日本人で良かったと思う🌸
山桜も花盛り🌸
そんなこの時期になると想い出すのは・・🌸
帝国海軍最後の艦隊として生還を帰さない戦いに出撃した🌸
三千人を超える男たちを乗せた戦艦大和を想い出す🌸
日付的には78年前、故・八杉さんは呉軍港で最後の上陸が許され福山から会いに来た母との一夜を過ごした日である。
3月後半、呉では珍しい大雪が降った日だった❄
※ 映画・男たちの大和では母との別れのシーンで母子が抱き合うシーンが感動的やったが、実際の八杉さんは、追いかけて来た母の方へは振り返らず直立不動の姿勢を取り、初めてにして最後の敬礼をした。
振り返ると未練が残り大和へ帰れなくなると思ったからだと・・😣
母と別れた八杉さんが沖合に停泊する大和へ戻ると、甲板では雪かき作業をしてたそうである。
その後、呉軍港の空襲を避ける為と天一号作戦準備の為に大和は静かに出港し山口県防府市の三田尻沖へ移動した⚓
その際、松山沖を航行した大和の上空に松山基地の紫電改が近付いた時・・
釣島海峡付近で大和から
紫電改が対空射撃を受けた❗
慌ててバンク振って戻って来た紫電改
基地に帰還した数機の機体は被弾した機体もあったそうな😥
その様子を松山基地から双眼鏡で目撃したのが、掩体壕へ飛行機を格納してた故・杉野富也さんだった。
偵察機・彩雲搭乗員だった杉野さん、松山沖の上空に対空射撃の硝煙を発見し双眼鏡で見ていると、慌てて帰って来る紫電改を目撃、その後数十分して松山沖に姿を現した巨大戦艦大和を目撃した。
杉野さんが見た初めてにして最後の大和の姿だった❗
松山基地の源田司令から第二艦隊宛に味方撃ちの抗議の電文を送ると、伊藤長官からの返電は、警戒航行中の艦隊上空に侵入して来る機体に対し敵味方関係無く射撃する旨の返電があったとか😥
大戦末期で本土空襲も頻繁にあった頃の緊張感ある珍事だった。
少し前に大和は岩国沖で米軍機の空襲を受け回避した経緯もあったから余計緊迫してたのかもしれない。
岩国沖の甲島(かぶとじま)付近で米軍機の魚雷・爆撃を回避する大和
この時の攻撃は被害軽微で呉へ戻り修理されてる。
その時、大和に乗艦してた八杉さんと、その大和を目撃した杉野さんが60数年の時を経て初対面されたのが12年前に松山で開催した八杉さんの講演会だった。
艦と偵察機の違いは有れどお二人共に海軍魂を持った軍国少年兵であった。
大和はその後、三田尻沖へ移動し沖縄海上特攻への出撃準備で少年兵達も慌ただしく翻弄された。
そして4月6日、徳山沖を抜錨し運命の出撃をする事になった🌸
夕刻出撃した大和は一路南下し、八杉さんが見た最後の桜は国東半島の山桜だった🌸
桜の季節になると悲壮な出撃をした大和を想い出さずにはいられない🌸😢