ジョナサン・グレイザー監督、クリスティアン・フリーデル、ザンドラ・ヒュラーほか出演の『関心領域』。2023年作品。

原案はマーティン・エイミスの同名小説。

第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門、グランプリ。

第96回アカデミー賞、国際長編映画賞、音響賞受賞。

ホロコーストや強制労働によりユダヤ人を中心に多くの人びとを死に至らしめた、ポーランド南部にあるアウシュヴィッツ強制収容所の隣で平和な生活を送る一家の日々の営みを描く。（映画.comより転載）

原題でもある《The Zone of Interest (関心領域)》とは、第二次世界大戦中、ナチス親衛隊がポーランド・オシフィエンチム郊外にあるアウシュヴィッツ強制収容所群を取り囲む40平方キロメートルの地域を表現するために使った言葉。（otocotoの記事より引用）

今年のアカデミー賞で国際長編映画賞を獲ったことや、『落下の解剖学』で主演していたザンドラ・ヒュラーが出演している（同作品も、この『関心領域』と同様に第76回カンヌ映画祭に出品されてパルム・ドールを受賞。また、ザンドラ・ヒュラーは『落下～』でオスカーの主演女優賞にもノミネートされた）ということで以前から注目していました。

『落下の解剖学』ジュスティーヌ・トリエ監督、ザンドラ・ヒュラー（サンドラ）、ミロ・マシャド・グラネール（ダニエル）、スワン・アルロー（ヴァンサン・レンツィ弁護士）、サミュ…

ameblo.jp

アウシュヴィッツ強制収容所の壁を隔てた隣りに住む所長一家を描いたもので、ユダヤ人のホロコースト（大量虐殺）についての映画なのだから当然ながら愉快な内容ではないけれど、まさしく2024年の今だからこそ観ておかなければならない作品だと思いました。

僕はジョナサン・グレイザー監督の映画を観るのはこれが初めてですが、この作品の舞台はポーランドで登場人物たちはほとんどがドイツ人なんだけど、監督はイギリス人なんですよね（この映画はアメリカ・イギリス・ポーランドの合作）。原作者もイギリス人。出演者のかたがたは主演のクリスティアン・フリーデルさんをはじめ、ドイツの俳優さんなんだと思いますが。だから使われている言語も全部ドイツ語。ちなみに、グレイザー監督はユダヤ系。

原作では名前を変えられていたのを、モデルとなったルドルフ・フェルディナント・ヘス（アウシュヴィッツ強制収容所所長。ナチス副総統のルドルフ・ヴァルター・リヒャルト・ヘスとは別人）やその妻の実名にして映画化。

最大10台の無人キャメラを撮影現場（実際にアウシュヴィッツの隣りにヘス邸のレプリカを作った）に仕込んで遠隔で操作、さまざまな場所や角度から得た膨大な量のショットを組み合わせて編集した、ということで（撮影：ウカシュ・ジャル、編集：ポール・ワッツ）、その撮影方法のユニークさにも注目していた。

監督やスタッフの姿が見えない状態で、出演者たちがほとんどそこで生活しているようなドキュメンタリー的な手法で作られた映画によって、情緒的な演出を避けて徹底して撮影対象を引いた目で捉えている。

劇中、自転車でやってきて収容者たちのために密かにリンゴを置いていく少女の場面は（撮影用の照明を一切使わなかったため）サーモグラフィ・カメラを使用。彼女のモデルとなったのは12歳でポーランドのレジスタンスに加わっていたアレクサンドラ・ビストロン・コロジエイジチェックという女性で、アレクサンドラさんが90歳の時（映画の完成前に死去）にグレイザー監督は会っている。劇中で少女が着ているワンピース、彼女が弾くピアノ、そして撮影に使われた家もアレクサンドラさんご本人のものだという。

少女が缶の中からみつけた楽譜（「sunbeam」という楽曲）を書いたのはアウシュヴィッツの収容者だったヨセフ・ウルフ（ユゼフ・ウラー）で、彼はその後、生還している。

この映画は虐殺の様子は一切映像では見せずに、「音」や「声」で表現している。劇場に響き渡る銃声や人の叫び声、子どもの泣き声、犬の鳴き声、焼却炉の轟音などによって、私たちは壁の向こうで行なわれていることを想像する。それは真夜中でも聞こえてくる。

