いよいよ、祖母とお別れしないといけない、できる気がしない。
3月26日日曜日、11時から葬儀。
遺族代表の、叔父の挨拶、祖母の人生について。
第二次世界大戦の頃、アメリカの飛行機が見えると、濁った川に飛び込んで難を逃れた。
祖父の公務員のお給料で、祖父の母他、大家族を養うためやりくりしていた、至難の業であり、尊敬する、と。
今の私と同じ歳に祖母がなしえていたことを、今の私にはできない。
そう思って、本当に惜しい、寂しい、尊い、お別れしたくない。
棺に花を入れて、出棺の準備をする。
母は、祖母の亡骸に伏せて、声を出して泣いた、お母さん、と。
私たち姉妹は近寄って、母をさする。
私も、祖母の顔や肩の形をたくさんなでました。
たくさんの涙。
皆でたくさんたくさん、お花でいっぱいにした。
淡いオレンジピンクベージュの口紅が似合ってる、そして、大好きだった着物を着せてもらって、祖母はお花でいっぱいになった。
それから、大好きだった百人一首のかるたも一緒に入れた。
亡くなる20日前、娘と行った時、上の句を詠むと、スラスラと衰えることなく下の句を詠んでいた祖母、ほんとに凄い。
本は、祖母が読んでいて年季が入っていたので、私がもらって帰っちゃった。
火葬場。
1ヶ月半前も、ここに来た。
皆で、最後のお別れ。
おばあちゃん、何処に行ってしまうのだろう。
1時間半待って、お骨と対峙する。
娘は何も言わないのに、従弟の手を引いて、「あっちで椅子に座って待っておこう」といそいそと出て行った。
4歳と3歳、不思議と分かっている、さっきまで走り回って遊んでいたのに。
祖母の骨は、お歳にしては相当強く、綺麗に残っているらしく、
背骨もしっかりしていて(ふつうは粉々に近いとのこと)、のど仏様は、頭、両手、足の形を完全に残した状態で、担当の方も驚き、感心していました。
耳の骨、と説明があると、母が「○○ちゃんがたくさん掃除してくれてたね」と言う。
また、祖母のお骨はピンクや紫色に染まっていて、皆で入れたお花の色で染まったらしい、七色の祖母のお骨。
祖母の、孫や曾孫に向けたやさしいやさしい笑顔も、
大家族のご飯を毎日作ってきた大きな、力強く頼れる大きな手も、
亡くなる直前まで、驚異の記憶力を見せてくれたその賢い脳も、
全て、私たちの中で生き続ける。
おばあちゃんの茶わん蒸しが大好きでした。
最近は、会いに行って顔を除くと「○○ちゃん、綺麗になったね」と嬉しそうに微笑んでくれていた、今までたくさんたくさん褒めてくれた、無償の味方を、亡くしたんだな。
なんとか自宅に戻ってしばらくすると、雷が鳴っていた。
翌日、娘を保育園に連れて行く。
娘とシール手帳に、金曜日の枠にお休みシールを貼っていると、男の子のお友達が寄って来て、「なんでお休みしたの、僕はちゃんと来たんだよ。」と話しかけてくる。
娘は、「ひぃばぁばが妖精になるところを見てきたの。」と冷静に返していて、私はうふふ、と嬉しく頼もしく思いました。
‘妖精になる’、妹が、父方祖母の葬儀の際に、娘と甥に教えた表現でした。
おばあちゃん、あなたの孫であることを誇りに、これまで与えてくれたたくさんのことを胸に、まだまだしばらくは悲しくなるだろうけど、あなたのことは一生忘れられません。
おじいちゃんと伯父ちゃんと、楽しく天国で笑って過ごしていてね。