いきなりこんなこと書くのもアレですが、正直私のブログに大した需要はないと思ってます。内容的にも過去のブログとだいぶ重複していますし、解散後に書こうと漠然と考えていた内容とも重複している気がします。
でも、これ↓の「個人的なお話」の続編という意味も込めて、重複がありながらも私の思っていること、思っていたことを書いておこうと思います。
(23年12月から今までで多少なり思い出も増えたわけで)
人に読んでもらうためというよりは、思い出のメモ書きということで。
https://ameblo.jp/ehcc33/entry-12833823758.html
需要がないと分かりながらもこんなブログを書こうと思ったのはすずたかさんのこのツイートがきっかけでした。
書くときに諸々の事実に間違いがないか確認したりと調べる作業の大変さは書いた人にしかわからないかもだし、実際めっちゃ面倒だし
— すずたか (@SZTKMCZ) February 3, 2026
今回は定例が急だしAMEFURASSHIの諸々も時間がないし、現実的に何かを書くのは難しいのはわかるけれど……
みんな自分なりの「推しの物語」を書いて欲しい
読みたい
飲んだ時に何回か話したことはありますが、ちゃんと文章に起こしたことはあったようななかったようなそんな状態なので、私なりの推し物語を改めて文章にしてみようと思った次第です。
※あくまでも私の主観と思い出がだらだらと書いてあるだけです。
特に新しい情報はありません。
アイドル好きの始まり
私のアイドル好きの始まりは中学2年生のことでした。
父がももクロが好きだったので、影響を受けたことは否定できません。
当時の推しは玉井さんでした。
中3の夏(2016年)には家族全員で桃神祭に行きました。
受験生の癖に、頑張ってコール覚えたなぁ…。
3B juniorとの出会い
本格的なアイドルオタクの始まりはその中学3年生の終わり頃から(という認識で居ます)。
ももクロの関連動画かなにかで流れてきた「勇気のシルエット」から3B juniorというグループを意識するようになりました。
今なお色褪せない良い曲ですね。
なお、3B juniorという団体が存在することは前年の夏ライブ(桃神祭2015)で父がもらって来たチラシからなんとなく知っていました。
この時は鈴木萌花さんという同姓の同い年の人がいること、同い年の人がやたらたくさんいること、当時中2だった自分より若い子がメンバーに居ることに驚いた記憶があります。
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書くかどうか迷って結局書いていますが、3B juniorという団体が存在することを知ったのは、実際のところ上記のチラシではなくヘリウム事故の報道でした。
しかし、この時はそういうグループが存在することを知っただけであり、アイドルとして意識するきっかけではないのでこの話は公にしていません。
チラシを見た際には報道のことは忘れていたと思います。
ただし、12歳がアイドルをしていたという事実を含め、その時の印象は決してよくなかったことを記しておきます。_________________
マイナスな話は置いておいて…。
なんやかんやで今はないHustle Pressへとたどり着き、そこでたまたま見た愛来ちゃんがあまりにも可愛くて一目惚れしました。
愛来ちゃんのほうが1歳下というのも驚きを増幅させるポイントでした。
実は、いちばん最初の推しは愛来ちゃんでした。その後ライブに行くときは一生懸命手紙を書いたこともあり、私も結構頑張っていました。
(意外と愛来ちゃんお好きね?と言われたことがありますが、そりゃ好きですヨ)
私が中3の末期だった頃(2017年3月頃)というと、ちょうど六本木のEXシアターを埋めるべくメンバーみんなが躍起になっていた時期です。
でも、この当時は行き方もチケットの買い方もよくわからないし、曲も知らないし、行きたい気持ちは少しありながらも心理的抵抗が大きかったので諦めることにしました。
それだけに、BDが発売されると聞いた時は嬉しくてたまりませんでした。
人生のどん底と、3B junior
さて、その後高校生になった私ですが、最初に入った高校は正に人生のどん底、あとにも先にも無い地獄のような期間でした。本当にしんどかった。
(いじめられていたわけではありませんが、学校にうまく馴染めなかったことによる心因性の体調不良でした)
余り思い出したくないですが、生きたまま明日を迎えない方法はないかと考えたことも、一度や二度ではありません。あの辛さは、少なくとも今の会社に居る限り二度と味わうことは無いと思います。
この時期を救ってくれたのは、母であり、3B juniorでした。
いつだったか忘れましたが、私はお小遣いを貯めてやっとの思いで手に入れた3B junior春の全力レビューのBDを観ておりました。
家族が誰もいない時にコソコソと。
途中で披露されたのは、年下組の「想い星」。前から良い曲だとは聞いていたけれど、聴くのはこのBDが初めてのこと。
知らぬ間に、目に涙を湛えていたことを覚えています。
なんとなく、自分に寄り添ってくれる曲に出会えたような気がしました。
(大昔にこの曲のことを書いているのですが、恥ずかしいのでリンクは貼りません)
なお、書いている途中で時系列がおかしいことに気付きました。
全力レビューのBD発売は2018年8月30日らしいので、想い星を聴けたのは初めてのイベントよりも後ということになります。
ただ、ここが逆になったところで特に大きな影響はないので、時系列がおかしいことを明記したまま進行いたします。
訪れた夏休み。学校から解放されました。補習の課題はたくさんありましたけどね。
この年の夏はアポロンツアーと銘打ってリリイベツアーをしていました。
私は母に「一度で良いから3B juniorのライブに行ってみたい。どうしても行きたいけど行き方が分からないから連れて行ってほしい。」と頼み込みました。
