特養ホーム苦境 | 辻川泰史オフィシャルブログ「毎日が一期一会」Powered by Ameba

特養ホーム苦境

東日本大震災から1カ月たった今なお、特別養護老人ホームの孤立が続いている。震災直後の混乱期には、体調を崩すお年寄りが急増。被害が小さかったホームは、被災施設から高齢者を受け入れ、定員超過の中で、少しでも入所者の生活環境を良くしようと必死だ。被災地が少しずつ秩序を取り戻す中にあっても、入所者と施設職員の心労は癒えない。

◎ライフライン断絶、高齢者の健康直撃

 震災直後には、特別養護老人ホームに入所する高齢者の死亡や体調の急変が相次いだ。突然のライフライン断絶と物資窮乏が、震災弱者のお年寄りを直撃。施設職員は「非常時に高齢者への支援が後回しにされた」と怒る。
 仙台市若林区の「萩の風」で3月22日、入所していた石川とみさん(82)が亡くなった。
 施設によると、石川さんは低栄養で衰弱していた上、たんの吸引も必要になり、震災翌日の12日に市内の病院に入院した。しかし、すぐ病院や市からホームに戻るよう促されたという。
 職員の付き添いでホームに戻って1時間後、石川さんは息を引き取った。田中伸弥施設長は「病院から帰る車中も苦しそうに息をしていた。病院にとどまっていれば助かったはずだ」と悔やむ。
 若林区の「杜の里」は、津波で1階が浸水。入所者は水分や栄養が不足し、施設は暖房用の燃料にも事欠いた。
 皆川広美副施設長は「入所者に低体温症や肺炎の症状が相次ぎ、連日のように救急搬送を依頼した。1回の搬送で5、6カ所の病院に断られることもあった」と語る。
 送迎や緊急搬送に備えたガソリンの不足も深刻だった。福祉施設の車は緊急車両と認められないケースが大半で、青葉区の「洛風苑」は「職員がガソリンスタンドに何時間も並んで給油した」と振り返る。
 宮城県が、福祉施設に定員の1割以上を目安に高齢者を受け入れるよう緊急要請したことも、現場の混乱に拍車を掛ける一因となったようだ。
 仙台市内のケアマネジャーの女性は「避難所から運ばれてくる高齢者は持病や必要な薬、食べられない物などが分からないケースも多い。急な受け入れ要請で、かえってお年寄りを危険にさらしてしまったのではないか」と話している。
(勅使河原奨治)

◎続く過密状態、職員の疲労限界

 被災を免れた特別養護老人ホームでも、定員超過の状態が長引き、入所者、職員の疲労も限界に近づきつつある。
 海岸線にほど近い仙台市若林区の「潮音荘」は、津波で施設が使えなくなった。入所していたお年寄り約50人は現在、同じ法人が運営する泉区の「愛泉荘」に身を寄せている。
 本来の愛泉荘の定員は56人。ほぼ2倍の過密状態で、4人部屋を6人で使っているケースもある。ベッド間に十分な隙間がなく、お年寄りを移動させるのも一苦労だ。休憩スペースのホールが狭く、多くの入所者は廊下で過ごす。
 ライフラインが復旧し、支援物資も届くようになったが、調理場は通常の倍の食事を用意するので手いっぱいだった。最近になってようやくスタッフを増員。各入所者の体調や症状に合わせた介護食を提供できるようになった。
 法人は、潮音荘の利用者全員を別の施設に移転させたい考えだが、条件に合う建物はなかなか見つからない。早坂美智子施設長は「これからホームがどうなるのかも見通せない。職員も疲弊しつつある」と不安を口にする。
 若林区の「杜の里」では、今でも約160人が2、3階で暮らす。一定数の入所者ごとに居室と共有スペースを設けるユニットケアを行っているが、定員15人のユニットに20人超が寝起きしているケースもある。
 ストレスをためないよう、散歩の機会を増やすなど工夫をしているが、入所者の生活環境の改善に見通しは立たない。山崎和彦理事長は「別の土地で再開したいが、自助努力には限界がある。行政の支援も必要だ」と訴える。
 市高齢企画課は「利用者にとって決して好ましい状態ではない」と認めながらも、「今後のことは国と相談して決めたい」と話すにとどまっている。
(上村千春)

最終更新:4月15日(金)6時13分

河北新報より