「もういちど読む山川哲学」その6 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

「死は誰とも代わることのできない、我々の最も固有の可能性である。この死の可能性へとかかわることが、我々の最も固有な存在しうることを明らかにする。」(ハイデッガー『存在と時間』)

「死は誰もがいつかは迎えねばならない。人生の最後の可能性である。誰も代わることができないおのれの死を見つめることによって、一回限りの人生の可能性が見えてくる。ハイデッガーは将来の死の可能性へと先駆け、それと向き合い、一回限りの生を真剣に生き抜く覚悟をもつことを、『死に臨む存在』と表現した。それは死ぬことではなく、死の可能性に臨みながら、それと対照しておのれの生の可能性に目覚めて生きることである。必死、一生懸命、真剣、いずれも人生一回限りの可能性の覚悟のもとに、死によって限られたおのれの人生のすべてを懸ける決意をあらわす言葉である。この世では一生のみである。二生、三生はない。人生ここ一番、後悔なく生きるためには懸命に生きる覚悟が必要である。人の顔色をうかがってびくびくしている自分に、喝である。」