出家を考える〜その2 | 尼僧の京都♡徒然記

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音楽家→心理セラピストを経て僧侶の道へ!
東京から京都に移住し隠遁生活を満喫する
HSS型HSP「慈陽」のブログ

 

 

前回の続き。。。

 

 

1、出家とは、

「世俗的価値観から離れること」で、

 

 

2、世俗的価値観とは、

「たくさん生産して、

たくさんのものを手に入れて、

快適、安楽に生きていく」

というような、価値観のことである。

 

 

と定義してみた。。。。

 

 

ここから今回の話。。。

 

 

そして、

その世俗的価値観に違和感を感じる者は、

その価値観から離れたところに行く。

 

 

それを「出家」という。

 

 

そもそも「出家」とは、

何も仏道に限ったことではなく、

 

 

この世的な成功とか、売名行為、

お金儲けを求めるのではなく、

 

 

ひたすら自分の信じた道を

精進する生き方は、

全て「出家的生き方」だと思う。

 

 

思えば私がずっと生きてきた

「音楽道」もそうだった。

 

 

以下、私の人生で申し訳ないが、

例に挙げさせていただくと、

 

 

あまり売れなかったけど、

CDをリリースしたとか、

本を出版したとかは、

ストイックに音楽道を求めた結果の

ご褒美のようなものだったと思う。

 

 

しかしいつしか、

自分の良いと思う音楽だけではなく、

世俗の人々が求めるような

いわゆる「売れ線」の音楽などを、

仕事として作るようになってからは、

 

 

何のために音楽をやっているのかわからなくなり、

うつ状態にも陥って、

結局音楽を辞めてしまうことになった。

 

 

それは私がまさに「出家」としての

音楽道を求めていたからだったと思う。

 

 

その後、縁あって

スピリチュアル業界に入った時も、

 

 

私のポリシーからすれば当然な

「自己研鑽をして自己改革をする」

という地道な修行と、

真の意味での「信」を抜きにして、

 

 

世俗的価値観にまみれたままで

あの世的価値観の世界を求める人々もいて、

それに完全な違和感を感じてしまい、

 

 

結局スピリチュアル業界からも

距離を置くことになってしまった。

 

 

さて、、、

 

 

もともとブッダは「サンガ」という

出家した僧たちが共同生活する場を作った。

 

 

そこに出家する僧は

自分の持つ全てを捨てる代わりに、

一切の世俗的な生産活動から離れ、

 

 

仏教信者からのお布施だけを頼りに、

ただひたすら修行に励む。

 

 

一般の人々からすれば、

全てを捨てて出家するなど

自分達にはできないことをしている

僧侶に対する尊敬は厚く、

 

 

そんな僧侶をお布施で支えることで

自分達にも世俗的な幸せが得られるという

相互扶助のシステムが、

現在の東南アジアの国々には

残っているのだという。

 

 

一見すると、

何か日本の仏教のイメージと

ずいぶん違うように感じると思うが、

 

 

それは、

東南アジアの国々に伝わったのが

お釈迦様の教えに近い

「上座部仏教」だったのに対し、

 

 

日本に中国を経て伝わったのは

「大乗仏教」という、

お釈迦様の教えをベースにしつつも

他の人たちが後の世に色々手を加えた

仏教だったからだ。

 

 

ちなみに、

「上座部仏教」(小乗仏教ともいわれる)は、

解脱できるのは出家した僧だけなのに対し、

 

 

「大乗仏教」では、

在家者(出家していない人。俗世に生きる人)でも

悟りを開き、解脱できると説く。

 

 

これが鎌倉時代頃に発展、展開すると、

「南無阿弥陀仏と唱えるだけで救われる」とか、

「そもそも初めから救われている!」

というような教えが現れてくる。

 

 

それがいいとか悪いではなく、

その時代には、まだブッダの説いた教えが

日本には伝わっていなかったのだ。

 

 

仏教伝来は538年なんて、

学生時代に覚えた人も多いだろう。

 

 

その時に入ってきたのは

「大乗仏教」だったのだ。

 

 

実際のところ、

ブッダの説いたという初期仏教が伝わったのは

明治時代に入ってから、

西洋の仏教研究からとされている。

 

 

ちょっと横道にそれたので

話を戻して、、、

 

 

「出家」というものは

仏道に限った話ではなく、

 

 

音楽、美術などの芸術や、

将棋とか武道とか(戦うためだけは除く)、

 

 

最近ではフィギュアスケートの

羽生結弦さんなんか、

もうスケートの世界の出家者だと思うほど、

俗世を離れた世界を追い求めているように感じる。

 

 

ちなみに私は音楽家時代、

アスリートのインタビュー記事をよく読んでいた。

 

 

例えば、F1のドライバーが

時速300kmを超えるスピードで走る時、

風景はゆっくり見えているとか、

 

 

スピードスケートの選手が

体のメンテナンスの時に、

筋肉の何本目の筋を押してほしいと

オーダーが出せるくらい、

自分の体を把握できているなど、

 

 

常人では考えられないような

認識機能を持っていることが

実は音楽を極めていく上でも

共通項があると感じていたからだ。

 

 

拡大せし、認識領界。。。

 

 

でもそんなことは

世俗的価値観の世界では

あまり評価されることじゃない。

 

 

・・・・・・・・・

 

 

と、、、、

 

 

あまりに長文になったので

この辺でやめておきます。

 

 

ここまで読んでくださった方、

本当にありがとうございました。

 

 

今日で一日ゆっくり出来る

夏休みもおしまいなので、

徒然と書いてみました。

 

 

また続きを書くかもしれませんので、

お時間あれば読んでやってください。

 

 

よろしくお願いします。

 

 

ありがとー🥰🥰🥰

 

 

 

最高最善

🙏🙏🙏🙏🙏