老人たちと向き合う | 辻川泰史オフィシャルブログ「毎日が一期一会」Powered by Ameba

老人たちと向き合う

「介護体験1(前髪のはなし)」

 デイサービスセンターで介護等体験をした。コミュニケーション力を高めることと多様な人間理解を目標として、体験するように、事前指導でいわれた。(略)

 人と真剣に話すのは楽しい。自分と真剣に向き合おうとしてくれるのは、うれしい。

 体験中、わたしは前髪をあげろと、何人もの利用者さんに言われた。私の前髪は、すだれみたいになっていて、それを真ん中でわけ、かろうじて顔がみえるようにしていた。中には、前髪をかきあげてくれる人もいた。これは、衛生面の問題で、お互いの肩より上を触れ合うのは望ましくない。つまり、利用者さんたちは、わたしの顔や目をみて、真剣に話そうとしてくれていたのだ。

 一週間の体験を終えて、すぐに美容院で前髪を整えた。人の顔や目をみて話すのはコミュニケーションの基本なのに、そんな事も忘れていた自分に気付いたからだ。

 私の人間嫌いもなおるかもしれない。

   ◇  ◇  ◇

 「介護体験2(少し複雑なはなし)」

 デイサービスで何より楽しみだったのは、利用者さんの昔話だった。戦争で生き残った話や、玉音放送のとき洗濯物をしていた話や、修学旅行で旧満州(現中国東北部)や韓国にいった話や、台湾での日本語教育の話など、本当に勉強になった。一人一人の人生の重みを感じて、利用者さんへの尊敬がわきあがった。

 だが、そんな尊敬すべき利用者さんたちは、レクリエーションの時間になると、風船バレーや折り紙やカルタとか、幼稚園でやるようなスケジュールになっている。楽しんでいる方もいるが、抵抗を感じて参加しない方もいる。私は、なんとなく人間の尊厳といったものへの考え方の違いに、困惑し、危うさも感じ、複雑な思いになった。(略)

 「福祉」の考えに基づき、みんなで楽しんでいくというコミュニケーションと、個人の人生の重みを感じながらのコミュニケーションには、隔たりを感じる。多様な人間観の中で人間関係を構築するのは、ひどく複雑だ。(2作品とも10年、大学4年A子さん)

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 教職の授業時間、「来週一週間介護体験に行きますので授業を欠席します」と、中学校教師を目指しているA子さんが言ってきた。少々浮かない様子だ。聞いてみると、介護体験を終えた先輩に「死ぬほどしんどかった」とか「居場所が全くなく苦痛だった」とおどされたと言う。

 現在、小中学校の教員になる者には、社会福祉施設での介護体験が義務づけられている。高齢者・身障者等の社会的弱者の介護を通して「コミュニケーション力」や「人間理解」の向上を図るのが目的だ。

 介護体験を終えた彼女のカキナーレを読んでホッとした。と同時に被介護者である老人たちの教育力のすごさに驚いた。

 そのすごさとは、前者のカキナーレでは、彼女の顔や目を見て真剣に話すことによって長い前髪が介護に不適であること。また後者では、自身の昔話をすることによって人生の重さに気づかせている点である。

 結果、彼女は、コミュニケーションには、みんなで楽しむものと個別の人生の重みを感じながらのものとがあることを知る。とりわけ、後者のコミュニケーションは人間の尊厳と直結するものであるのに、施設側が老人たちに幼稚な遊戯を一律に押しつけていることの矛盾に気づくのである。

 老人たちの教育力。そして多様な価値観を持った老人たちと真剣に向き合った彼女の姿勢。

 若者と老人との交流がほとんどなくなった昨今、より多くの若者たちが彼女のような介護体験を持つ機会があってほしいものだ。<深谷純一(元女子高国語科教諭、大学非常勤講師)>=隔週掲載


毎日JPより