音楽はミカ・レヴィ。音響デザイナーはジョニー・バーン。

この映画の公開前に、あるお笑い芸人による新聞の相談者への返答の内容が炎上してましたが、多くの人たちが「まさに“関心領域”」と、この映画を挙げて批判していました。

朝日新聞記事が大炎上「紛争地が心配なら現地行け」「自分の幸せと周囲の人に感謝しろ」―同業からの処方箋（志葉玲） - エキスパート - Yahoo!ニュース　「解約する」「ゴミのような記事」…正に非難轟々（ごうごう）。朝日新聞デジタルの連載「(悩みのるつぼ)」の記事に批判が相次いでいます。この連載は、読者からの相談に学者やタレントが回答するもので、5月1

news.yahoo.co.jp

グレイザー監督はこの映画についてのインタヴューでこう語っています。

“私たちは世の中で起きていることを黙認していたり、共犯的な関係でいたりすると思いますが、それは世の中で起きていることと対峙せず、避けてしまうからだと思います。安全安心な領域の中で過ごしていたいからということで、本来は対峙するべき問題なのに、しない。この作品では、そのように「黙認」すると、最終的にどこに行き着くのかということを極端な例で示したつもりでいます。”（CINRAの記事より引用）

前述のお笑い芸人は、まさにグレイザー監督が仰ったことそのままの発言をしていて、その無関心ぶりは映画の中のヘス夫妻と重なるし、そしてその姿はけっして私たちとも無関係ではないことをこの映画は訴えかけています。

映画の中で、ヘス所長の妻・ヘートヴィヒ（ザンドラ・ヒュラー）と女性たちがユダヤ人から奪った物について喋っていて、ヘートヴィヒは歯磨き粉の中に宝石があったのをみつけたことを得意げに語るし、やはり収容者から剝ぎ取ってきた高級なコートを鏡の前で着たり、そのポケットに入っていた口紅をつけてみたりする。

無邪気な弟と、彼を庭のガラス温室に閉じ込めてニヤつく兄。その様子はまるで強制収容所のミニチュア版のようでもある

ドイツ人の女性たちが笑い合っている横で立ち働く現地の人間である家政婦たちの顔に笑顔はない

途中で彼女に呼び寄せられてやってきた実母は、知人のユダヤ人の家のカーテンを手に入れられなかったのを悔やんでいるようなことを言う。その持ち主がどうなったのかには関心がないようだ。聞いていてほんとにゾッとする。

しかし、今、ガザで行なわれている虐殺のニュースを見ても気にもせずに自分の身のまわりのことだけにしか興味がないのであれば、それはあの女性たちと同じということでもある。日本はアメリカと同様に、虐殺を行なっているイスラエルを擁護してパレスチナの人々を見殺しにしている。だから、映画の中の恐ろしい「無関心」は僕たちのことでもある。

イスラエルはどうしてあんなにひどいことができるの？　早尾貴紀——前編｜じんぶん堂 2023年10月に始まったイスラエルによるガザ地区への軍事攻撃がつづいています。長さ50km、幅5～8kmの狭い地域におよそ220万人が住むガザへの大規模な空爆と侵攻により、人々は住む場所を破壊され、避難を繰り返し、ヨーロッパ地中海...

book.asahi.com

植物を育て庭を見事に作り上げて満足げなヘス夫妻（ヘスは兵士たちが植物を粗末に扱うことを禁じるような命令書みたいなものまで残している）は、しかし、壁の向こうで大勢の人間が毒ガスで殺され焼かれるのを悲しむことも、それをなんとか食い止めようとすることもなかった。

特にヘートヴィヒの言動には正気を疑うレヴェルの異常さが見られる。

10代の頃からの夢だったという豪華なマイホームへの執着。だが、夫が転任を命じられたと知ると激昂して、あなた一人で行けばいい、私たちはここに残る、と言い張る。そして腹いせに家政婦を「バカ女」「贅沢させてやってるのに」と怒鳴りつける。彼女の本性が見えた瞬間だった。ああいう、人を平然と大声で罵れる人間はまともではない。

