セネカ「人生の短さ」について | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

「多忙な人間には何事も十分に成し遂げることは不可能である。弁論の勉強にしても学問の教えにしてもそうであるが、心が雑事に追われていると何事をも深く受け入れられず、すべてのものを、いわば無理に詰め込まれたもののように吐き出してしまうからである。実際多忙な人に限って、生きること、すなわちよく生きることが最も稀である。また、生きることを学ぶことほど難しいことはない。他の学業の教師はどこにもおり、数も多い。これらの学業の中には、事実ほんの幼い子供でさえも教師からこれを十分に習得してしまって、自分でもそれを教えることができる、といって例もみられる。」

「しかし、生きることは生涯をかけて学ぶべきことである。そして、おそらくそれ以上に不思議に思われるであろうが、生涯をかけて学ぶべきは死ぬことである。多くの大偉人はいっさいの邪魔物を避け、財産も公職も快楽も捨てたうえ、ただ、いかに生きるかを知ろうとする、このことのみを人生の最後まで唯一の目的とし続けた。にもかかわらず彼らの多くは、まだそれがわからないと白状して人生を去ったほどである。」

「偉大な人物、つまり人間の犯すもろもろの過失を超絶した人物は、自己の時間から何一つ取り去られることを許さない。それ故に、この人生はきわめて長い。用いられる限りの時間を、ことごとく自分自身のために当てているからである。」