大塚久雄「社会科学の方法」その2 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「マルキシズムの立場が、なぜ、さまざまな文化諸領域の動きが根底において経済に制約されている、という点を強調するのか、また、それが、なぜ、さまざまな点で有効性をもち、したがって多くの人々に対して魅力となってあらわれたのか、と申しますと、それはおそらくこういうことでなかったでしょうか。さまざまな文化諸領域はそれぞれに固有な運動法則をもち、したがってそれぞれに独自な科学が成立するということは、さきに申したとおりです。そういう文化諸領域の独自なさまざまな動き、それからそれに対応するさまざまな社会科学の諸部門というものを相互につなぎ合わせるような、いや、現実にそれらが互いにどのような関係に立っているのかを明らかにするような、そういう原理を提供することができたからだと思います。」

「すべては経済によって制約されている。だから、比喩があたっているかどうか知りませんが、孫悟空の神通力も結局お釈迦様の掌の外を出ることはできないように、経済の運動はあらゆる文化諸領域の運動全体を統合している。そういったような意味で、マルキシズムはいわば文化統合の原理を提供した。ですから、そういうマルクスの考え方においては、経済に関する科学が社会科学中の社会科学として、それらの基礎理論となった。つまり、経済学、というより経済学批判が文化統合の原理というか、歴史過程の全体としての動向をつかみうる原理と考えられているわけです。こうした原理を提供したということは、たしかに、社会科学としてのマルキシズムの一つのきわだってすぐれた点であり、魅力ともなってきた、といってもよいでしょう。」