全局は見れんかったが、今夕の県内ニュースで殆どがトップニュースで伝えてた👍
零戦に替わる高性能の戦闘機として開発された紫電改
当時は県内でも大ニュースやった❗
この機体が見つかるまで日本国内に紫電改は一機も残って無かった❗
紫電改を作ったのが川西航空機で後の新明和工業である👍
海底に38年間も沈んでた機体の腐食は酷く、45年前に新明和工業の技術者達の手により改修されたが、建替えで移転先へ移動させるには強度が無く補強が必要な状態😣
英霊の御遺族の事も当然考えて墜落した時の原型をなるべく留めた形での補修となるやろね🤔
どちらにしても45年以上振りに機体を吊り上げて浮かさんといけんやろね🤔
これは南海放送のニュース
2年後、どんな形で新展示となるやろね?
こちらは愛媛朝日テレビのニュース
技術は継承され今では優秀な飛行艇を作ってる👍
※ 最初に出されたリニューアル案の内観イメージ
※ 現行の展示館は館内からは引き揚げられた久良湾は見えないが、リニューアル案では館内から久良湾や遠く隣接の宿毛湾も見えるような作りとなってるが・・
どうなるやろね?
昨日は事前に機体調査の件を教えて貰ってたので、岡崎さんとメディア取材日じゃない日に見学させて頂こうと展示館へ向かった👍
※ 展示されてる紫電改とも関係ある松山基地跡の掩体壕の保存を目的として立ち上げた会のメンバーであり(岡崎さんも)・・
長年に渡り掩体壕保存を訴え尽力されてきた、三四三空・第四偵察部隊の隊員だった杉野富也さんを会長に、当時の愛媛零戦搭乗員会の保田会長にも協力頂き保存活動を行ってきた。
※ 僅か一基ではあるが、松山市により保存が決定したが、その知らせを聞く前に杉野さんは戦友の元へ逝かれた😢
その他、県内、四国各地の戦争遺跡保存の活動等や松山基地に居た紫電改の元搭乗員・笠井さん等との親交もあったりとする関係で、今回の新明和工業さんによる機体調査の件を早くから知ってた訳👍
紫電改展示館の元課長とも友人やしね😃👍
展示館より高い位置にある宇和海展望タワー
着いて岡崎さんがポツリと一言・・❗
「あれ親父が設計したんよ」って😳❗
え〜〜〜😱💦
長い付き合いやのに一度も聞いた事無かったよ😆💧
やけど岡崎さん、一度も乗った事無かったんと😩
一度位乗っとけば良かったと後悔してた😆💧
俺は若い頃から5回は乗ったよ😅👍
AM11:00 昨日も猛暑やった紫電改展示館🥵
この石碑も移転になるんやろね🤔
南側は機体が引き揚げられた久良湾、遠く隣接の宿毛湾も望見できる👍
既に新明和工業の技術者さん達による調査が行われてた👍
展示館自体も休館せずに通常営業してた👍
だから調査の事は知らない一般のお客さんも数名来館してた👌
階段上がって上から撮影
やけど上は冷房が効いて無いけん暑いのなんの🥵
上には長くはおれんかった🥵
開館以来44年、機体がこんなに調査されるのは初めて😳
初めて展示館へ来て紫電改を見たのは俺が小6か中1の時やった❗
翼は多少の補強はされてるようやが🤔
当時の紫電改の実際の重量は2t半程あったんやろ🤔
45年前の改修で補強された部分やろかね🤔
開館以来、機体内部が見えるなんて一度も無かったけんね😳
この光景は流石に課長も撮影してた👍
胴体部分は殆どが空洞で補強は弱そうやった😆
日の丸の右側の穴は、昨日載せたように海に不時着した際、救命筏を収めてた部分らしい👍
国内唯一の貴重な機体やけんね👍
課長が来館した陸自隊員の団体さんを案内(説明)してた👍
国防を担う若き隊員の皆さんも熱心に見学されてた👍
豊後水道上空で米軍機と空戦し被弾、それでも巧みな操縦で久良湾へ不時着させた機体は当時のままプロペラは海面に激突の衝撃で変形したままの状態で保存されてる。
6機が撃墜され、その内の1機がこの機体であるが、6名の未帰還の内誰だったのか未だ解っていない😣
御遺体も見つからなかった😢
そんな機体であるからこそ、英霊の事は忘れず供養の御心と共に恒久平和を願い平和学習の一貫を担う大切な機体として保存して行く必要がある。
新明和工業の課長さんが言われたように文化財的に大切に扱う必要があるって事やね👍
こちらの田中さんは、父が45年前この機体を改修した1人として親子二代に渡り紫電改を手掛ける事になった方👍
前出の新明和工業OBの森さん曰く、当時改修に携わった方々は90歳を超えてると云う😳
45年の月日を感じるね😥
お昼となり俺達も昼飯食べに行った😅