昭和17年の或日、戦艦大和が宿毛湾に入港した❗(写真はイメージ/トラック島に停泊中の大和型戦艦)
時の連合艦隊司令長官・山本五十六大将が座乗した大和は、巨艦故に広大な宿毛湾の沖合いに停泊していた❗
その大和へ山本長官を慰問する為に、当時の宿毛町長・河野一、退役海軍中将・岩村俊武(夫人と赤ちゃんも)、国防婦人会長、在郷軍人分会長の一行の中に一人の17歳の女学生が選ばれていた。
慰問の一行を乗せたランチ(短艇)は、沖合いの大和に向かう途中、宿毛湾に入港している艦艇の名前も教えて貰ったそうだが・・
女学生が覚えていたのは、戦艦伊勢とお菓子を作る船「間宮」だけだったと・・
巨大な大和の右舷に着いたランチからタラップを登り、広大な台湾桧の敷き詰められた甲板に立った一行は、その大きさに驚いた事だろう❗
※室内はイメージ
花束を持って艦内に通された一行は、美味しい「羊羮」をご馳走になったそうだ❗
大和に随伴して入港していた給糧艦「間宮」で作られた「羊羮」であったと思われる。
「間宮」はNHKでも取り上げられた❗
間宮には全国から腕利きの職人が乗艦しており、大量のお菓子を作っていた❗
我が愛媛にはこの放送で「間宮」に乗艦していた方が存命である事が紹介されていた❗
大和の八杉さんにも聞いた事があるが、間宮で作られた羊羮は「間宮羊羮」と呼ばれ将兵の間で大人気だったと❗
甘い物が貴重な時代、女学生も大層美味しく戴いた事だろう。
当時の大和は超一級の極秘艦だった為、国民の殆どがその存在や詳細を知らず、女学生も初めて見る巨大戦艦にさぞ驚いた事と思う。
甲板に出た女学生は広大な大和の甲板を走り回ったそうで、前甲板から後部甲板に移動した際・・
※写真は大和と同型の武蔵の
後部甲板
女学生は後部甲板で水兵さんに尋ねた、「この船の上には列車が走るんですか?」
極秘艦大和の巨大さを物語る珍事であるが、何も知らない女学生には無理もない(^_^;)
水兵さん達は大笑いしたそうだ(^-^)水偵用のレールが敷いてあるのを勘違いしたのである❗
一般国民、ましてや女学生など乗せなかった時代の世界一の戦艦大和に乗艦した事、戦後になり歳を重ね余命短し自身の胸の中に募る思いを息子さんと共に晩年、想い出の地・宿毛を訪れた女学生だったお婆ちゃん
映画「男たちの大和」が上映された年に一般公開された尾道のロケセットにも足を運んだそうで・・
※私も三度足を運んだ。
セットの甲板に立ったお婆ちゃんは一言、「実際の大和はもっと暗い色やった❗」・・と(^_^;)
本日は、そんな世界一の戦艦大和に乗った女学生だったお婆ちゃんの命日である。
2011年の8/24早朝、息子さんから電話頂き、お婆ちゃんの訃報を知った(T_T)
壮絶な最期だったお婆ちゃん、当時の写真等は極秘艦だった大和の為、全く無いが正真正銘の歴史の事実である❗
亡きお婆ちゃんのご冥福を心よりお祈り致しますm(__)m
2011年10月、関西より遥々訪ねて頂きお会いした戦艦大和に乗艦した女学生(お婆ちゃん)の息子さん👍
※ガラケー撮影で画質悪くて申し訳ないm(__)m