に転じるや、
チャンピオンのアポロは思わぬ一発を浴びてよろめき始める…
そのよろめきを逃さず攻めたロッキーは
7ラウンド目でとうとうKOを奪い、そのまま勝利した…
(推測でここまでで45~60分で、エイドリアンとのシーンを省いて30分位です)
(さらに試合で7ラウンド目のKOでは決まらず、映画の様に最後まで打ち合いのシーンを盛り込むと60分オーバーの構成に成ります。)
ただ、映画ではアポロの再挑戦でパート2が出来たけど…
漫画のパターン本来ならチャンピオンになった時点でお腹一杯な感じです。
そういう意味で次は無いかな…と感じる訳です。
勿論、脚本時のロッキーはB級扱いで中々製作会社から
相手にされなかったという話は有名ですが…
実際に映画に成るとアカデミー賞まで取っちゃうくらいの大反響…
そういう意味では、シーン構成や撮り方次第では大作に化けちゃう訳です。
漫画にしてもコマ割りや絵の雰囲気で続きに興味を持たせることは可能です。
でも、ネーム原作いわば脚本の時点でそれを求めるのは…
映画を撮るのがその映画監督であるように、
絵を書くのは画の書き手なわけです。
そしてその二つを結び付けるのがプロデューサーなわけで、
いわば編集者に成るのです。
まあ、そんなすごい才能の持ち主(編集者)に出くわすことを
期待する方が無茶な話で…
とりあえず頑張るしかないのが現状なわけですが…
まあ、話は戻りますが、
それでもちゃんとドラマチックに仕上げようと思うと
45分~60分近くのボリュームには成り、
ページ数で言うなれば65~90ページものには成るわけで…
それを45ページ位に纏めると、
ドラマの部分が淡泊に成るか、
試合のシーンが淡泊に成るかの構成に成りそうです…
こう考えると賞を狙った漫画の構成は、
更に単純な話にしなければ成らない…
心情の変化や、
ドラマ部分…
主な登場人物に至っては3人くらいで納めなければ…
そして且つ面白い(ああ成る程)と感じさせる作品なわけで…
短編なんて…と感じる毎日です…
ただ、ここで勝負しなければ、
次に進めないのが現状で…
故に迷走中な訳です…
まあ、高飛車に愚痴を言わせてもらえば、
「俺にB級映画を作れとはどういう事?!」
的な感じで奮闘してます。

まあ、傍から見てればランクを落とすなら簡単だろ…
なんて思うかもしれませんが…
作っていると、もっとこういう表現が有った方が面白くなるとか…
こういうシーンが有ればこういう伝わり方が…
など…脚本から構成し始めると余計に見えてきます。
作品に対しては細かい故に、
細かいことが気に成る分、
どうしても書きたくなる…
細かいことが気に成らなくなる作品を考えるが…
何だか単調すぎて…
これで良いのかという葛藤が生じる。
逆にネームで絵を描くと…
面倒だからこのシーンはこの絵で纏めちゃえ…的な感じで行けちゃうのですが…
後で見ると、詰まりすぎな感じが否めなくなる。
そこで演技(キャラクターの仕草)の演出部分もこだわりだすと、
今度はページ数はいくらでも延びちゃう…
まあ、脚本と漫画で一点だけ違うのは、
映画ではあまり心情を言葉にすることは有りません。
演技の仕草で読み取るのが常套手段なわけですが、
漫画では、心情を言葉に書いてもいい…
というより心情を言葉にしてしまうという事です。
意外と脚本とのギャップでその辺は戸惑ってますが…
まあ、とりあえず色々試していく感じです…
因みに…その他の近況は…
安保法制の裁判は、
未だ棄却報告は有りません…審議継続中です。
為替のルーブルは予想通りだいぶん下落して、
現状ホクホク状態ですが未だ予断を許せません。