世界史って、インチキじゃん。そして、わたしの回答も・・・。 | 小人閑居

世界史って、インチキじゃん。そして、わたしの回答も・・・。

高校のときの思い出話を、もう少し。

世界史もけっこう苦手な科目だった。だって、世界史、なんて、世界中の国や人を一つにまとめてナラティブが作れるわけないじゃないですか。作ったとしたら、それは、ある人、ある国、ある文化を中心的価値としてすえて、その視点から見たものに過ぎないでしょ。

誰もそんなことを考えていないところに、

「ああ、君の国はね、これこれこういう風に発展してきたんだよ。君の国の歴史はだから、こういう風になっているんだね」

って誰かが、偉そうに言ったら、

「はあ、そうなんですか」

って、それを受け止めてしまう。こうして、文化の帝国主義が起きるんだな。日本は特殊だよ、なんていうのだって、元をたどれば、明治期の初めにそういう風にたくさんの外国人が不用意に言ったからであって、よーくみれば、大して特殊じゃない。

特徴があることと、特殊・ユニークであることは違う。

ユニーク、というのは、おもしろいとか、変わっているという意味ではなくて、世界中にそれ一つしかない、という意味。だから、ユニークっちゅえば、どの文化だって社会だって人だってユニーク。

でも、比べられるでしょ。それは、共通点があるからですね。だから、ほかの国と日本を比べる。ほかの人と自分を比べる。

日本とバナナを比べて、日本はユニークなのよ、って言わないでしょ。

日本とほかの国を比べる、という出発点そのもので、実は、日本とほかの国にはたくさんの共通点があることを暗黙の了解としているわけですね。でも、共通でない部分もある。これが特徴となるわけです。

同じ林檎でも、青いのと赤いの、すっぱいのと甘いの、料理用と生食用。こういった違いを集めて、「紅玉の特徴は・・・」っていいますね。

だから、日本にはほかにはないような特徴があるけれど、日本だけが特殊じゃない。このあたりの言葉遣いは注意したい。不用意にある表現を用いることで、思いがけない波及効果が生じることがある。

もちろん、高校生の時にはこんなことは考えていません。当たり前やがな。いかに楽をして、いい点を取るか、そればっかり考えていました。

ゆえに、一夜漬けをしてしまう。若い脳の記憶力に頼りきった戦術です。

しかし、もちろん、限界、というものは先天的に与えられています。

そして、世界史。脳みそオーバーヒート状態。

日本史はそこにある種の物語の筋みたいなものがあるから覚えやすい。でも、中国やって、いきなりローマに飛ぶんじゃない! どこにつながりがあるねん!! シルクロードだけやないか!


ことに、ローマ帝国の皇帝の名前の数々。長い上に、日本語とも思えない(って、日本語とちゃうって・・・)。


「おぎゃー、覚えられんー。お前はすでに死んでいる」


といって、ノートを、あちょちょちょ~ってつついても、試験はいやおう無しに来るのである。


そこに、友人S 、再び登場。


「これな、みんな、なんとかかんとかアヌス、って名前やろ。そやから、


アヌスちゃん、


って覚えたらええねん」


流石です。


そして、テスト本番。


これは、アヌスちゃん関連の事件、ということは思い出せるが、本名が思い出せん・・・。し、しまった・・・。進撃に気を取られて、補給を忘れておった・・・。旧日本帝国軍と同じ戦術上のミスを犯してしもうた・・・。


しかし、とりあえず、書いた。白紙答案は、愚か者の結論じゃあ。


「この皇帝は

アヌスちゃん

と呼ばれるべき人たちのうちの一人です」


もちろん、帰ってきた答案用紙には、でっかい



がついていました。