※いつも以上に長文です。適当に流して下さいw

おそらくこれほど完璧な、幼児期向けの平和教育絵本というのはほかにないのではないか。シンプルなことばとシンプルなイラスト。しかし描かれている真理は、恐ろしく深淵であり、同時にひどく単純でもある。

『へいわとせんそう』
たにかわしゅんたろう:文 Noritake:絵 ブロンズ新社(2019年)

へいわのかぞく
せんそうのかぞく

みかたのあかちゃん
てきのあかちゃん

などすべて並列で書かれたことばは、一見対のように対極に思える。平和と戦争…これほど対極的なものはない。

ことばと絵の距離感、という谷川さんが以前おっしゃっておられた言葉からすると、これなどその「距離感」がじつに完璧であり、この線だけのシンプルなイラストにもこの場合大きな意味がある。

みかたのにんげん
てきのにんげん

これが「戦争」であり、真実なのだ。完璧な表現をここに見る思いがする。僕のこの言葉の真意はぜひ実際に読んで感じてほしい。そして、これほど子どもに、シンプルにストレートに伝わるものもないだろう。戦争とは、恐ろしく単純でもある。

また細かいことだが、本のタイトルを「へいわとせんそう」としている点にも意味がある。トルストイとかぶるのを避けた、のではない。せんそうとへいわでもいいけど、でもやっぱり「平和」がまず先だ!という強い想いというか願いのようなものがあったのだろうと思えるのだ。大したことない違いに思えるかもしれないけど、実際にはかなり重みがあると僕には思える。

さて、ここから先は僕の個人的見解ということになるけど…

平和と戦争、という二項対立。それでふと思い出したのが、同じ谷川俊太郎さんの詩集『これが私の優しさです』の巻末で、故人になられた漫画家のさくらももこさんが谷川さんを評して、谷川さんはすべての二元性は一元性に通ずる、ということを深く理解されている方なのだと書かれていた。光と闇、善と悪、生と死…この世のそうした二元性に思える事柄の一切はじつは表裏一体、「一元性」である、と説くのはブッダの教えだ。ならば…「平和」と「戦争」という二元性も、やはり同じなのだろうか?

そんなわけない、と思ってしまいそうだ。が、それでも突き詰めて考えていくと、この「平和」という状態と「戦争」という状態は、実際には霞のように曖昧で、ほんのちょっとバランスが崩れれば簡単に「戦争」になってしまう。われわれが生きている世界というのはそうした、ほんの些細なボタンの掛け違いで「平和」にも「戦争」にも振れる、微妙なバランスの上で成り立っているのだと。そもそもどの辺から「戦争」と呼ぶのか、言葉の定義すら曖昧なのだ。この日本だって現在はたして本当に「平和」だと言えるのか、それもまた曖昧であり、そうした微妙でひどく危うい世界にわれわれは生きている。

そして、だからこそ人と人は話し合い、交歓を深め、互いを尊重し合う関係をたえず築くことが大切なのだと思えてくる。この極端なまでに単純で明快な本もまた、そうした真意を言下に秘めている、と、そこは作者が谷川さんだけに余計そう思えてくるのだ。そこまで考えるとなおのことこの本の持つ価値というのがわかるだろう。一家に一冊レベルだとすら思う。犬でもわかるやもしれぬほどシンプルに徹して書かれた絵本だからこそ、繰り返し何度も向き合い、徹底して考え、突き詰める意味がある。平和も戦争も、向き合い、考え続けることが大切なのだ。
(✻あくまで個人の見解です。)


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