どこでも学びの場 | 辻川泰史オフィシャルブログ「毎日が一期一会」Powered by Ameba

どこでも学びの場

自分の成長の為にどれだけお金、時間を使っているか?

 

もっと自分の成長の為にお金や時間を使いたいとは思っているけれど、日常の生活で余裕がない。

 

余裕が出来たら、お金や時間を自己投資する。

と考えている人は多くいます。

 

余裕とは、

いったいどんな状況でしょうか?

 

貯金がいくら?仕事の状況は?月給は?余暇時間は?

 

明確にしている事が大切だと思います。

 

それが明確でなければ、いつになっても自己成長の為に投じる時間、資金は生まれないと思います。

 

余裕がある状況を明確に持っていればそれに向かうステップのビジョンも見えやすいはずです。

 

ある本に書いてありました。

 

流れ星を見た瞬間に、願い事を瞬時に言えるか?

 

瞬時に、言えるような「夢」や「目標」、「欲しいもの」、「得たい事」等を常に心に持つ事が大切です。

 

時間にも金銭的にも余裕がない時でも何か出来る筈です。

 

私は25歳の時に数十冊の本を買いました。

 

兵法三十六計、思考は現実化する、盛大な人生、など

 

買った本の中には分厚く買ったものの、

1年程、本棚に飾ってあっただけでした。

 

ある時、ふと、目にとまり、読み出しました。

 

朝まで寝ないで読んだ本もあります。

 

それが、今でも活きている事が多くあります。

 

私自身は経営者として未熟さを感じた際に

読書とセミナーなどへの参加をしました。

 

読書嫌いだった私が、きっかけを掴んで、読書好きになれたのです!

 

すぐに、活きてくる事がなくても、必ず、頭の片隅に記憶が残っており、必要な時にいかされるはずです!

 

本を読むのも、本を購入するコストの他、自分の時間を使う自己投資です!

 

また、定期的に自分の習慣となるような行動を持つことも大事です。

 

セミナーなどは講師の講演内容だけでなく

参加者の意識や出会いなども時間と費用をかけた投資でえられるものと実感しています。

 

学びの場所や時間や資金がないというのは言い訳であある場合も多くあります。

 

よく禅での話しで聞く事に次のようなものがあります。

ある修行僧が、修行に集中し易い場所を探していました。

その時、維摩居士(ゆいまこじ・ヴィマラ・キールティー) という僧に会いました。

 

http://nipponzanmyohoji.net/preach.php?catid=92 

僧「あなたはどこからきたのですか?」と尋ねました。
 

維摩居士「道場から来たのです。」との応えです。

 

僧「どこの道場ですか?」と再び尋ねました。

 

維摩居士「直心是道場」と応えました。

 

素直に受け取れる心があればどこでも学びの場になるとの事です。 

修行、勉強の場は心中にある訳で、場所は関係ない。

一歩一歩が修行、勉強だという意味だそうです。

確かに、通勤時間の電車内で難関の資格試験の勉強をし合格した人。

 

現代風の事例では携帯電話のメール機能を利用し小説を書いて新人賞を受賞した人などがいます。

 

どんな仕事でも良く人生勉強といいますが、

 

たまには、自己の業務から何が学べるかを考える時間を持つことをお勧めします。

 

例えば職場で人間関係が上手くいっていない、嫌な人がいる。

 

そこで学べる事は何か?

 

又、売上が伸びない?

 

そこで学べる事は何か?

 

実際、当事者になると、「そんな余裕は無い!」という心境になってしまいます。(正直、私もなる時があります)

 

理想はそこで、冷静に「この経験は得れるものは何か?」と考えられる心の余裕ですが、未熟者の私は、そこまでの境地に達していないので、少し時間を置いてから、あの経験で学んだ事は何かな?と考える事にしてます。

仕事を作業にせず、志、気持ちを持って行う事が社会人の修行だと思います。

そういう修行だから仕事は楽しいんだと感じます。

家族の為、生活の為、勿論、それも重要です。

しかし、一番は自分の為になる事です。

 

素直に受け取れる心があればどこでも学びの場になると感じます。

 

ありがとうございます。

 

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井の頭公園も少しずつ紅葉になってきました

 

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