(ちなみに、今も昔も私は静岡県に住んでいます。)
母はその頼みを受け入れてくれ、とりあえずららぽーと立川立飛に連れて行ってもらいました。
この2017年8月11日はコミケ開催日であり、「母がコミケに行くついで」という暴論で東京に行ったため、現場に着くころにはすでに特典券は枯れ、その日はライブを観てそのまま帰りました。
でも、初めて見る3B juniorはとてもキラキラしていて、かわいくて、顔が小さくて、漠然と、アイドルという生き物のすごさを実感しました。
二人して「おじさんの多さ」に驚いたことは公然の秘密です。
さて、特典会に行けなかった私はもう一度行かせてくれと母に頼み込みました。
母はまた私を東京へ連れて行ってくれました。
この時はサンシャイン池袋でのイベントでした。9月2日だか3日の開催でしたが、この日は雨が降っていて寒かったような記憶があります。
っていうか、この頃はまだ9月上旬でも寒い日があったのか...。
脱線しました。
私は家中ひっくり返して手に入れた3000円を握りしめて現場へ突撃し、CDを購入しました。憧れの愛来ちゃんとお話できました。
(1円玉まで混ざっていたので、係員の方にはずいぶん迷惑をかけたと思います。後から、母に両替してやったのにと言われました。)
目の前で見る愛来ちゃんはとてもお顔が小さくて、白くて、かわいくて、同じ生き物とは思えませんでした。
お話会なので形には残りませんが、価値のある投資という観点では私の人生で上位に入るものと思われます。
この時は3000円分の購入でメンバーを指名して1分話せるという特典会が用意されており、私はそこで愛来ちゃんを指名しました。
ライブは2回目だけど特典会が初めてなこと、頑張ってお金を貯めてライブBDを買ったこと、高校生であることなど、いろんな話をしました。
ちなみに、この時のブログには楽しかった、かわいい、とにかくかわいいと書いてあります。
憧れの人に会えるだけじゃなくて、お話までできるなんて、本当に夢見心地の出来事でした。
なんか、とても健気ですね。
2017年の現場はこの2回で終わりです。
お金もないし、結局学校には全くいけなくなってしまったのでもうそれどころではなくなってしまいました。
まぁ、変な話、どん底まで落ちた私は這い上がることはついにかなわなかったわけです。
でも、上にも書きましたが、「想い星」は確実に私の心の支えになっていました。
3B junior、そして想い星は私の暗く荒んだ心にに光を届けてくれる存在でした。
辛い時期にエンドレスリピートしていたせいで、その後しばらく想い星を聞きたくないという時期が存在したことも、念のため書き記しておきます。
(その後、私は通信制の学校に入りなおすことで一応の再起を果たしました。萌花さんと同い年のくせに、卒業は愛来ちゃんと同じ年という大変奇妙な人間はこのようにして出来上がったわけです。)
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ちなみに、ずいぶん後になって「どうしてアポロンツアーに連れて行ってくれたのか?」と聞いたことがあります。
その答えは「少しでも元気になってくれればよいと思った」というものでした。
結局学校へは行けなくなってしまったわけですが、この時期は母と3B juniorに救われました。
3Bに出会えていなかったら、あの時期はきっともっとモノクロで、暗く荒んだ世界を生きていたんじゃないかなぁ…、と、そんな気がします。
ここでちょっと、最近思うことを。
決して多様性を否定するわけではありませんが、最近はバズる為に新曲がどんどん投入され、音楽が大量生産・大量消費されているような気がします。
アイドルの音楽に救われた(と勝手に思っている)身としては、音楽を再生数稼ぎの道具にはしてほしくないなという思いが心のどこかにあります。結局みんな食っていかなくてはいけませんから、音楽だってある意味商品だし、こんなのきれいごとかもしれませんけどね。
でも、ショート動画で一部が話題になるばかりでなく、曲をちゃんと味わう、曲を聴いてブチ上がる、曲に励まされる...、そういうアイドル市場が再びやってくることを、私は密かに望んでいます。
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3B juniorと初めての挑戦
2018年の2月、はちみつロケットが武者修行にでることになりました
ニコ生かなんかではちみつロケットが居る最後のライブが配信されていたので、私はそれを見ていました。
そのライブで3B junior新体制ライブ、
「3B junior はじまRe:START?全く新しい3Bってこういうことさ!!?」の開催が発表されました。
どういうわけか、この時の私はこの新体制ライブに「行かなければいけない」ような気がして、このライブへ行くことにしました。
ここで問題になったのは私がどうやって東京へ行くか、ということです。
母が連れていけないこともないというような話ではありましたが、私は一人で行ってみることにしました。一人で県外へ行くのはこれが初めてのことでした。
今じゃ毎月のように関東へ通っていますが、本当に大冒険のように感じられたことをよく覚えています。
当時の私はよほど楽しみだったのでしょう、楽しみだというタイトルの中身のないブログを何回も書いていましたし、前日は大して眠れなかったような記憶があります。
そして当日。
朝早くに静岡県を出発し、一人で電車に乗って、何回も乗りかえて吉祥寺へ。
初めての一人遠征は道中の話し相手もおらず、とても孤独な旅でした。
でも、この日のライブはとても感動的でした。生の想い星も聴けて、私の眼には涙が滲んでいたようです。旅路の孤独なんてどうでもよくなりました。
この感動には、自分一人でやってきたという達成感もあったことでしょう。
後々長いお付き合いになるすずたかさんと初めて会ったのもこの時でした。
