『気狂いピエロ』のアンナ・カリーナに会いたい
仕事中にメールを受信すると、「下高井戸でやってるトリュフォー特集のチケットもらったから、どれを観たらいいか教えて」と、大学時代のクラスメートの奥さんからだった。そういえば、この夫婦とは久しく会っていない。私が彼に彼女を紹介したので、まあ言ってみれば仲人みたいなものなのに。
10年前なら得意げにあれこれトリュフォーのことを説明したかもしれないのだが、いまとなってはあれこれ説明するには記憶が不確かになってきている。
それで、山田宏一さんの『友よ映画よ ~わがヌーヴェルヴァーグ誌』を久しぶりに読み返した。
すばらしく情動的で、恋愛的で、絶望的な1960年代のフランスでの青春時代の記録だ。
増補 友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌 (平凡社ライブラリー)/山田 宏一

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この本では、アンナ・カリーナという一人の女優がミューズとして描かれている。山田宏一さん自身が彼女に、そして映画に恋をしているのだ。その狂おしさが伝わってくる。
たとえば、ジャン=リュック・ゴダール『女は女である』に出演したアンナ・カリーナについて
このときのアンナ・カリーナは、まったく恋する者を絶望させるに充分な挑発ぶりだ。そんな気をそそる女を「アリュムーズ」(直訳すると“火をつける女”ぐらいの意になる)というのだと、ずっとあとになってジャン・ユスターシュからおしえてもらったおぼえがある。
allumer
allumer /alyme/
―【他】(英 to light)
1 火をつける、電気をつける.
2 刺激する、(欲望などを)かき立てる、(戦争などを)引き起こす
allumerというフランス語、そそりますねぇ。allumeurseというのはその女性名詞。
それから、『女は女である』の後、『気狂いピエロ』におけるアンナ・カリーナについては、
『女は女である』のときにはあれほど明るくハツラツとしていたアンナ・カリーナの瞳は、『気狂いピエロ』に至って、暗い絶望的な、ときには悪意をこめたようなまなざしに変わる。マリアンヌ・ルノワール=アンナ・カリーナは、フェイドアウトのまったくないカットで、シーンが閉じられるまぎわに、もう二度と彼女には会えないのではないかと思わせるような、深い、暗い、絶望的な視線をキャメラのほうに投げかけるのだった。
ふつうの映画を観て、「シーンが閉じられるまぎわに、もう二度と彼女には会えないのではないかと思わせるような、深い、暗い、絶望的な視線をキャメラのほうに投げかけるのだった。」なんて狂おしい気持ちにはなりえない。
それは『気狂いピエロ』という映画だから、また、アンナ・カリーナだからなのだ、と思うと、この映画を再び観たいという気持ちが高まってくる。
1965年は『気狂いピエロ』の年であった。私たちはみんな『気狂いピエロ』に狂っていた。映画はそこから始まり、そこに終わるかとすら思われた。『気狂いピエロ』は映画そのものの代名詞になってしまった。映画という言葉が消滅しても、『気狂いピエロ』が「映画」という理念を具現しつづけるだろうと私たちは信じた。
アンナ・カリーナは、このときゴダールと恋愛関係にあった。
この本は、アンナ・カリーナへの狂おしい気持ちだけでなく、同時にゴダールを中心とした映画への恋愛が込められている。これを読みながら、映画も同時進行的に観れば、あの時代のフランスへタイムトリップできるかもしれない。
フランソワ・トリュフォーがいつだったか、ふっと「ゴダールへのアンナ・カリーナへの愛は、まるで死に至る病みたいなものだから‥」とつぶやいたことを思い出す。ジャン=リュック・ゴダールは、なんども死んだ。もちろん、愛のため、女のためばかりではなかった。だが、それはまた別の話になる。
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10年前なら得意げにあれこれトリュフォーのことを説明したかもしれないのだが、いまとなってはあれこれ説明するには記憶が不確かになってきている。
それで、山田宏一さんの『友よ映画よ ~わがヌーヴェルヴァーグ誌』を久しぶりに読み返した。
すばらしく情動的で、恋愛的で、絶望的な1960年代のフランスでの青春時代の記録だ。
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この本では、アンナ・カリーナという一人の女優がミューズとして描かれている。山田宏一さん自身が彼女に、そして映画に恋をしているのだ。その狂おしさが伝わってくる。
たとえば、ジャン=リュック・ゴダール『女は女である』に出演したアンナ・カリーナについて
このときのアンナ・カリーナは、まったく恋する者を絶望させるに充分な挑発ぶりだ。そんな気をそそる女を「アリュムーズ」(直訳すると“火をつける女”ぐらいの意になる)というのだと、ずっとあとになってジャン・ユスターシュからおしえてもらったおぼえがある。
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―【他】(英 to light)
1 火をつける、電気をつける.
2 刺激する、(欲望などを)かき立てる、(戦争などを)引き起こす
allumerというフランス語、そそりますねぇ。allumeurseというのはその女性名詞。
それから、『女は女である』の後、『気狂いピエロ』におけるアンナ・カリーナについては、
『女は女である』のときにはあれほど明るくハツラツとしていたアンナ・カリーナの瞳は、『気狂いピエロ』に至って、暗い絶望的な、ときには悪意をこめたようなまなざしに変わる。マリアンヌ・ルノワール=アンナ・カリーナは、フェイドアウトのまったくないカットで、シーンが閉じられるまぎわに、もう二度と彼女には会えないのではないかと思わせるような、深い、暗い、絶望的な視線をキャメラのほうに投げかけるのだった。
ふつうの映画を観て、「シーンが閉じられるまぎわに、もう二度と彼女には会えないのではないかと思わせるような、深い、暗い、絶望的な視線をキャメラのほうに投げかけるのだった。」なんて狂おしい気持ちにはなりえない。
それは『気狂いピエロ』という映画だから、また、アンナ・カリーナだからなのだ、と思うと、この映画を再び観たいという気持ちが高まってくる。
1965年は『気狂いピエロ』の年であった。私たちはみんな『気狂いピエロ』に狂っていた。映画はそこから始まり、そこに終わるかとすら思われた。『気狂いピエロ』は映画そのものの代名詞になってしまった。映画という言葉が消滅しても、『気狂いピエロ』が「映画」という理念を具現しつづけるだろうと私たちは信じた。
アンナ・カリーナは、このときゴダールと恋愛関係にあった。
この本は、アンナ・カリーナへの狂おしい気持ちだけでなく、同時にゴダールを中心とした映画への恋愛が込められている。これを読みながら、映画も同時進行的に観れば、あの時代のフランスへタイムトリップできるかもしれない。
フランソワ・トリュフォーがいつだったか、ふっと「ゴダールへのアンナ・カリーナへの愛は、まるで死に至る病みたいなものだから‥」とつぶやいたことを思い出す。ジャン=リュック・ゴダールは、なんども死んだ。もちろん、愛のため、女のためばかりではなかった。だが、それはまた別の話になる。
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