能力は人のために生かす
人の喜びを自分の喜びにできる人だけが、人に囲まれた人生を送れる。
能力は人のために生かす──神童と呼ばれた秀才
ロシア語を読みこなす秀才
... 子どもの頃は地元で「神童だ」とささやかれるほどに勉強が出来、将来は大臣だと家族や親戚、地元の人たちから期待されていたのがWさんです。
Wさんもその期待に応え、国立大学を卒業。役人の道には進みませんでしたが、誰もが知る有名企業に就職。誰もがうらやむ経歴の持ち主でした。
そのWさんのところに、私がヘルパーで入ることになりました。
それまでは9歳離れた妹さんがひとりでWさんの介護をされていました。
Wさんは少し変わった間取りの一戸建てに住んでいて、1階は間仕切りを取り払った広い部屋になっていました。
そして、2階は物置き代わりに利用されていました。
私がヘルパーで入ったとき、すでにWさんは寝たきりの状態で、コミュニケーションを取るのも困難という状況でした。
ですから、先ほどのWさんの経歴も、全て妹さんからうかがったものです。
部屋には英語とロシア語で書かれた分厚い書物が積み上げられていて、ところどころに付箋も貼ってあります。
私にはおそらく難解過ぎて読めない本であることはすぐにわかりました。
そんな本を大量に読み込んでいるWさんはすごい。そのときの私は素直にそう思いました。
「こんなに大量の外国の本を読まれていたなんて、本当にすごいですね」
私がそう言うと、妹さんは
「これでもずいぶん処分したのよ」と苦笑いしました。
どうやら、その大量の本たちは、Wさんが読んだ本のごく一部だったようです。
「さすが神童とまで言われたWさんですね。Wさんが通われていた大学は、僕には高嶺の花でした。尊敬します」
すると、妹さんの顔が急に曇り始めました。
「あのね、辻川さん。勉強ができて、難しい本が読めたって、それだけじゃ意味ないのよ。うちの兄を見ればわかるでしょう?」
私は返事に困ってしまいました。
生かされなかった知識
「うちの兄は、確かに勉強はよく出来たわ。でも、友達はいなくて、結婚もできなかった。それでいまはずっとひとりで寝ている。かわいそうな人なのよ。うらやましがられるような人じゃないわ」
私の訪問は週に1度でしたが、妹さんからWさんの人生についていろいろとうかがうことができました。
Wさんは、確かに有名企業に就職しましたが、数年で退職してしまいました。その後、同等の規模の企業に転職しましたが、そこも1年ももたずに退職しました。そして、企業を転々としているうちに、就職した会社は10社以上になり、年齢も35歳になっていました。
どこに務めても長く続かないことが職務経歴書からわかってしまいますし、若いならまだしも、35歳ですから希望する会社に転職することは困難です。
見かねた親戚が
「自分の経営する文具店の経理職で面倒をみよう」と言ってくれて、Wさんはその文具店に就職することになりました。
その文具店も何度も辞めると言い出し、そのたびに両親と妹さんが慰留してきたそうです。60歳まで何とか務め上げ、退職後は小説を書くと言って、多くの出版社に原稿を送っていたそうです。しかし、認められることはありませんでした。
一度だけある出版社の編集者から
「とりあえず会いませんか」と連絡があったそうですが、気が合わないと言って自分から交際を絶ってしまったそうです。
Wさんが書いたメモを拝見したことがありますが、とても達筆で難しい字が並び、私にはメモですら作品のように感じられました。
おそらく、Wさんの書いた小説も売れるかどうかはさておき、読むに値するものだったのではないかと思いました。
人の喜びが自分の喜びになる
なぜWさんのような知識が深く研究熱心な人が、幸せな人生を送れないんだろう。私は疑問に思い、ひとつの可能性を口にしました。
「まわりに認めてくれる人がいなかったんですね」
当時の私は20代前半でした。いま思うと、口を滑らせてしまったと思います。娘さんは笑ってそれを否定しました。
「全然違うわよ。うちの兄はね、自分の頭がいいことを鼻にかけて、みんなをバカにしていたの。だからこうなっちゃったのよ。兄さんの頭がいいことなんて、みんな認めてたのにね」
「すみません。余計なことを言ってしまいました」
私が謝ると、妹さんはうなずきました。
「でも、兄もね、寝たきりになる前に、それにやっと気づいたみたいなのよ。この家の1階は、もともと3部屋あったの。それを、間仕切りを取り払って、兄が一部屋にしてしまったの。だから、とても広いでしょう。それには意味があるの。なんだと思う?」
「わかりません」
「そうよね。実は兄ね、ここで勉強を教えるつもりで部屋をリフォームしたの。『ここに無料の塾を開いて、子どもたちに勉強を教えてやりたい。そして、勉強だけじゃ俺みたいになってしまうってことも教えてやるんだ』って言ってたわ。俺ほどの反面教師はいないって」
春にリフォームが終わり、夏休みに塾を開講しようと、Wさんは6月頃から近所の小学校の先生のところをまわって、挨拶と塾の説明を一生懸命にやったそうです。先生方も喜んでくれて、申し込みも集まり始めました。
しかし、その最中に、Wさんは激しい頭痛を感じて倒れてしまいました。意識を失い救急搬送されると、くも膜下出血と診断されました。その後、合併症もあって、現在のような寝たきりになってしまったそうです。
「兄の人生で一番輝いていたのが、倒れる直前の、塾の準備のときだったと思うのよね。ご機嫌で普段言わないジョークも言ったりしてたわ。自分の知識を人に喜んでもらえることが、自分の喜びになるんだってやっとわかったみたい。塾はあと一歩で実現しなかったけどね、生きているうちにそれに気づけてよかったと私は思ってるわ」
そう話す妹さんの目線の先には、寝たきりのWさんがいました。妹さんは、とても優しい目をしていました。
私は、Wさんの生き方を強く否定しながらも、妹さんがずっとWさんの介護をし続けていた理由をようやく理解できました。
その後、Wさんは妹さんに看取られて病院で亡くなりました。
教訓:人の喜びを自分の喜びにできる人だけが、人に囲まれた人生を送れる。
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