フランシス・フクヤマ「歴史の終わり(上)」その5 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「進歩という近代の発想は近代自然科学の確立をその起源としており、だからこそベーコンも、羅針盤や印刷技術や火薬の発明を引き合いに出しながら古代に対する近代の優越を主張したのである。1688年にベルナール・ルボヴィエ・ド・フォントネルは、知識を次から次へとかぎりなく手に入れていくことが進歩である、とじつに明確に述べている。」


「啓発された立派な精神は、いってみればそれまでの世紀に存在したすべての精神を持ち合わせている。そして、まさにこうした精神だけが、いつの時代にも発展と改善をとげてきた。・・・・このような精神に恵まれた人間は決して老いることがない、と私はあえて言いたい。彼はいつになっても、若い時期にふさわしい仕事を十分にこなせるし、人生の盛りの時期にふさわしい仕事をさらにうまくこなしていけるだろう。単刀直入に言えば、人類は決して退化せず、人類の英知の成長と発展には終わりなどないのである。」


「フォントネルの考える進歩とは、もっぱら科学的な知識の領域に属するものであり、社会的・政治的な面での進歩について理論は展開されていない。社会進歩についての近代的な考え方の生みの親となったのはマキァベリである。彼は、政治が古典的哲学の道徳的制約から解き放たれるべきだと唱え、人間は運命の女神を征服すべきだと論じた。また、ボルテール、フランス百科全書派、経済学者テュルゴー、テュルゴーの友人で伝記作家のコンドルセなど啓蒙主義の思想家たちも、進歩について様々な理論を展開した。」


「コンドルセの著した『人間精神の進歩』には、人類の普遍的な歴史の十の発展段階が記されている。その最後の――まだ到達していない――発展段階は、機会均等、自由、合理性、民主主義、普通教育の時代とされた。フォントネルと同様コンドルセも、人間が完全な存在になれるかどうかという点はまったく論じていないが、当時の人間にとっては未知の、歴史の十一番目の発展段階があるという可能性はほのめかしている。」


ベルナール・ル・ボヴィエ・ド・フォントネル(Bernard le Bovier de Fontenelle、1657年 2月11日 - 1757年 1月9日 )は、フランス の著述家である。多宇宙論の啓蒙書、『世界の多数性についての対話 』が当時のヨーロッパ諸言語に訳され、知識階級に影響を与えた。アカデミー・フランセーズ の会員。


コンドルセ侯爵マリー・ジャン・アントワーヌ・ニコラ・ド・カリタ(Marie Jean Antoine Nicolas de Caritat, marquis de Condorcet, 1743年 9月17日 - 1794年 3月29日 )は、18世紀フランス数学者哲学者政治家社会学 の創設者の一人と目されている。現在のエーヌ県 リブモン生まれ、パリ 近郊のブール・ラ・レーヌ没。

ドーフィネ のコンドルセ侯爵領の領主であることから、日本では「コンドルセ」と略称されている。

陪審定理投票の逆理 (コンドルセのパラドクス)など近代民主主義の原理を数学を用いて考察したことで知られる。