こっそり書いておきますが、私がオタクとして師と仰ぐ方です。
3B juniorが解散した際、会えなくなるのは嫌だなと思ったこともありました。
(その後再会しますが)
この時は特典会に行くことも叶いました。
愛来ちゃんに、3B juniorのライブが見たくて静岡から来た話をしました。
当時、愛来ちゃんのレーンで特典会のスタッフをしていた守道さん共々とてもよろこんでくれたことをよく覚えています。
そして、2周目では思いもよらぬ出来事が。
すずたかさんから助言をいただいたのだと思うのですが、2周目では手紙の話をしました。
後で読んでおきますねって言ってもらえればうれしいなくらいにしか思っていませんでしたが、愛来ちゃんからは「名前が書いてなかったから誰かなと思っていました」「お手紙本当に嬉しいんで!」「後で顔を思い出しながら読んでみますね」というお答えが。
この手紙にもちょっとした裏話があって、それを踏まえてのこのお答えだったのでとても嬉しかったことを覚えています。
その当時、誰にも認知されていなかった私は、愛来ちゃんへのお手紙を差出人不詳の状態でプレゼントボックスに入れました。
当時は手紙以外のプレゼントも可能だったので、なんだか高そうな紙袋がたくさん入っていたことを覚えています。
それに比べて私の手紙のなんとちっぽけなことか。どこかへ紛れて捨てられてしまうのではないかと思うほどでした。
一生懸命に何度も何度も下書きをして、万年筆で書いた大切な手紙でしたが、なんだか急に自信がなくなってしまい、プレゼントボックスへ入れるのを辞めようと思ったほどでした。
そんな、捨ててしまおうとまで思った私の手紙でしたが、愛来ちゃんが喜んでくれたのでとても救われたような気分でした。
ちょっとふわふわしたまま、この日の1部の特典会は終わりました。
萌花ちゃんとの出会い
この日のライブは2部制で、1部には中学生メンバーの特典会があり、2部には高校生以上のメンバーの特典会がありました。
どうして1000円を捻出出来たのか、今となっては全く記憶にないのですが(オタクに借りたお金ではないことだけは確かです)、とにかく1000円を捻出できたことと、帰りの新幹線まで時間があったので、私は気になっていた鈴木萌花ちゃんの特典会に行ってみることにしました。
私は3B juniorのライブが見たくて静岡から来たことを伝えました。
萌花ちゃんは「これから静岡に帰るんですよね?気を付けてくださいね」と私の帰り道を心配してくれました。
先程も書いたように、初遠征は孤独で不安な旅でしたが、萌花ちゃんの優しさに触れ、マイナス感情が和らいだような気がしました。
私に人の内面を語る資格はないと思いますが、でも言わせてください。
いきなり来た奴に対しても帰り道を気遣えるこの優しさこそが、鈴木萌花さんなのだと思います。
可愛いところも、ビジュも、パフォーマンスも全部好きですが、なによりもファン想いで優しいところが大好きです。
ちなみに、今のところ移動を気遣ってくれたアイドルはこの人ただ一人です。
いや、まあ、実際問題今の私は大人なので、中学生や高校生のずっと年下のアイドルに帰り道を心配されるようではいけません。
例えば、スタプラ研究生のゆめみるちゃんに帰り道を心配される24歳なんてものは絶対に存在してはならないのです。
そんな年齢的な意味も含め、帰り道を心配してくれるアイドルは萌花ちゃんが最初で最後なんじゃないかと、勝手に思っています。
イベントが無い夏
3B juniorの現場に行き始めてから二度目の夏を迎えました。
夏休みに一度イベントやライブに行けたらなと思っていましたが、フリーライブツアーの類いが一切発表されない…。発表されない…。発表されない...。
TIFその他のフェスには出ていたと思うので、ライブを一切していないというわけではないですが、単独ライブってあったっけ?フリーライブもやったのかな...?そんな状態でした。
この年の夏はフジテレビでやっていたガチンコ3のイベントに行きました。カンパをしてきくちPからCDをいただきました。この時は確か奥華子さんと一緒にやっていたのを覚えています。
なお、雨宮かのんさんはフジテレビの"近所"でリリースイベントをしていたため不在でした。
お察しいただいているかもしれませんが、あっさりと触れていることからもわかる通り、当時の私にはあまり刺さらなかったようです。
でも、ガチンコ3は種類の異なる音楽に触れる良い機会でした。普通にアイドルオタクだけしてたら、奥華子さんの生の音楽に触れる機会はありませんからね。
解散と"アメフラっシ"
2018年9月か10月のことだったと思いますが、公式サイトに解散としか取れないようなお知らせが掲載されました。(Web archiveでたどると9月っぽいですね)
みんな様々な反応をしていたことをよく覚えています。
(なお、この7年後、スタダはスタプラ研究生でも「内容から察してね」的なお知らせを掲載しています。
2026年2月5日時点で姉組の「その後」は明らかになっていませんが、マジでその発表の仕方やめろよな。
追記:2月6日に「その後」が発表されました。)
11月3日のラストライブにはいけないことが早くから確定していたため、私はその前の10月20日のライブに行くことにしました。
さくちゃんが好きだった妹と、お守りの母の3人でライブへ行きました。
ライブ自体は楽しかったですが、この曲ももう聴けないんだなぁ、という思いがついて回ったことを覚えています。
この時の私は、「一人一人の決断だから否定はしないけど、続けてほしかったのが正直なところ」「絶対に幸せになってほしい」という想いをブログに書き残していました。
この日はメンバー自らの口から進退についての言及がありました。
全員分覚えているわけではないけれど、中原咲耶さんの「教養を身につけなくてはいけない」みたいな言葉に驚かされました。
いまどこで何をされているのか私は全く知りませんが、お元気ですか?
