いよいよ今年も終わりですね。
明日の12月30日は、僕の母親の命日なんです。
僕が子供の頃、母はヤクルトの配達員をしていました。
いわゆる
ヤクルトおばさんでした。
今の若い人は知らないかもしれませんが、昔は世のおばちゃん達が毎日毎日、自転車や配達用のバイクで一軒一軒ヤクルトを配達していたんです。
母は10年間、ヤクルト配達をしていました。
毎日、僕が学校に行った後に出勤して商店街の店先に配達していました。
その配達先に、ある老舗の眼鏡屋さんがありました。
僕は子供の頃から視力が悪かったのですが、小さな頃は頑なに眼鏡を掛ける事を拒否していました。
理由は
子供の頃って、眼鏡を掛けているだけでバカにされる事ってありますよね。
それがイヤでした。
中学生の時に母の勧めで、その老舗の眼鏡屋さんでコンタクトレンズを作ったのですが、どうしても慣れる事が出来ずに使っていませんでした。
まぁ~学生時代は
「イヤだから」
で、済みますが、社会に出ると、そうはいきません。
車の免許を取得する為にも何かしら視力UPは必要でした。
今更ながら、社会人になってから眼鏡を作りました。
すごく母も喜んでくれ
「あたしも行って値引きしてもろたげる」
眼鏡の購入時には店まで付いてきてくれました。
その頃には、母もヤクルトおばさんは引退していたんですが、眼鏡屋の店員さん達は
「ヤクルトのおばちゃん」
そう呼んで、母の事を覚えてくれていました。
「おばちゃんの子供さんやけん、ちゃんと勉強(値引き)したげるよ」
一番安いレンズで金魚鉢みたいな眼鏡を作りました。
それから13年
かなりボロボロで傷だらけになってきましたし、職種を替わる事(工場勤務→介護士)にしましたので、新しい眼鏡を買う事にしました。
さすがにその時は1人で買いに行きました。
それでも購入時に書類に名前を書きますと
「お母さん、お元気ですか?」
まだ店員さんは、母の事を覚えてくれてました。
この眼鏡が仕事中に壊された時も修理できるか訪ねると
「すぐに直したげるよ。お母さんは元気にしてる?宜しく言っておいてね。」
そう言われました。
もう母がヤクルトを退職してからは、すでに20年以上が経っています。
とてもありがたく思いました。
そして今年の冬
釣りの帰りに眼鏡のフレームが壊れました。
その日は応急処置をして自宅まで戻り、しばらくは前の眼鏡で凌ぎました。
ある日の夜勤の帰りに眼鏡屋さんに行ってきました。
店内に入り、若そうな店員さんを捕まえて
「すみません、眼鏡のフレームが壊れたんですけど、修理って可能ですか?」
そう聞くと、ベテラン風の店員さんが代わってくれて
「出来ない事もありませんが、もうフレーム自体にガタが来てますので修理しても強度が落ちてきてます。」
そう説明してくれました。
「今のレンズは使えますので、このレンズに合う新しいフレームを購入されては?」
そう提案されました。
僕も
そうかな
と思ってましたので、合うフレームを見つけてもらいました。
そして、気に入ったフレームを選んで購入する事を伝えました。
すると、そのベテランの店員さんは
「ヤクルトのおばちゃんには世話になったから、ちゃんと勉強させてもらいますから安心してくださいね。」
そう言われました。
壊れた眼鏡も、その店で買ったモノなので商品から顧客リストで僕の事が判ったのかなぁとは思いました。
でも
別に母の事を言われなくとも、たぶん僕は何も思わなかったと思います。
その眼鏡屋さんから見たら僕は
30年近くの間に
コンタクトレンズ1つに眼鏡2つ
たったそれだけしか商品を買っておりません。
顧客と呼ぶには、あまりにショボい客ですよね。
母が亡くなってから2年
眼鏡屋さん自体にも、母はずっと行ってないと思うのですが…
それでも店員さんは母の事を思い出して下さいました。
どこかで聞いた言葉ですが
人間は2度死ぬ
1度目は肉体の死
これは、そのままの意味で、死んでしまう事
2度目は
その人の事を知っている人が誰も居なくなってしまった時
存在の死…ですね。
ずっと僕を大事に育ててくれた母の事を僕は死ぬまで忘れません。
まぁ~それは当たり前の事ではあるんですが…
ただ
眼鏡屋の店員さんから、まだ母の事を気にかけてもらって
「ここにも母が生きていた証しがあるんだな」
そう思いました。
眼鏡屋の店員さん達から見た母は
かなり前の、ある10年間
お店にヤクルトと笑顔を届けていた愉快なおばちゃん…やったのかなぁ
そう思いました。
