戦争邦画の名作と八杉さんの思い出(4283記事目) | GAIYAの合縁奇縁

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日々の出来事や愛媛県内各地、隣県各地、旅した風景等ぼちぼち載せていきます(^-^)

活動してきた事等や旧海軍関連の事や体験者の皆様との交流等も載せていきます。

前記事で大和の事を載せたけど・・

映画「連合艦隊」(1981年公開)の主題歌
谷村新司の名曲・群青🎵


封切りされて当時リアルタイムで観たのが中坊の時(14歳)やった🤔

この作品は50回以上は観てる👍

中尉役で最期は特攻機に搭乗し大和の最期を見届け父の後を追った。

海軍式の敬礼をちゃんと出来てる👍

作品終盤、沖縄海上特攻へと進撃する大和の上空に鹿屋基地から上空護衛に飛来した零戦の中に中井貴一扮する小田切中尉も居た。

史実でも大和の艦橋の高さまで降下した零戦の搭乗員は風防を開け搭乗員の顔まで見えたという。

鹿屋基地に戻った小田切中尉は第二艦隊の戦況を知った。

大和は米艦載機の猛攻を受け被害が増大していった。

艦内では小田切中尉の父役(小田切兵曹長)の財津一郎の名場面


史実でも艦内で多くの乗組員が戦死した。


激闘2時間余、左舷に大傾斜した大和を発見する小田切中尉。

この辺りで主題歌・群青が流れる。

映画・連合艦隊で大和の最期を描いた名場面の一つであるが、実際の有賀艦長が言ったかは定かでは無い🤔

この「艦を北へ向けろ」は、大和も人の死と同じように北枕を意味したものか、艦が動く限り佐世保へ向かうよう指示したものなのか解らない?

実際の大和は被害甚大で舵機もやられ速力低下し、最期は低速で左旋回しか出来なかったと・・

そして戦争邦画史に残る大和の最期。


大和の最期と共に父の最期を見届けた小田切中尉。


この頃には涙ボロボロよ😭

CG技術なんか無い頃の作品やけど、戦争邦画史に残る名作よ👍


映画になっても可怪しく無かった戦争作品で名作やと思うのが、市川崑監督のドラマ「戦艦大和」よ👍


1990年、フジテレビで放送された名作👍


俳優陣も豪華やった。

この作品にも中井貴一は出演してる👍

沖縄海上特攻へ出撃する大和の将兵達の心情がよく解る作品やった👍

これも当時はレンタルビデオを何回も借りて観たなぁ🤔

どちらの作品にしても、史実は1艦での戦死者が三千人を超えていたという凄惨な最期だったという事よ😞

そんな戦争が日本人の礎にはあって今がある事を忘れてはならん❗


そんな作品を何度も観て以後、大和の生き残りであった八杉康夫さんの事を知り、手紙を送る事数回、2009年7月に初めてご自宅へ招いて頂き大和の事は勿論、沖縄海上特攻の真実や戦争の悲惨さ、平和の尊さを聞き親交させて頂いた。

ご自宅へ伺う事数回、映画等で取り上げられる事の多い大和やけど、真の戦闘シーンはあまりに惨過ぎて映像化は不可能って言われてた😣

「また愛媛にも行くよ」と笑顔で言ってくれた先生(いつもそう呼んでた)の笑顔が忘れられない😢

その愛媛行きは叶わなかったけど・・

先生が戦友の元へ逝ってから4年が過ぎた😞