あと、奥澤さんの言葉にとても胸が痛くなったことを覚えています。
「26人を守るという言葉に偽りはありませんでした」みたいなことを言っていたような記憶もあります。奥澤さんの言葉はそのすべてが悲痛な叫びに聞こえ、聞いているだけで辛かったです。
このライブのせいだと思いますが、場の雰囲気が落ち着いた状態でメンバーがステージ上にずらっと並ぶことがあると、未だに恐怖を感じることがあります。
(そのような場面は滅多にありませんが)
昨年6月に行われたスタプラ研究生のライブイベントでも、やや厳かな雰囲気でメンバー15人がステージ上にずらっと並ぶことがありましたが、この時のことを思い出して、私の身に言葉にしがたい緊張感が走ったことを覚えています。
結局"この時は"誰も卒業しませんでしたが。
話が逸れてしまいました。
この時、私は愛来ちゃんと萌花ちゃんの特典会へ行きました。
萌花ちゃんは私を「遠いところからきている奴」として覚えていてくれました。
先述の通りラストライブにはいけないことが確定していたので、「最後はいけないけど、また来年あたり行きたい」と呑気なことを言っていました。
この時の萌花ちゃんは「残ったメンバーでがんばる」というようなことを言ってくれました。
行けないって言う必要はなかったのかもしれません。でもまぁ、そこは許してください。
そして、愛来ちゃんからは、いつも突然で申し訳ないという言葉が...。
なんか、こちらまで申し訳なく思ったことを覚えています。
そして3B juniorは11月3日に解散しました。
私はこの時二コ生で観ていましたが、アメフラっシが披露された時のことは割と鮮明に覚えています。
全曲披露が終わった後に突然会場のスクリーンが変になり、アメフラっシの「アちゃん」が映し出され、露出の多い衣装でミクロコスモス・マクロコスモスが披露されました。
この時私は、「推しが二人とも残ってくれたのは良かったけど、このグループはどこへ行ってしまうのだろう?」と思いました。ものすごく不安になりました。
でも、萌花ちゃんの「ゆめかなエール」は優しい雰囲気を感じられて私は好きでした。(もともとはリーフシトロンの曲なので、これに対してもいろいろな感想が聞かれたことを覚えています)
その後の滑り出しが順調だったかはよくわかりませんが、「熱い魂の公開稽古」など、いろんなことをやっていたのを覚えています。
(公開稽古は何年かやっていましたが、機会の関係上結局一度も行かず終いでした)
___________
私なんかがこんなことを言ってよいのかわかりませんが、3B juniorは私のアイドルオタク人生の原点と呼べる存在だと思います。
初めての特典会、初めての遠征などなど、たくさんの初めてを経験させてくれましたし、アイドルを応援するという行為には、プラスもマイナスも、いろんな感情がついて回ることを教えてくれたグループでした。
___________
再会?再開?
翌2019年2月、私はフジテレビにあるフジサンのヨコとかいう箱で行われていた、アメフラっシの定期ライブに行きました。
この時はお客は200人も居なかったような気がします。
160番そこらの整理番号でしたが、私はほぼドベのような入場でした。
この時のライブの感想を見返すと、後悔の念が消えたこと、3B junior時代の曲を聴けたことが嬉しかったことなどなど、当時の私はいろんな感情を抱いたようでした。
萌花ちゃんのゆめかなエールに感動したことも書き残しています。
(ちなみに、この時のブログには高速バスが日産ディーゼルだったのでアタリだったなどという訳の分からないことまで記録に残っています。このバスはサスペンションが固い車だったので、ふわふわ感がなくビシっとしていてたいへん好印象でした。)
このライブでは感動的な出来事がありました。
整理番号が悪く後ろのほうに居た私は完全に埋もれていました。
ステージもあまりよく見えませんでした。
でも、バックステージ的に置かれていたお立ち台に乗った萌花ちゃんを観ようとそちらを向いていた私に、萌花ちゃんは強烈な目線を送ってくれました。
バッチリと目が合いました。
後にも先にもこのような強烈な目線は頂いたことがありません。あれはオタク特有の勘違いなどではなく、どう考えても私の為に発射された目線でした。
特典会では「ライブ中に見つけました」というお言葉もいただきました。だからあれはやっぱり勘違いなどではないのです。
「静岡ですよね?」とも言っていただき、この時の私は夢見心地でした。
それだけに、なんの曲だったか記録に残していないことが悔やまれます。
萌花ちゃんは「来年あたりにまた行きたい」というとても漠然とした言葉を信じて待っていてくれました。
(オタク特有の勘違いとかいう突っ込みはやめてね)
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ちなみに、ずいぶん後になってから元アイドルの友人にこの時の話をしたことがあります。(元ご当地アイドルの方でして、スタダとは一切無関係です)
「やった、居るって思ったんだよ」、「アオハル過ぎる」、「ちゃんと応援してくれてるんだし、アイドルはそれだけで幸せだよ」と言ってもらいました。
(この方はオタクとしての私を時々褒めてくれます)
そして、そんな私を見つけた萌花ちゃんの記憶力をとても褒めてくれました。
萌花ちゃんが素晴らしいわけで、私はなんでもないのですが、なんか、元アイドルにそういう風に言ってもらえたのはとても嬉しいです。
__________
この年の夏も、どういうわけか特にサマーツアー的なことはしていなかったように思います。そんな理由から現状人生で唯一のTIFに行ったのもこの年でした。
人生初のツーショットはこの時に撮ったものです。これも嬉しかったなぁ...。
そして、11月3日には1周年ライブが行われました。
この時は市川さんの生誕祭も兼ねたライブになっていました。
生でMy Wayを聴くのはこの時が初めてでした。
この時も萌花ちゃんのゆめかなエールが聴けて嬉しかったことを覚えています。
ご本人にそのことを伝えたら、自信ありげに「心を込めて歌ったんで」との答えをいただきました。
この日は大平さんの脱退について本人からコメントがあった日でした。
なんか、とてもモヤモヤしたことを覚えています。
(あんなことを言われたら、ねぇ??)
