佐藤優「獄中記」その7 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「現下、日本のエリートは、みずからがエリートである、つまり国家、社会に対して特別の責任を負っているという自覚を欠いて、その権力を行使しているところに危険があります。外務省の研修指導で最も苦労したのは、『研修は自分のためにやっているのではなく、日本国家のために勉強しているのだ。ロシア語ができず、外交官として語学や任国事情に弱いがゆえに他人に迷惑をかけるようでは国益を毀損することになる』ということを新人省員にいかに納得させるかということでした。国益に関連する事柄をアカデミズムの成果をふまえて理解できるような基礎力を有しているというのは官僚として必要条件なのですが、これに欠ける官僚が多いというのが霞が関の実態でしょう。理由は簡単です。ある時点から勉強しなくなってしまうからです。実力に不安があるから『キャリア』であるとか『○○省』であるとかいうブランドでエリートたる地位を維持しようとするのでしょう。」


「この点、外交の世界は実力世界です。どの大学を出ていようが(あるいは公式の高等教育を受けていなくても)、地位が何であろうと、任国についてよく知っていて、人脈をもっている者が『勝ち』なのです。外国の政治・経済・学術エリートはそもそも外交官とつき合う義務はないのですから、『会ってメリットがある』『会って面白い』という基準でカウンターパートを選びます。日本の外交官が人脈作りが苦手であるというのは若干誇張された表現ですが、モスクワのG7の諸国大使館で、ロシアの政治エリートに深く食い込んでいる外交官は十人もいません。常にそうです。そのような外交官は、十人十色ですが、いずれも話していて面白く、『また会いたい』という気持ちになります。そして、こういった外交官たちはエリーとしての自覚も強いのです。」


「特に諜報の世界のエリートたちと接していて感じたことですが、この連中は外交官以上にエリート意識が強く、それと同時に金銭、役職に対する執着がほとんどありません。また、学者として十分に通用する水準の知識と洞察力があります。未知の分野を担当させられても一年ぐらいでそこそこの大学教授くらいの水準になります。」


 獄中記、完