戦艦大和・最後の語り部・八杉康夫講演会から11年 | GAIYAの合縁奇縁

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日々の出来事や愛媛県内各地、隣県各地、旅した風景等ぼちぼち載せていきます(^-^)

活動してきた事等や旧海軍関連の事や体験者の皆様との交流等も載せていきます。


先生(八杉康夫さん)の講演会から今日で11年


当時ドクターストップがかかる程体調不良だった先生の魂の語りやった❗


福山から松山へ到着前、先生が乗る車は若い子にオカマ掘られた(福山ナンバーの車に😩)が、大事には至らず無事に到着し、講演開始前から聴講者に囲まれ模型を前に説明されてた。


この後ろ姿は確か事前に講演会の事を知らせてあった土佐史談会の副会長(当時)やったと思う👌

高知・四万十市の副会長には、ご自宅の近くの方で呉海軍工廠で戦艦大和の建造中、甲板の板張りをされた方に会わせて頂いた事があった👍

四万十川に架かる赤鉄橋を渡って直ぐの所にお住まいの方やった👍

副会長には宿毛で海軍関連の調査してる際に出逢って以来のお付き合いで・・

10年前、副会長からの依頼で予土歴史文化研究会の機関誌よど第13号へ記事を書かせて頂いた事がある😅


素人がスポンサーも付けずに初めて開催した講演会やったが、会場の愛媛大学・南加記念ホールは老若男女の聴講者でほぼ満席となり、誰もが大和の真実、戦争の悲惨さ、平和の尊さを真剣に聴き入った👍


先生の講演会史上最大の大和のパネル(丈夫な帆材を使用)を準備し熱弁して頂いた❗


先生の許可を得て大和の模型も壇上に置かせて頂いた👍


模型を製作、俺に寄贈してくれたのは友人の紫電改展示館の課長(当時)だった👍


先生曰く、400回を超える(当時)講演会史上一番の講演会だった❗と後に言って頂いた魂の語りは予定時間の一時間半を大幅に超えるものだった👍


講演終了後には招待してた松山基地の偵察機・彩雲搭乗員で、昭和20年3月後半、松山沖で大和から対空射撃を受けてバンク振って戻って来た紫電改と、直後に姿を現した巨艦大和を双眼鏡で目撃した杉野富也さんと先生との初対話も感無量やった❗


大和は三田尻沖へ向け松山沖の釣島海峡を航行中だった。
 

どちらも92歳で戦友の元へ逝かれた😭


沖縄海上特攻で大和と運命を共にされた茂木史郎航海長は我が愛媛の松山出身だった😢


先生の講演会の告知を愛媛新聞に載せた際、朝一で連絡頂いたのが茂木航海長の御息女(長女・右)汀子さんだった👍

「茂木と申しますが・・」の一言で航海長の娘さんだと解り、有料講演やったが是非ご招待させて下さいと最前列中央で聴講頂き、講演終了後にはこうして先生との対面も叶った👍

先生は大和に着任して来た航海長の姿を目撃されてた👌

先生に杉野さん、どちらも激動の昭和を生き残った者の責任として、戦友の分まで語り部として我々戦後の日本人に戦争と平和を長年に渡り伝えて来られた❗


壇上を飾った大和の模型は大切に運び・・


大和の慰霊碑が建立されてる鹿児島・枕崎市へ


愛媛から12時間以上かけて慎重に運び、何一つ壊さず届け寄贈する事が出来た👍


大和の丈夫な幕を作って貰った看板屋さんに透明のアクリルケースも作って貰って届けた👍

慰霊碑のある地で沖縄特攻や大和の真実を知って頂けたらと・・

生涯600回を超える講演を全国各地で語って来られた先生


初訪問から2年目に実現した我が愛媛での魂の講演会から今日で11年

ありがとうございましたm(_ _)m

長いようであっという間やったなぁ。

生前の先生のインタビューが遺されてます。