この時はなぜかあまり特典券が買えず、お話しできたのは1回だけ。
この後しばらく会えなくなるとはお互い微塵も思わず、萌花ちゃんから「また来て下さいね」というお言葉をいただいて別れました。
会えない日々の切なさは
2020年、大変厄介なものが世の中に影を落としました。新型コロナウイルスです。
本当は2020年2月に遠征を計画していたのですが、コロナが蔓延し始めたことと、自身が微妙に調子が悪かったためこの遠征は見送りになりました。
特急列車からの引退を控えていた185系に乗って東京へ行くべく、旅程もかなり気合を入れて計画していたのでとても残念でした。
(後年、実は整理番号が6番だったことが不意に発覚します。1回のライブで2度も残念な思いをする羽目になりました。この時の6番は人生で一番良い整理番号です。)
特に最初の1年間は現場に行けないことがとてもつらかったことを覚えています。
この当時の私にとって、アイドルは生活の一部とは程遠く、あくまでも日常とは一線を画す「ハレの日」でした。
「ハレの日」がない日々はどうにもつまらなかったことを覚えています。
この時期は現場に行っていなかったのでブログも大して書いておらず、その時私がどんなことを考えていたか、今となっては検証のしようがありません。
とりあえず、推しに会えない日々は楽しくありませんでした。
(今思うと、配信ライブを観なかったのはなぜだったのでしょうか?まぁ、何かしら理由があったのだと思いますが。)
だんだんと感情はマイナスの方向へと進んで行き、どうせもう二度と会えないのなら、初めから出会わないほうが幸せだったのではないかと思ったこともあります。
過去が変わらないのなら、いっそ忘れてしまえば楽になれるんじゃないかと思ったことだってありました。
二度と会えぬまま、終わってしまう覚悟までしていました。
でも結局、出会ってしまった過去はどうやったって変わらないし、忘れることもできなかったんですよね。
どれだけ会えない日々が続こうと、私はアメフラが好きでした。
(最終的に、会えない期間は4年間にも及びました)
好きを象徴するように、会いに行けない間もCDを全タイプ買いそろえていました。
全国流通シングルと銘打って発売された"SENSITIVE"はわざわざタワーレコードで予約して購入しました。
通販で買うこともできたのですが、昔々「店舗で買えばそのグループにも需要があると分かり、店舗に並べてもらえる可能性があるため、巡り巡ってグループの知名度向上につながる」みたいな話を聞いたことがあったため、知名度向上の一助となるべく私はわざわざタワレコまで出向いたのです。
結局、受け取りに行ったタワレコにはアメフラブースやPOPはなかったので、無力さを痛感した出来事でもありました。
なお、この時期は乃木坂46の主に5期生の子たちに浮気をしていた時期でもあります。
但し、冠番組の乃木坂工事中を見るとかその程度のもので、ライブパフォーマンスに興味を持つことはありませんでした。小川彩ちゃん可愛いよね。
フロムレター
「スバルレガシィ」というクルマがあります。私の愛車であり、スバルの主力車種でした。
(※現在新車のレガシィは販売されていません)
話すとそれだけでブログが書けそうなくらい好きなのであまり触れないことにしますが、とにかくアイドルオタクになるよりも前からずっと好きな車でした。
一応書いておくと、今の私は4代目のツーリングワゴンに乗っています。
購入に至るまでにいろんな葛藤があったのですが、購入を後押ししてくれた大切な曲があります。
それが、アメフラっシの「フロムレター」でした。
小学校卒業時に書いたハタチの自分宛の手紙に「BPレガシィに乗っていますか?」とまで書いたほど、この車は私にとってあこがれの存在でした。
※BP5、BP9などのBP#という型式の二文字を取ってこう呼ばれています。
ディーラーに声をかけてから実際の購入までに約半年もの時間があったため、私は何度も心が折れそうになりました。諦めるように仕向ける圧力も存在し、自分の中でも本当に手に入れるべきか葛藤がありました。
でも、そんなときはフロムレターがあの頃の憧れの気持ちを思い出させてくれました。
いきなりスバルレガシィと来て何かと思ったかもしれませんが、憧れを手に入れる後押しをしてくれた存在もまた、アメフラっシだったのです。
ちなみに、このレガシィは二度と現場に行かない前提で購入を検討したものです。
そのため、家計は後々火の車になってしまいました。
でも良いんです。
購入から2年後、私は何物にも代えがたい喜び味わうことができました。
やっぱり、会いたい
二度と現場に行かない前提で車の購入を検討していた私ですが、AMEFURASSHIは2023年に活動5周年を迎え、大々的にフリーライブツアーを行っていました。
行かない覚悟と大きく矛盾しているかもしれませんが、私はもう一度AMEFURASSHIに会いたくなっていきました。
世間がコロナ渦から脱し、そして一人暮らしになったので、あんまりうるさく言われなくなったことも影響しているでしょう。
私はその年のフリーライブツアー「MTA」に行くことに決めました。
行ったのは埼玉の新三郷。理由は特にありません。
いちばん近い土曜日開催のイベントがその日だったからで、場所はわりとどうでも良かったのです。
ちなみにその前日、私のもとへレガシィが入荷した旨のメールが届きました。
翌日アメフラに会いに行けるという喜びと相まって、私の感情はぐちゃぐちゃになりました。駅だったので声を抑えましたが、本当は大声で叫びたいほどでした。
そして迎えた10月14日、私は新三郷までAMEFURASSHIのイベントを観に行きました。久々のAMEFURASSHIはお客さんがものすごく増えていて驚きました。
いろいろな人に愛されるAMEFURASSHIを見ることができて、そのことがとても嬉しかったのを覚えています。
昔から有名になって欲しいと願っていましたからね。
そして、久しぶりのライブはやっぱり楽しいなと思いました。
日付と会場からなんとなく察している方も居るかもしれませんが、この日は例のゴディバ回です。
相変わらずぶっ飛んでんなぁ、と思いました。
気まずくなったら嫌だなと思いながらも、私は萌花ちゃんの特典会に行くことにしました。
とりあえずツーショを撮って、その後お話にも行きました。
そこで私は4年ぶりにアメフラの現場に来たことを伝えました。
(後ろにこれを踏まえての話があったわけで、決して試すような意図で言ったわけではありません)
萌花ちゃんはぽかんとするでもなく、「前に来てくれていましたね、同い年くらい...?」と言ってくれました。
