「徂徠」その2 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「徂徠は書籍を蔵一つ分買い、李攀竜と王世貞の『史記』『左伝』『戦国策』などの原典から語句をひきちぎってきて文章を書きあらわすという手法に感ずるところがあり、それらの原典を読み返しはじめた。李攀竜と王世貞は『文は則ち秦漢、詩は則ち漢魏盛唐』また『宋以後の書を読まず』を標榜して、自らの文学を『古文辞』と称した。」


「徂徠も李・王にならい、以後、後漢以後の文章はいっさい目をくれず、前漢までの原典を読み耽った。李・王が読んだ原典は、『史記』『左伝』『戦国策』など史書だったが、徂徠は『書経』『詩経』など『五経』にまで遡り、この4年間というもの繰り返し読んだ。そうすることによって何かがつかめると確信したのだ。だが、残念なことにまだ掴みきれず、暇さえあれば前漢までの原典と格闘していた。」


「それに、従頭直下――、書を頭から下へまっすぐ、返り点や捨て仮名に頼らずに読むにはないよりもまず唐音を学ばなければならない。そう考えて、藩邸時代に仲間を集め、崎陽之学の勉強会をはじめたのだが、これがいま崩壊状態にあった。唐音は独学というわけにはいかない。誰かに教わらなければならない。だから町宅を機にあらためて勉強会を組織しなおさなければならないという課題も抱えていた。」


「徂徠は子供のころから従頭直下――、書はそう読むべきだと考えており、この学習法はいまも正しいと考えている。世の学者はどうか。ことごとくが、返り点と捨て仮名を頼りに、飛ばしたり元へ戻ったりして、つまり廻環をして書を読んでいる。たとえば『過則勿憚改』に『過則勿ㇾ憚ㇾ改』と返り点を打ち、『過テバ則チ改ムルニ憚ルコト勿レ』と読んでいる。これを学者は『和訓』といっているが、実はただの『譯』にすぎない。しかもただの『譯』にすぎないというのを理解せず、なにか高邁な訓詁(字句の解釈)のように思っている。」


 認識を新たにした。