春分の日と79年前の松山基地(3885記事目) | GAIYAの合縁奇縁

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日々の出来事や愛媛県内各地、隣県各地、旅した風景等ぼちぼち載せていきます(^-^)

活動してきた事等や旧海軍関連の事や体験者の皆様との交流等も載せていきます。

春を感じる瞬間は?

順次咲いてく春の花々を見ると感じるね~🌸

今日は春分の日やけど春の嵐よ🌪️😆💦

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小倉の後輩JからLINEで、カレー食ったって言うけん、俺も食いたくなって・・😅


お袋に野菜煮込んで貰いよる間に買い物行って来て😅


ハウスバーモントカレー(中辛)だよ~🎵😚


久々のビーフカレー🍛😋

旨かった〜😄👍

今日は冷え込んどるけん、温かいカレーが食いたかったのよ😋👌

※ 4年前、松山空港周辺に残る旧海軍の掩体壕1基の保存が正式に決定した❗


「松山の掩体を考える会」を代表して記念セレモニーに参列させて頂いた(左は愛大生の竹中君/当時)


※ 大戦を体験された大先輩の面々も何度となく足を運ばれた掩体壕である。


故・杉野さんにはお世話になった。


※ 松山基地の三四三空・偵察第四飛行隊で任務に就いていた杉野さん。


※ 大戦末期、松山沖に姿を現した巨大戦艦大和を初めてにして最後の姿を双眼鏡で目撃された杉野さんと、その時、大和に乗艦されてた八杉さんが初対面された。

大和上空に飛び立った紫電改は、大和から対空射撃を受け(味方撃ち)、慌ててバンク振って基地へ戻って来た数機の機体は被弾してたと・・😰

松山空港周辺はかつて旧日本海軍の一大拠点である基地だったが、こんな記事を見つけた❗

 

※ 79年前の3月19日、大戦末期の松山基地では死闘が繰り返えされてた❗



劣勢に立たされた日本は戦勢挽回を図る為に、松山基地に精鋭搭乗員を集め、本土空襲に迫り来る米軍機を迎撃し制空権を奪回する事を目的とし本土防衛の任に就いていた。


偵察第四飛行隊の彩雲も土佐沖に侵攻する米機動部隊の艦載機を求め松山基地を飛び立った❗


三魂之塔(高知県津野町の山中に建立されてる)


エンジン不調により帰還困難となり、最後まで敵情を打電し最期は「ワレ突入ス」と敵機に体当たりを刊行し壮絶な最期を遂げた彩雲搭乗員三名を供養する塔である。😢🙏


※ その様子が解る記事。


ほんの79年前、日本人は命をかけて戦い多くの尊い命が散って逝った🌸😣


零戦、紫電改と日本を護る為に大空で戦った笠井さん。


松山基地で戦ったお二人ももう居ない😢


松山基地から大村基地(長崎)へ転進した三四三空の部隊が、空襲を終え土佐沖の母艦へ帰投する米軍機を迎撃に飛び立ち、豊後水道上空で交戦となり、由良半島の先端にあった旧海軍の由良衛所からも空戦の様子が目撃された。

数機の紫電改が被弾し堕ちて行った😣

※ 貴重な写真集を遺された原田先生も由良衛所で任務に就いており、1機の紫電改が被弾して煙を吐きながら愛南町方面に堕ちてく行くのを目撃された😣


※ 生前の先生に頂いた冊子にも書かれてる。

由良衛所には戦艦大和沈没後、大和の生き残りの兵も任務に就いていたと・・

※ その紫電改が未帰還機6機の内の1機で、愛媛・愛南町で恒久展示されてる国内唯一の紫電改の機体である。


紫電改展示館も老朽化に伴い、1年数ヶ月後にはリニューアルされる👍


※ 墜落した海域が見えるようになる。


※ 竹中君もリニューアルされる紫電改展示館の準備委員会のメンバーに選ばれとる👍

戦後79年、各地で戦争について考え、平和の尊さを知る取り組みが行われるであろう。

日本人は戦争の歴史の礎の元に今がある事を忘れてはならない❗