ヘートヴィヒを演じるザンドラ・ヒュラーさんは、この映画では身体を揺らしてちょっと足をヒョコヒョコさせるような歩き方で、それが演技なのか彼女ご自身の歩き方なのかわかりませんが、とても気になった。劇映画だとわかってて観ていても、ヘートヴィヒという実在の女性の不快さ（何がおかしいのか知らないけど、夫とのベッドでの会話でいきなり笑いだすとこなんかも、いちいちイラつかされる）はなかなかでした。

ルドルフ・ヘスは戦後処刑されたけど、妻はその罪を問われることはなかったんだろうか（彼女はゴリゴリのナチス信奉者だった。当然ながら、ヒトラーの選民思想やユダヤ人排斥にも賛同していた）。

一方の、夫で絶滅収容所の所長でもあるヘスは、いかに効率的に囚人たち（“荷”と表現されていた）を殺害して焼却するかに腐心している。彼の功績は認められて、上からの評価も高い。アドルフ・アイヒマンもヘスも、ただ命令されたから従ったのではなく、進んで虐殺に加担していた。それが彼らにとっては出世や地位の維持に繋がったから。相手を生きた人間だと思っていない。

業務的に「虐殺」について話し合うところなど、ほんとにイスラエルはナチスからよく学んでいるようだ（皮肉です）

そして、今イスラエルの人々が自らの国によるガザでの虐殺行為を支持して正当化する姿は、あの当時のドイツで起こったことと変わらない。誰もが感覚が麻痺して、あるいはその麻痺の中に自ら溺れて“隣人”の殺戮を「楽しんだ」のだ。

グレイザー監督は今年のオスカーの授賞式でのスピーチで、パレスチナのハマスのテロによるイスラエルの犠牲者とともにガザでのパレスチナの人々への虐殺行為についても発言して、ハリウッドの関係者たちから批判もされています。ユダヤ系であるジョナサン・グレイザー監督が、いかなる虐殺も正当化されるべきではない、と訴えることの意味の大きさ。許される虐殺など、ない。

アカデミー国際長編映画賞「関心領域」の英監督、ガザでの戦争について声明　受賞スピーチで - BBCニュース米アカデミー賞の授賞式が10日あり、アウシュヴィッツ強制収容所とホロコースト（ユダヤ人大虐殺）を題材とした英作品「関心領域」が国際長編映画賞を受けた。ジョナサン・グレイザー監督は受賞スピーチで、パレスチナ自治区ガザで続いている戦争に焦点を当て、ユダヤ人としての自分たちの存在やホロコーストが、ガザでの占領行為に「乗っ取られていることに異議を唱える」と述べた。

www.bbc.com

映画を観ていて、クリスティアン・フリーデル演じるヘスの髪型が気になったんですが、当時はああいう頭の上部に毛を残してまわりを短く刈り込むヘアスタイルが流行ってたんでしょうか。ヒムラーなんかもああいう髪型してたもんね。なんか、凄く異様な感じ。ネオナチとかが真似してるよな。

月日が流れるにつれて、だんだん上の方の髪が増えていくのも奇妙で。

モノクロの画像はヘス本人

パーティに一人参加したあと、電話でヘートヴィヒに「毒ガスでパーティの参加者たちを殺すことを想像していた」と語るヘス（ジョークのつもりか？）は、妻同様に何かが決定的に壊れている。でも、彼らには責任能力があり、自分がやっているのがどういうことなのか理解できていた。でも、もはやそのことに抵抗も疑問もなかった。慣れたのだ。

映画の最後に、そんなヘスがパーティの帰り際、建物の階段で不意に何度も嘔吐（えず）く。

自分でも気づかぬうちに、身体が拒絶反応を示していたのか。

彼がじっと見つめた暗闇の先は、現在のアウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館に繋がっている。

そこには、ユダヤ人たちから剥ぎ取られたおびただしい数の靴や衣類が展示されている。

僕の頭の中で、その光景に爆撃されたガザの瓦礫の中に埋もれた無数の人々が重なったのでした。

そして、ヘスは僕たち観客の方を見つめる。

私がやっていることは、あなた方の姿ではないか？と問いかけるかのように。

僕たちは自分の姿を突きつけられて、どう行動すべきだろうか。

『6月0日アイヒマンが処刑された日』

関心領域

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アウシュヴィッツ収容所 (講談社学術文庫 1393)

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