萌花ちゃんはまた私を待っていてくれました。腰が抜けるかと思いました。
私はアイドルを続けてくれたことの感謝を伝えました。萌花ちゃんは「そんなそんな、来てくれてありがとう」といった反応でしたが、これだけの長い長いブランクを経ても会えることがとても嬉しかったのです。
この時私は、「お互いに感謝しあえる関係性」でずっと居続けられたら素敵だと思いました。
そして、「昔よりはたくさん会いに来ることができると思う」というような話をしたところ、「ワンマンも来てほしい!」と言われました。私は有休を取ってライブに行くことにしました。
(ここで言うワンマンはBGSのことです)
BGSの細かい話はその時のブログを見てもらうとして、「ワンマンも来てほしい!」という一言は私の人生を変えたひと言だったと思います。
この一言がなければ私がBGSに行くことは無かったと思いますし、BGSに行っていなければ、関東大箱ワンマンは絶対に行くという現在のスタイルになることもありませんでした。
ちなみに、すずたかさんと再会したのはこのライブでのことです。嬉しかった。
(チケットが完売していて入れなかったそうですが)
2026.2.12追記
そういえば、現場に戻る直前は「果たして私なんかがまた行っても良いものか」という悩みを抱えていたことを思い出しました。
萌花ちゃんが優しく迎えてくれたので、その悩みはすぐに消えたことを覚えています。
一応追記しておきます。
(追記おわり)
2024年
翌2024年、今度は六本木のEXシアターでライブがありました。
なんでまた平日なんだと思ったのは公然の秘密です。
このライブの一曲目は「SPIN」でした。
凄すぎて動くことができないってこういうことか...、と、ある種の悟りを開くほど、ライブ全体を通して「凄い」ライブでした。個人的にこれを超えるライブに出会えていません。
熱量とパワーがマジですごかった。
あと、バカップルは沸いたなぁ...。
さて、この年は6月の梅雨祭にも行きました。
久々の轟音でめちゃくちゃ声を出せたのが楽しかったことを覚えています。
喉つぶしました。この時はダンサーさんとのコラボでしたが、本当にカッコよかったです。
そして、すずたかさんを拉致ってむりやり飲み会に参加させました。
いろんな話をしました。(なお、すずたかさんはこのライブは観ていません。観ていないライブの感想戦に拉致りました←)
あと、ファンの方が次はTDCホール!!って言っていたのも覚えています。
さらにこの年の9月、アルバムFloraを引っ提げて、渋公でワンマンライブがありました。
BOOWYと同じステージにアメフラが立つと聞いて、とても嬉しかったことを覚えています。
(建て替わっているので実際のところは同じ建物ではありません)
机を使った「Ready Now」は実のところ愛来ちゃんが動けなかったことによる苦肉の策だったのですが、いろいろと演出が凝っていて面白いライブでした。
いろいろな発見もあって、SPINの一部にみられる女性らしい振り付けはFloraのラストに持ってくるのにふさわしいなと強く思いました。
表現の幅が広がったことを改めて感じさせるライブだったことを覚えています。
あと、かつては整理番号が悪くいつもいつも後ろから見ていた私でしたが、この時はFCに入っていたこともあって比較的前のほうに居ることができました。
メンバーがはける前の歓声が後ろからたくさん聞こえてきて、私は何とも形容しがたい嬉しさを感じました。
「いろんな人に愛されている」ことを強く強く実感する出来事でした。
この後はぽつぽつとフリーライブ等に行ったくらいで、特にこれと言ってアメフラに関するエピソードはありません。
なお、スタプラ研究生へ浮気を始めたのは2024年のことです。
全然タイプの違うグループですが、こちらも歌がうまいです。
あと単純に楽しいしみんなかわいい。
2025年
この年のワンマンはSLYから始まりました。
え?もう一年経ったの??たまげたなぁ...。
もこもこあいらもえか、可愛かったですね。
(どうしてこんなに何も覚えてないんだろう…?)
昨年は更にばってん少女隊にも行き始めた年でした。
スタプラ研究生の逢里みうちゃんがデビューして嬉しかったです。
この一年はスタプラ研究生メンバーの成長ぶりに驚く一年でした。
2024年12月以来久しぶりに行った5月のフリーイベントでは、百瀬詩音ちゃんの歌唱力がものすごくあがっていてとても驚いたことを覚えています。
また、6月のスタプラ研究生のワンマンライブでは、特に姉組のパフォーマンスに驚かされました。
15人のスタプラ研究生はカッコいいもかわいいも出来るすごいグループでした。
姉組が披露した「物語はここから」がめちゃくちゃカッコよかったです。
"るりりり"のパフォーマンスは本当にすごい。
(その後、るりりりは新グループRE-GEのメンバーとしてデビューしました。ちょっと寂しくなるけど、おめでとう。)
ここからなんやかんやありまして、8月のZeppダイバーシティワンマン。
DJコラボの二部はバカみたいに跳び跳ねました。
3B時代の曲がRemixされていて、そこで他のオタクに「頑張れ!」と言われぴょんぴょん跳び跳ねたことを覚えています。
メンバーがパフォーマンスしたわけではありませんが、久しぶりに3Bの曲が光を浴びたのは素直に嬉しかったな。
この時のライブは久しぶりに沸き上がることが出来てとても楽しかったです。
お盆明けに無理して来てよかったと思いました。
ちなみに、2025年は財政の悪化が著しく、正直なところあまり楽しい1年間ではありませんでした。結構辛かった。
8月からしばらく、どこにも行った記憶がないのも当たり前で、3ヶ月くらいオタク活動を休止してましたからね。そりゃ記憶にないわけです。
夢がまとめて叶う日
私には小さな夢がありました。
ひとつは3B juniorに静岡に来てもらうこと、もうひとつは自分の運転で現場に行くことでした。
まぁ、3B時代にそれが叶うことは無かったわけですが(解散時点で私は17歳でしたからね)、漠然と来てほしいなと思っていました。
(※3B jrそのものはエコパアリーナで行われた"桃神祭2015"の外周や本編に出演していたので、静岡に来たことが無いわけではありません。単独で来て欲しいと思っていたという意味で捉えてください。)
この来てほしいなという願いは「近所に来てくれたら行きますわ」みたいな結局行かない奴ではなく、「もし来てくださることがあれば大変幸甚に存じます」という意味であり、高校時代から時々東京に行っていたので許してほしいと思います。
それに、地元に推しが来て嬉しくない人は居ませんよね??
