意識が戻ってからは、正午前後に日課の点滴をうち、ルナが飲みたいときには経口補水液も飲ませ(自力でのむときもあれば、《吸飲み》がわりにドレッシングボトルを使い、口の中に入れてやることもあった)、食べれるときには流動食も口にし、外に出たいと意思表示をすれば、すぐに連れ出してやっていた。
それでも鼻出血は止まらず、量は増え続ける一方で、薬の効き目もごくごく限定的となっていた。
28日、翌日に到着する次男一家の受入れと、滞っていた引越し荷物の片付で、ルナの看護スペースが設けられたリビングのコーナーまわりで、あわただしく時を過ごしていた。
いつも私が物をせっせと片付け始めると、その後には数日不在となることがいやというほどわかっているルナは、忙しくたち働く私に、悲しげな視線を投げかけていた。
でもそれ以外には、日課の点滴でも、水分補給でも、排泄でも、鼻血の処置でも、ここ数日同様、特段の異常はなく、ふたたび安定期に入ったかのような気もしていた。
28日の夕方には、排泄から戻った後、初めて軽い痙攣発作が起きたが、それも、ごく短時間の一回きりで終わり、その後は発作を繰り返すこともなかった。
ただ、ついに全身痙攣を起こしたこと、そして止まらぬ大量の鼻出血は、当然ながら、尋常ではない、とは思っていた。
執拗な鼻出血でよほど辛かったのだろう。その夜も、荒くて苦しそうな呼吸を続けながらも、それ以外には特に異常はなく、無事に29日の夜明けを迎えることができた。
いよいよ次男一家が到着する日だ。
早朝から相変わらずバタバタと動きまわる私の姿を目で追っていたルナ
ところがふと気づくと、完全に自力で立ちあがり、テラスに出ようとしていて、網戸のところまで歩いて行っているではないか。
あわてて網戸をあけ、テラスに出してやった。
そしていつものように娘が下半身を軽く支えながら、裏庭に連れ出した。
裏庭に出るためには、テラスが切れたところの階段から、かなりの段差を乗り越えなければならない。
娘は、素足のまま、ルナを抱きかかえて、すぐ近くの、ルナのいつもの排泄場所まで出そうとした。
ところがルナは、よほど我慢していたのか、初めて、娘に抱きかかえられたまま、小水を漏らしてしまった。
それでも、いつもの排泄場所にたどりつくと、そのまま続いて無事最後まで時間をかけて排尿を終えることができた。
その後は、これもまたいつものように、下半身から崩れ落ちたが、娘がかたわらでルナを見守りながら、そのまま木陰で涼ませることにした。
空港への出迎えのタイムリミットが迫る中、一足先に家の中に戻った私に、娘の嬉しそうな声が響いてきた。
今度は、自力で排便できたというのだ。
22日に倒れてから、一週間ぶりの排便だ。
それも、とてもきれいなウンチだという。
この上ない吉報に思われた。
そのまま、ルナに気づかれないように、そっと家を出るからと娘に伝えて、車を出した。
予定していた朝7時を5分ほどまわっていた。
次男一家の飛行機は9時過ぎに到着する。急いでとってかえせば、11時過ぎには戻れるはずだ。
子供が大好きなルナ、赤ちゃんに会えたら、また生命力を盛り返してくれるかもしれない。
ひたすら空港に向かって、車を走らせた。
途中で、朝食代わりにとわざわざ用意しておいた飲み物を自宅に置き忘れたことに気が付いた。
7時50分頃、山越えの最中に、携帯が鳴った。娘からだ。
飲み物、忘れたでしょ、という連絡だと思った。
ところが、娘が何を言っているのか、まったく聞き取れない。
山の中で、電波が充分に届かないせいもある。
車を道路脇によせて止め、なんとか聞き取ろうとした。
娘は、電話口で泣きじゃくっていた。
ルナが死んじゃった
何をやっても、生き返らせることができなかった。
ルナが死んじゃった.....
私が家を出た、つい50分ほど前までは、元気だったのに....
