原武史「知の訓練」から | さかえの読書日記

さかえの読書日記

琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「なぜ東アジアの中で日本だけが大した抵抗もなくスムーズに西洋的な時間を導入できたのか。」


「本居宣長のような国学者が、中国由来の儒教を『漢意』として批判する中で、中国の暦である太陰太陽暦をも批判し、西洋由来の太陽暦のほうが優れているとしたことです。宣長によると、太陽はアマテラスオオミカミを意味しますので、太陽暦はアマテラスを天皇の祖先として重視する国学思想にとっても好都合だったわけです。宣長の思想を継承した平田篤胤もまた、太陽暦の正しさを主張しました。つまり日本では、中国に対する日本の優位を主張するための根拠として、太陽暦が持ち出されたわけです。こうした思想の流れが太陽暦の受容を容易にした面があると思います。」


「天皇のスケジュールはすべて分単位で決まっていました。伊勢神宮には外宮と内宮があり、この二つに神社に参拝する時刻がそれぞれ午前11時12分と午後1時54分だったのです。このように当時の天皇のスケジュールというのは、完全に分単位で決まっていて、天皇といえども逆らうことができなかったのです。」


「こんな奇妙な国家を作ったのはおそらく日本だけでしょう。たとえばヒトラーや毛沢東、金日成といった近現代の独裁者がいますが、彼らは自由に時間をコントロールしています。つまり一人の人間が時間を支配していて、時間に支配されていない。ヒトラーは自分の乗る列車を意のままに動かしています。毛沢東もそうです。たとえダイヤがあっても、『ここで停止せよ』と命令すればいつでも列車が停まる。これが本当の独裁者です。」


「1934年11月、昭和天皇が陸軍特別大演習統監と地方視察のために群馬県を訪れたとき、両毛線の桐生駅から自動車に乗った天皇の一行を先導していた警部が、緊張のあまり道を誤り、分刻みのスケジュールに狂いが生じたことがありました。天皇自身は問題にしませんでしたが、警部の一人は自殺を図り、野党の立憲政友会も議会で内務大臣を攻撃しました。この事件は、究極の支配者が天皇ではなく、時間そのものであることをよく示しています。自殺を図った警部は、時間の秩序を乱したことに対する責任をとろうとしたわけです。」


「確かに誰かがスケジュールを作っていることは間違いないが、いったん作られてしまうと、その誰かの手を離れて、時間そのものが支配者となる。したがって、たとえ天皇の意思がどうであろうと、時間という支配者に背いた場合には、死をもって償うしかなくなるほどの重大問題になるわけです。」


 『時間と政治』をテーマにした論考から抜粋