「屋久島発」その3 | さかえの読書日記

さかえの読書日記

琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「遊びから学んだことは、数知れない。たとえば、トロッコに乗って帰ってくるとき、まず確認しなければならないことがある。それは材を満載したトロッコが下りてこないかということ。バッティングしたらオオゴトである。それを知るには、線路に耳を押し当てて音を聞き分けなければならないのだが、不用意に耳をあてると火傷をしてしまう。炎天下の鉄路は、暑くたぎっているのだ。それで川から上がってくるときにタオルを濡らしたまま下げてきて、線路の上に絞るのである。そうやって温度を下げてから、耳に押し当てて確認したものである。」


「それとは逆に、耳に水が入った時には、熱い花崗岩に耳を押し当てるといい。大抵の場合、頭を傾けて片足で跳べば抜けるのだが、頑固な場合には、そうやって熱いのを我慢して押し当てていると、うそのように水が出てくるのである。」


「また水中メガネが曇ったとき、唾をつけて磨けばそこそこ曇らなくなるが、完璧なのはヨモギを使うこと。ヨモギの葉を石で叩き、その汁を塗りつけて磨くと、ガラスはピカピカになったうえにまったく曇らなくなる。もちろんヨモギは、傷口の消毒や血止めにも抜群の効力を発揮するので、遊びには欠かせない必須アイテムであった。」


「さらには、高所から水に飛び込むとき、ちょっと大きめの葉っぱを一枚口にくわえて飛び込むといい。学年が上がるにつれて、飛び込む高さはだんだんエスカレートしていくが、高くなればなるほど衝撃も大きくなり、足先から飛び込むととくに鼻の穴へのダメージが大きい。ところが葉っぱを一枚くわえることによって、鼻にピタッと蓋がされ、ほとんどが水が入ってこないのである。そんなこと、どうでもいいといえばどうでもいい話である。だがぼくらは、そんないい加減な知識を含めて、遊びを通じて生きる術を身につけていったのである。ときには命を落とす危険性と背中合わせの水遊びは、ぼくらが自然とどうつきあっていけばいいのか、その基本原則と教えてくれる『師』のごときものだったのである。」


 同感