母に感謝して、今夜は眠ります。
明日の12月30日は、僕の母親の命日なんです。
僕が子供の頃、母はヤクルトの配達員をしていました。
いわゆる
ヤクルトおばさんでした。
今の若い人は知らないかもしれませんが、昔は世のおばちゃん達が毎日毎日、自転車や配達用のバイクで一軒一軒ヤクルトを配達していたんです。
母は10年間、ヤクルト配達をしていました。
毎日、僕が学校に行った後に出勤して商店街の店先に配達していました。
その配達先に、ある老舗の眼鏡屋さんがありました。
僕は子供の頃から視力が悪かったのですが、小さな頃は頑なに眼鏡を掛ける事を拒否していました。
理由は
子供の頃って、眼鏡を掛けているだけでバカにされる事ってありますよね。
それがイヤでした。
中学生の時に母の勧めで、その老舗の眼鏡屋さんでコンタクトレンズを作ったのですが、どうしても慣れる事が出来ずに使っていませんでした。
まぁ~学生時代は
「イヤだから」
で、済みますが、社会に出ると、そうはいきません。
車の免許を取得する為にも何かしら視力UPは必要でした。
今更ながら、社会人になってから眼鏡を作りました。
すごく母も喜んでくれ
「あたしも行って値引きしてもろたげる」
眼鏡の購入時には店まで付いてきてくれました。
その頃には、母もヤクルトおばさんは引退していたんですが、眼鏡屋の店員さん達は
「ヤクルトのおばちゃん」
そう呼んで、母の事を覚えてくれていました。
「おばちゃんの子供さんやけん、ちゃんと勉強(値引き)したげるよ」
一番安いレンズで金魚鉢みたいな眼鏡を作りました。
それから13年
かなりボロボロで傷だらけになってきましたし、職種を替わる事(工場勤務→介護士)にしましたので、新しい眼鏡を買う事にしました。
さすがにその時は1人で買いに行きました。
それでも購入時に書類に名前を書きますと
「お母さん、お元気ですか?」
まだ店員さんは、母の事を覚えてくれてました。
この眼鏡が仕事中に壊された時も修理できるか訪ねると
「すぐに直したげるよ。お母さんは元気にしてる?宜しく言っておいてね。」
そう言われました。
もう母がヤクルトを退職してからは、すでに20年以上が経っています。
とてもありがたく思いました。
そして今年の冬
釣りの帰りに眼鏡のフレームが壊れました。
その日は応急処置をして自宅まで戻り、しばらくは前の眼鏡で凌ぎました。
ある日の夜勤の帰りに眼鏡屋さんに行ってきました。
店内に入り、若そうな店員さんを捕まえて
「すみません、眼鏡のフレームが壊れたんですけど、修理って可能ですか?」
そう聞くと、ベテラン風の店員さんが代わってくれて
「出来ない事もありませんが、もうフレーム自体にガタが来てますので修理しても強度が落ちてきてます。」
そう説明してくれました。
「今のレンズは使えますので、このレンズに合う新しいフレームを購入されては?」
そう提案されました。
僕も
そうかな
と思ってましたので、合うフレームを見つけてもらいました。
そして、気に入ったフレームを選んで購入する事を伝えました。
すると、そのベテランの店員さんは
「ヤクルトのおばちゃんには世話になったから、ちゃんと勉強させてもらいますから安心してくださいね。」
そう言われました。
壊れた眼鏡も、その店で買ったモノなので商品から顧客リストで僕の事が判ったのかなぁとは思いました。
でも
別に母の事を言われなくとも、たぶん僕は何も思わなかったと思います。
その眼鏡屋さんから見たら僕は
30年近くの間に
コンタクトレンズ1つに眼鏡2つ
たったそれだけしか商品を買っておりません。
顧客と呼ぶには、あまりにショボい客ですよね。
母が亡くなってから2年
眼鏡屋さん自体にも、母はずっと行ってないと思うのですが…
それでも店員さんは母の事を思い出して下さいました。
どこかで聞いた言葉ですが
人間は2度死ぬ
1度目は肉体の死
これは、そのままの意味で、死んでしまう事
2度目は
その人の事を知っている人が誰も居なくなってしまった時
存在の死…ですね。
ずっと僕を大事に育ててくれた母の事を僕は死ぬまで忘れません。
まぁ~それは当たり前の事ではあるんですが…
ただ
眼鏡屋の店員さんから、まだ母の事を気にかけてもらって
「ここにも母が生きていた証しがあるんだな」
そう思いました。
眼鏡屋の店員さん達から見た母は
かなり前の、ある10年間
お店にヤクルトと笑顔を届けていた愉快なおばちゃん…やったのかなぁ
そう思いました。
母に感謝して、今夜は眠ります。