CPがユーロ市場の金融商品として出現したのは必ずしも最近のことではない。一九七〇年代初期に米国の多国籍企業が海外金融調達のため若干の発行例があるからである。

しかし、現在のようにほぼ短期資金調達手段の中心を占めるまでに拡大してきた(八四年六億ドル、八五年二八四億ドル、八六年五五六億ドル)のは、やはり特筆大書すべきことであろう。つまり、ユーロ市場の資金調達の主流は、シンジケート・ローン→FRN→短期ファシリティ→ユーロ・コマーシャル・ペーパーと変遷してきているのであって、これ自体がユーロ市場の証券化の流れでもある。

ユーロCPは明らかに米国型商品であるが、その米国CPとの相違点は次のようなものである。①期限は三〇日~三六五日程度で主体はI~六ヵ月ものである。米国ではSECの規制上、実務的には二七〇日までであるが、主体は三〇日程度。②格付け不要、③償還についての銀行保証不要、④流通市場としては若干存在する、⑤準備期間約二週間(米国のように格付けのために六~八週間を費やすことはない)、⑥主としてディーラーを通じた販売方式(米国は直販方式もある)等である。

一般にその病気に直接または間接的にかかわりをもっているものは、排斥度は比較的低く、かかわりのない人は高くなっている。これからもわかるように、精神異常者に対する社会の受け入れ方の低さは、一般の人々が精神異常に対する治療の内容を知らないこととも関連しており、早期発見のチャンスをのがす原因ともなっている。それゆえに早期発見、早期治療をめざすためには、多くの人々に、精神異常に対する正しい認識をうえつけ、無用の恐れや偏見をとり除いていくよう、地域社会のリーダーやマスコミ関係者に、適切な紹介や啓蒙を行なって、より多くの人々に周知させるよう強調しなければならない。

このように、偏見は何の根拠もないのに、ただ感情的にある対象をいみ嫌い排斥しようとする歪められた病的な態度でありながら、社会全体がそうした傾向におちいりやすいので、個人として、その異常性に気がつかないことが多いのである。しかしながら、偏見の多い社会では、真の意味での文化の発展に悪い影響を与えるのはいうまでもない。社会全体が、偏見をなくそうと努力することは、今後人類に残された一つの課題でもある。
後発国が内外のきびしい条件下で急速な経済発展を試みようというのであれば、権威主義的な政治体制と開発戦略は避けられない。しかし主張されなければならないのは、そうした権威主義体制のもとでの開発戦略が成功裡に進められるならば、その帰結として、権威主義体制それ自体が「溶解」するという論理が存在しているという事実である。ここしばらくのあいだに韓国と台湾を舞台に演じられた激しい政治的民主化の動きは、この事実を象徴的に示したものだということができよう。韓国、台湾は、後発国経済開発の有力なモデルである一方、権威主義体制「溶解のモデル」をも提供したのである。

一九八七年の民正党代表盧泰愚による八項目民主化提案、いわゆる「六・二九民主化宣言」は、韓国の政治が軍部を背後においた権威主義体制から、国民の政治的要求を体現する民主主義体制へと急角度に転換したことを示す象徴的なできごとであった。一九六一年の軍事クーデタ以来、韓国における組織化された政治勢力は、唯一、軍部のみであった。南北対立のもとでこの国を強固にも支えてきた軍部の力が卓越したものであったのは、当然である。軍の頂点にいたのはもちろん朴正煕であった。朴の指導力により強力な経済官僚テクノクラートが権力と威信を身につけることができた。彼らの擁したイデオロギーが、「開発主義」にほかならない。