2025年10月23日、AMEFURASSHIが12月20日に静岡でフリラをしてくれるという発表がありました。飛び上がりそうなほどうれしかったことを覚えています。
手当たり次第に知り合いに声をかけて、いろんな人を誘いました。
(結局みんな都合がつかず、せっかくなので母を連れて行きました)
迎えた当日、私はその2年前に手に入れたレガシィを走らせて、磐田へ向かいました。
いつもの顔が静岡に居ることがとても不思議でなりませんでした。
2024年以来2度目となる母と行くアメフラ現場。
(母が初めてアメフラを見たのは24年10月のことです。当たり前ですが、2018年以降は長いこと一緒には行っていませんでした。)
「どうしても行きたいけれど行き方が分からない。連れて行ってほしい。」と言っていた少年が時を経て「県内だから一緒に行こうよ、運転するよ。」となったのは、なんだか漠然とこれって人生だなと思います。
そして、その対象が同じ人とくれば、こんなに嬉しいことはありません。
懐かしい曲をセトリに組んでくれたこともとても嬉しかったです。
アンコールライブのラストに持ってきたのは「フロムレター」でした。
泣きましたよ、ええ。
もう二度と会えないことを覚悟したグループのライブに、恋焦がれながらも一度手に入れることを諦めかけた車で行くことができる...、そして、推しが地元に来てくれている...。
会えないと思った過去も、買えないと思った過去も、そこら辺のことを全部ひっくるめてのこの喜びは、そう簡単に伝わるものではないと思いますし、簡単にわかってほしくないとも思います。
嬉しくて仕方ありませんでしたし、なんだかんだ好きで居続けて良かったと心の底から思いました。
8年抱き続けた夢は、この時ついに現実になったのでした。
この時の私のレガシィは単なる乗用車ではなく、私にとってのタイムマシーンでした。
当時16歳だった私が3Bにハマった8年前から、ずっとずっと念願だった静岡でのイベント。
— ズッキィ (@Zukkiehcc) December 20, 2025
グループ名は変わってしまったけど、やっと念願叶いました。
ほんと、来てくれてありがとうね😊#AMEFURASSHI #3Bjr #愛来#鈴木萌花 pic.twitter.com/msOL32zVU4
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ちなみにというか、母はアメフラが立派になったことをとても喜んでくれました。
「昔はボロボロの靴を履いていたのに、こんなきれいな衣装までちゃんとやってもらえていて良いね」とか、「若い子も女の子も増えたね」とか、そんなことを言っていました。
母は3B jrに通っていたわけではありませんが、昔を知る人の貴重な言葉として、ここに載せておきます。
私まで誇らしかったです。(私は何もしていませんが)
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▲ららぽーと磐田にて
思っていたことと、最悪の知らせ
ここまで読んでいただいた方はなんとなくお気づきだと思いますが、自分で書いていても、「なんか2024年の途中から熱量下がってね?」と思いました。
(このパートは半分愚痴です。気分を害したくない方は読み飛ばしてね。)
やっと2025年の途中の話まで書けたんだけど、なんかこうして改めて文章に起こすと24年後半あたりから昔に比べて明らかに熱量下がってんなと
— ズッキィ (@Zukkiehcc) February 8, 2026
よくも悪くも何回も現場に行けるようになったのもありそうだし、大人になって些細なことに感動しなくなったってのもあると思う。
このこともブログに書くか
あまりマイナスな話は書きたくないですが、この際だから話してしまうと、24年の途中からなんとなくすっきりしない思いを抱えていました。
じゃあなぜ現場から離れることをしなかったかと言われたら、ずっとAMEFURASSHIに期待をしていたからです。
例え建前的なところがあろうとも、私の主現場はあくまでAMEFURASSHIであり一番の推しは鈴木萌花さんでした。(事実、昨年14回の現場のうち7回はアメフラで、4回がスタプラ研究生、3回がばってん少女隊でした)
次はきっと楽しいのではないか、次はなにかもっとすごいものを見せてくれるのではないか、そんな期待がずっとありました。
それだけに、昨年8月のワンマンではやっとまたブチ上がることができて、それがとても嬉しかったことを覚えています。
そして、12月28日。それは突然やってきました。
風呂に入る前に何気なくtwitterをみていたら、川上氏のアカウントから解散のお知らせが。
目の前が真っ暗になりました。あんまりだよ、こんなの。
ある意味で、永遠みたいなものを信じていたのも事実です。
でも結局は永遠なんてないんですよね。改めてそれを感じました。
オタクなんてのは、デイドリームビリーバーでしかないのです。
しかもラストライブは3月なので、思っていた以上に時間がありません。はぁ...。
とりあえず、私は3月まで総力を挙げてアメフラに通うことにしました。
これは愚痴ですが、いつの間にやら流行の曲はTiktokに魂を売ったようなものばかりになってしまいました。
もう、良いパフォーマンスや良い楽曲で勝負する時代ではないのでしょうか?
