村上陽一郎「エリートたちの読書会」その5 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「1959年、イギリスのC・P・スノウは、『二つの文化と科学革命』を発表して、イギリスの社会が、二つの文化に分断されていることに警告を発しました。ここでいう二つの文化とは、日本風にいえば『文系』と『理系』ということになりましょう。スノウ自身は、物理学の出身ですが、チャーチル政権下では、官界に進出し、戦後には長編小説を発表し続けるなど、文字通り『二つの文化』を自由に横断した活動を、身をもって実証したわけですが、それでも、このスノウの警告は、共感もありましたが、むしろ多くの反発・批判を招きました。その事実は、欧米における『文・理』の断絶が、必ずしも自明ではないことの証でもありましょう。」


「実際、自然科学だけに専門をしぼるような研究・教育機関が、ヨーロッパの大学に設けられるようになるのは、1870年代になってからのことですし、技術・工学系が欧米の大学のなかに受け入れられるのは、二十世紀になってからと考えてよいでしょう。もともと十九世紀までは、欧米の大学の本体は『哲学部』であり、『文・理』の峻別などは、およそ考慮の外にありました。少なくとも知的な世界では、『文・理』の断絶は、制度的にも、かなり新しい現象だったのです。」


「また、アインシュタインが音楽、とりわけヴァイオリンの演奏に関しては、相当の腕前であったことは有名ですし、ハイゼンベルク(『部分と全体』の著者)も、ピアニストを志したことがあるほど、ピアノ演奏に秀でていました。これらは特殊な例かもしれませんが、十九世紀生まれの物理学者も、あるいは生物学者も、初代の専門的科学者であるとはいえ、彼らの哲学や思想、あるいは芸術関係の教養は、驚くべきものがありました。大学へ入学するための予備門的中等教育では、つい最近までギリシャ語とラテン語は必修でしたから、それだけでも、理系専門の科学者の、古典語および古典学の教養的背景は窺えるというものです。」


「アメリカでも、教育の制度的な特徴は、ヨーロッパとは異なりますが、『文・理』の関する事情は似ています。現在でも、大学の学部は、リベラル・アーツ的な性格が強く、『文・理』の壁は顕著ではありませんし、例えば、物理学やライフサイエンスで学位をとろうとする人でも、理学博士的な学位もないわけではないですが、ほとんどは『哲学博士』を選びます。そのためには、専門以外の幅広い教養が身についているかどうかを試される。特別な試験を受けなければならないにもかかわらず、です。」


 リベラル・アーツの必要性。「エリートたちの読書会」終了。