モーム「サミング・アップ」その2 | さかえの読書日記

さかえの読書日記

琴線に触れたことを残す備忘録です。

「およそものを書く人間で、読者が努力をしなければ書いてあることが理解できないような文章を書く人間には、私は昔から我慢がならなかった。偉大な哲学者の書いたものを読めばすぐわかるように、非常に複雑な思想でも明快に表現することは可能である。ヒュームの思想を理解するのは難しいかもしれないし、哲学の素養がなければ、彼の思想の細かい含蓄まではもちろん把握できないであろう。しかし、およそ教育のある者なら、ヒュームの個々の文がどういう意味であるのかは、きちんと理解できるはずである。バークリにしても、言葉の点だけなら、彼ほど洗練された英語を書いた人はまずいない。」

 

「ものを書く人間に見いだされる曖昧さには二種類ある。一つは怠慢によるもので、もう一つは我儘による。明瞭に書くことを身につけるのを怠ったがゆえに、あいまいな文章を書く著者は多い。この種の曖昧さは、現代の哲学者や科学者などに見られる。実は文芸批評家にさえ見られるのだが、これは全く不可解なことである。大文学者の研究で生涯を送ってきた人なら、言葉の美に敏感であり、華麗な文章は書けなくても、せめて明瞭に書けると思うではないか。それなのに、批評家の書くものには、意味を理解するために二度読まなくてはならないような文がいくつもいくつも見出せるのだ。こういう意味であろうかと推測するしかないような場合も多い。何しろ書き手が意図したことを表現できていないのだから。」