両親のいないこどもの日 | 辻川泰史オフィシャルブログ「毎日が一期一会」Powered by Ameba

両親のいないこどもの日

あの日がなかったら、家族で楽しい休日を過ごすはずだった。


岩手県陸前高田市の避難所で祖母と暮らす及川佳紀君(9)と弟の晴翔(はると)君(7)は、東日本大震災で父親を亡くし、母親とも連絡が途絶えた。


「津波なんて大っ嫌い」。家族の絆も家も、父親からもらった大切な宝物もすべて失った。


決して癒えることのない心の傷を抱えたまま、両親のいない「こどもの日」を迎える。(白岩賢太、中井美樹)

「差し入れ届いたよー」。市内で最も高台にある希望ケ丘病院の避難所に佳紀君の大きな声が響く。レトルト食品や生鮮品、缶ジュースなどが詰め込まれた重い段ボール箱を大人に混じって室内に運び込む。

小さな両手でせっせと救援物資を仕分けする兄を横目に、畳の上では雑魚寝しながらポケモンの絵を描く晴翔君の姿があった。


「ハル、きょうのはうまぐ書けてんなー」。


「でっかい堤防つくるんだ」両親のいないこどもの日


共同生活する男性(33)に頭をくしゃっとなでられ、照れ笑いを浮かべた。

佳紀君が率先してお手伝いするには訳がある。


「みんなの役に立っていれば、いつか必ず迎えに来てくれるから」

トラック運転手の父、徳久さん(39)と介護福祉士の母、昇子さん(39)はあの日、仕事を終えて帰宅した直後、津波に襲われた。それ以来、兄弟は祖母の村上五百子(いおこ)さん(67)と3人で暮らす。

一緒に避難した祖父は無事だったが、その後持病が悪化し、別の施設で入院。五百子さんは孫の世話と夫の看病で避難所と施設を毎日行き来しており、最近は疲れからか、笑顔もあまりみせなくなった。

「私らがいなくなったら、この子たちはどうなるんだろうって、よく不安になります…」。消え入るような、か細い声で五百子さんが話す。五百子さんによると、2人は母親との再会を今でも信じているという。

「津波なんて大っ嫌い。父ちゃんに買ってもらったDSもスパイクもみんな流してしまうんだもん」。ボールを蹴るようなしぐさをしながら、佳紀君がふくれっ面で話した。

4月20日。2人が通う高田小でも新学期が始まり、それぞれ新しい友達ができた。


それから1週間後、「父ちゃん」の遺体が見つかった。

人前では涙を見せなかった佳紀君もその夜は布団にもぐり、シクシク泣いた。


「あの子たちは、ふだんは悲しいとか辛いとか表情に出さないからね。昼間は忘れていても夜に思い出すのかもしれない」。同じ避難所で暮らす女性(68)は気遣った。

5月4日、避難所を訪ねると、晴翔君の姿があった。


佳紀君は朝から親類と一緒に盛岡市まで買い物に出掛け、乗り物酔いをする晴翔君はおばあちゃんと留守番をしていた。「ガム買って来てと頼んだよ」。

現在、17人が暮らす避難所に同世代の子はいない。この日も一人でボールを蹴って遊んだ。

「父ちゃん、手術したら治ると思ったけど、命がぶっ壊れてたんだって」。気丈に話す晴翔君には「兄ちゃん」と同じ夢がある。

「どんな津波でもみんなを守ってくれる、でっかい堤防をつくるんだ」

産経新聞より


子供の心の問題、そして孫を抱え夫の看病を行っているお婆ちゃん。


そういった方へはどのような手助けが出来るのか?


又、スーパー堤防も必要だと思います。


1人でも多くの命が救われ、そして少しでも被害を少なくする為には例え多額の費用を投じても建設して欲しいですし、すべきだと思います。