(「良い」という言葉はあまりにもいろんな見方がありますが)
「このアルバムすごいんだよ、聴いてみて欲しい」とか、「ライブがすごいんだよ、一回来てみてほしいんだ」とか、そういう時代ではなくなってしまったのでしょうか?
ショート動画で楽しんで、曲もグループもいつの間にか記憶の彼方へ放り出される...、音楽をそういう楽しみ方をする時代になってしまったとしたら、それはとても嘆かわしいことだと思いますし、残念だと思います。
でも、Tiktokがきっかけでアメフラにハマって、ライブパフォーマンスにハマった人もたくさんいるので、一概にtiktokが悪とは言えませんけどね。
(とりあえず、私はTiktokが好きではありません。)
ライブに行き始めて気づいたのは、ライブは生モノだってことです。
一度でも良いから、きっかけがなんだってかまわないから、気になったグループのライブには行ってみてほしいです。
そこでしか抱くことのない感情がきっとあるはずです。
現地へ行くことでしか味わえない喜びがあるはずです。
推しの入魂の一回をぜひ見てください。その場に立ち会ってください。
ライブは生ものです。
そして、デイドリームビリーバーとして、思い切り現実離れした世界を楽しもうじゃありませんか。
あと、特に若い人は、私がそうであったように、その推しが自分とともに大人になって立派になっていく過程を見ることができるかもしれません。
そしてその推しは、何年たっても語ることができるほどのかけがえのない思い出を授けてくれるかもしれません。
何歳がアイドルオタクをしても構いませんが、若いときに出会った推しはきっと格別で、代え難い存在になります。場合によっちゃアイドル側からしてもかけがえのない存在になることだってあります。(私の場合は相当なレアケースだと思いますが)
変な話、お金がなくてたまにしか会いに行けなくたって良いんですよ。
例え時々でも、推しはきっとあなたのことを待っていてくれます。
必ず優しく迎えてくれます。
あれ??私は何を書こうとしてたんだっけ???
私の今後
鈴木さんがどう動くのかもわからない以上まだ未定ですが、今のところはアイドルオタクから完全に足を洗うつもりはありません。
スタプラ研究生のライブが楽しいので無理に足を洗うことは無いと思いますし、時々観に行けたらよいなと思っています。
まとめみたいななにか
感謝の言葉を述べたいと思います。
鈴木萌花さんへ
出会ってくれてありがとうございます。
結局昔から今に至るまで、回数的にはそれほど会いに行くことはできませんでしたが、あなたに会える週末の為に仕事を頑張っていると言っても過言ではありません。
あなたは私にいろどりを与えてくれる大切な存在です。
そして、あなた以上に熱量を注ぎ、心の底から幸せを願うアイドルにはこの先出会えないと思います。
いつも優しく迎えてくれてありがとう。その優しさに私は何度も救われました。
願わくば、今後も萌花ちゃんの歌声を聴き続けることができたら幸せです。
ずっとずっと、私の一番だからね。
愛来さんへ
この道に踏み入れるきっかけはあなたでした。
あの頃のときめきは、今でも忘れることのないとても素敵な思い出です。
3B juniorやAMEFURASSHIを通じたすべての素敵な出会いは、すべてが愛来ちゃんとの出会いから始まったと言っても過言ではないでしょう。
笑顔の裏ではきっと多大なご苦労をされてきたと思います。
本当に、ありがとうね。
すずたかさんへ
一時期はお別れかと思いましたが、こうしてご縁が続いていて嬉しいです。
一緒に飲めるようになって嬉しいと言っていただいたのがとても嬉しかったです。
歳も経歴も何もかもが全く違うだけに、いつもして下さるいろいろな話はとても興味深く聴いております。また飲みに行きましょうね!!
きらさんへ
いつも私に構ってくれてありがとうございます。
いつも変なことばっかり言っている私の取り扱いには苦労されているかと思いますが、お兄ちゃん(非公式)として今後とも何卒よろしくお願いいたします。
連番誘ってくださるの、ほんとに嬉しいですよ!!
スタプラ研究生も観に行きましょうね!!
妹ちゃんたち(スタプラ研究生の妹組の皆様)へ
いつも楽しいステージをありがとうございます。
「スタプラ研究生のライブが観たい」という建前で行った先日のフリーイベントは、実は寂しさを埋めてほしかっただけかもしれません。
でも、元気いっぱいな皆様の姿ととても楽しいライブのおかけで心の寂しさはだいぶ埋まり、元気をいただくことができました。
新カバー曲の「コノウタ」、めちゃくちゃよかったよ。
もう少し頑張れそうです。これからも時々お邪魔させてね。
母へ
まぁ、ちょっと車を走らせれば会えるのですから、わざわざここへ書く必要はないかもしれませんが、照れくさいのでここに書くことにします。
あの時、私を現場へ連れて行ってくれてありがとうございました。
私はそれによってずいぶん救われ、巡り巡って素敵な推しと、好きを語り合える素敵な仲間たちに出会えました。
詳しいことは私が酔った時にでもお話します。いつもありがとう。
こんなに長いブログを書いたのは初めてのことです。
長々と読んでくださりありがとうございました。
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注釈
①タイトルの「あの頃僕らは」は、BOØWYのベースだった松井常松さんのシングル表題曲から拝借しました。楽しかった日々もいつか昔話になるときが来るんですね...。