にわかには、信じがたかった....
どうしたらよいのか、わからなかった。
家にはルナと娘だけだ。とってかえすべきかとも思った。
娘が言うには、ルナは、私が出かけた気配を察するとすぐ、裏庭から家に戻りたがったという。
娘に抱きかかえられたまま、テラスから、私が乗った車が出ていくのを、ずっと見送っていたという。
その後、リビングのベッドに戻したところ、ベッドの上で、しっぽをあげて排泄したという。
きれいにしてやったら、その直後にも、再度しっぽをあげて排泄したという。
そして、そのまま、こときれたと....
娘はあわてて、発作時のためにもらっていた座薬を挿入し、心臓マッサージをずっと繰り返したとが、何をやっても、息を吹き返してはくれなかったという。
私は、ルナに外出を悟られないように、ルナに別れも告げずに、家を出てしまった。
ファイナルカウントダウンが始まっていたことは、もしろん百も承知だった。
当然のことながら、何としてでも、ルナの最期は自分自身でみとるつもりでいた。
それなのに、彼女は、一人で逝ってしまった。
私をおいて... お別れもせずに....
その場にどれくらい車を止めていたのか、はっきりと覚えていない。
次男の携帯にも電話したが、すでに搭乗手続きに入っていたのだろう、携帯はつながらなかった。
結局、家に引き返すことなく、空港に向かった。
駐車場に車をとめ、出迎えのゲートを探していたところに、次男から電話がかかり、もう着いているという。
すぐに合流できた。
次男は開口一番、ルナは大丈夫かと尋ねた。
その場で私は、人目もはばからず、泣き崩れてしまった。

次男は、私に空港までの出迎えを頼んでしまったことを、とても、とても、悔いていた。
8月31日未明の台風では、その前の週に当地を立て続けに直撃した三つの台風のどれよりも猛烈な雨と風が吹き荒れた。
新居のガラス窓はびりびりと悲鳴をあげ、屋根が吹き飛ばされるのではないかと不安になるほど、家自体も揺れた。
ルナの死を、着工時からルナにずっと見守られながら完成した新居までもが悼んでいるかのようだった。
葬儀は、この日きゅうきょ駆けつけた長男を待って、移動火葬車を手配、自宅敷地内で全員に見守られて、荘厳に執り行なった。

いつも、どこでも、自分からは決して私のそばを離れようとしなかった、笑顔がとっても似合った、誰からも愛されたルナは、いなくなってしまった。
病気が判明してから一年余。
苦しい治療に耐え続けたルナ。
この一年余の最後の闘病生活...
それがルナにとって本当によかったのかどうかは、私にはわからない。
私にわかっているのは、
最期の最期まで、ルナは、何もあきらめなかったこと。
最期の最期まで、ルナは、がんばりとおし、ルナであり続けてくれていたこと。
ルナ、
あなたは、自分から私を選び、私のところに来てくれた。
それから一度も私から離れることなく、いつもずっと私のそばにいてくれた。
ルナ、
あなたは、本当に優しい子で、美人さんで、お利口さんで、気が利いて、どこにいっても自慢の、私の最愛の娘でした。
あなたは、私にいつも愛と勇気を分け与えてくれた。
ママは、やっぱり、淋しいです。淋しくってたまらない。
あなたに、してやれなかったこと、がまんさせてしまったこと、淋しい思いをさせたことがあり過ぎて、悲しくってたまらない。
本当に長い闘病生活、どれだけ苦しい思いをさせてしまったことか。
それなのに、ママを少しでも悲しませないようにと、何度も何度も危機を乗り越え、最期まで、音をあげずに頑張ってくれた....
今はもう苦しくないかな ?
アイちゃんには、会えたかな ?
アイちゃんは、ジョーと仲良くやっている ?
最後にもう一度、ママを選んでくれて、ママに有り余る愛情を注いでくれて、ありがとう。
ママも、ルナと一緒に暮らせた月日、本当に幸せでした。
ありがとう、ルナ
