恩返し | 辻川泰史オフィシャルブログ「毎日が一期一会」Powered by Ameba

恩返し

20年以上前に失明し、ヘルパーらに支えられながら一人暮らしをしている滋賀県立盲学校教諭宇野繁博さん(47)が、東日本大震災で福島県と群馬県から避難してきた2家族を滋賀県彦根市の自宅に受け入れた。「目が見えなくなってから、いろいろな人に支えられてきた。これまでの恩返しをしたい」と宇野さん。今は助け合いながらの共同生活を送る。

 「せっかく助かった命。なんとか役に立ちたかった」。寒い避難所で亡くなった人もいるとニュースで知って、居ても立ってもいられず、避難者の受け入れを県に申し出たのは17日。翌18日夜、2家族が4LDKの自宅の1部屋ずつで生活を始めた。

 宇野さん宅に身を寄せているのは、福島県いわき市のホテル経営コンサルタント広木一賀さん(47)の一家5人と群馬県高崎市の一家4人。いずれも福島第1原発の事故を恐れ、避難したという。新聞で知った滋賀県の窓口で18日、宇野さんを紹介された。広木さんは「疲労が限界に近かったので本当に助かった」と感謝する。

 宇野さんは25歳の時、網膜色素変性症を患い全盲に。福井県で勤めていた小学校教諭の職を辞すことになり、交際していた女性との婚約も解消された。絶望感で一時はアルコールにおぼれることもあったが、その後進学した大阪の盲学校の恩師らから励ましもあり、猛勉強。30歳で現在の盲学校の教諭になった。

 宇野さんは日ごろは週2回、郵便物をチェックしてくれるヘルパーの支援以外、身の回りのことは自分でしている。普段、一人でとる夕食は、サバの缶詰とご飯など簡単なものだが、2家族が避難してきて食卓は一変。「いろいろな料理を作ってくれ、みんなで食べるので、にぎやかで楽しい。洗濯や掃除もしてくれ、家が前よりきれいになった」と笑顔を見せる。

 22日には、福島の県立高校を受験した広木さんの次男の合格が決まった。夜、宇野さんが買ってきたケーキでみんなでお祝いをした。広木さんは「下を向いている場合じゃない。原発問題の見通しがついたら、福島に戻り町を活気づける仕事に就きたい」と話した。

(中日新聞彦根支局・伊藤弘喜)


宇野先生の行動、なかなか出来るものではありません。