柄谷行人「憲法の無意識」から | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

「人々が憲法9条を支持するのは、戦争への深い反省があるからだという見方がありますが、私はそれを疑います。たとえ敗戦後にそのような気持ちがあったとしても、それで憲法9条のようなものができるわけではない。実際、それができたのは、占領軍が命じたからです。また、憲法9条が人々の戦争経験に基づいているのだとしたら、それをもたない人々が大多数になれば、消えてしまうでしょう。実際、そうなるのではないかと護憲論者は懸念しています。では、なぜ9条は今も残り、また、人々はそれを守ろうとするのでしょうか。護憲論者が、それは自分たちが戦争の経験を伝え、また憲法9条の重要さを訴えてきたからだ、というでしょう。が、それは疑わしい。」

 

「ここで、問題を、その反対側から、つまり、憲法9条を廃棄したいと考えている側から見てみましょう。彼らは60年にわたってこれを廃棄しようとしてきたが、できなかった。なぜなのでしょうか。彼らは、それは国民の多くが左翼知識人に洗脳されているからだ、と考える。しかし、これは端的に間違いです。左翼は元来、憲法9条に賛成ではなかったからです。」

 

「憲法9条が執拗に残ってきたのは、それを人々が意識的に守ってきたからではありません。もしそうであれば、とうに消えていたでしょう。人間の意志などは、気まぐれで脆弱なものだからです。9条はむしろ『無意識』の問題なのです。」

 

 このあと、なぜ無意識なのかを、カントの平和論などを引用しつつ論じているが、なかなかすっきりと理解ができない。集団的自衛権の行使が可能になった今、9条の改正など安倍はするのであろうか?