小林康夫・大澤真幸「『知の技法』入門」その3 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「なぜ知りたいかというと、究極的に言えば、己のことを知りたいということがあるんじゃないでしょうか。己とは何かが知りたい。だから『知るということを知る』ということが究極の『知る』なんですよ。」


「しかし、そういう根本的なことを考えていくと、自然科学、人文科学といった区別にこだわって『この部分だけを勉強する』みたいなことではやっていけない、ということに自然と気づくことになる。とはいえ、人間は全部のことを知りうるわけではない。でも、一つのことを極めるということと、二つ以上のことを関係づけ、横断するということは矛盾しているように見えて、実はそうではない。たとえば、自分でいうのも恥ずかしいですが、わかりやすさを優先させてあえて言いますと、ぼくがかってスペンサー=ブラウンの数学に共鳴できたのは、ぼくが、社会システムの理論や社会哲学について、かなりつきつめて考え抜いていたからではないか、と思います。つまり、一つのことを究めていくと、かえって、それまで関係ないと思っていたことが、意外にもすぐ近くにあって、自分に繋がっていたんだ、ということを自覚し、探究にも広がりが出てきます。一つのことを深めるということと、いろいろなことを水平的に横断して関係づけるということとは、必ずしもトレードオフの関係があるわけではない。深まることで広がりが発見できる。複雑系についていろいろ調べていくと、それが形而上学の問題と関係があると気づいてしまう。粘菌について詳しくなったら、それはフランス革命の論理と似ていると気がついてくるとかね。もちろんこれはたとえ話ですが、一つのことを我が物にして、それに精通していくと、繋がりが見えてくる。ほんとうに深まっていくと繋がりがどんどん見えてくるわけだから、繋がりが見えてくる時は思考がうまく深まっている証拠だともいえるのだと思います。考えてみると、これこそ複雑性の縮減(一つのことを究める)による増大(いろいろな事の関係を見いだす)ですね。」


 大澤真幸の発言から抜粋