【アラブの春】エジプト唯一の文民大統領モハメッド・モルシが、亡くなりました。
2011年「アラブの春」の流れは、エジプトにも影響を及ぼし、軍事政権ホスニー・ムバラク大統領に辞任を求めるエジプト革命は瞬く間に、エジプト中へ広がっていきました。1月25日に始まったエジプト革命は、ムバラク大統領の2月11日の辞任によって、30年間に及ぶ独裁政権に終止符が打たれました。
その後、エジプトでは初の民主的な選挙が行われ、決選投票でモスレム同胞団出身のモハメッド・モルシ大統領が、エジプト初の文民大統領に選出されました。
モハメッド・モルシ
・生年月日:1951年8月8日
・学歴:カイロ大学工学部卒業 アメリカの南カリフォルニア大学の工学博士号取得
・エジプト大統領任期:2012年6月30日から、2013年7月3日まで。
モハメッド・モルシ元大統領は、エジプト民主化後初の大統領に選出されたものの、イスラム主義を枠組みとした統治を進めようとしたため、世俗派のモハメッド・エルバラダイやハムディン・サッバヒなどから、強い反発を受けました。
当時のエジプトは、革命後という事もあり民衆の色々なグループが個々の要求を掲げて常に小さなデモが引き起こされ問題が絶えない日々でした。モハメッド・モルシ元大統領は、そのようなデモを起こすグループにも就任当初は、寛容に接していましたが、相次ぐ政権批判やデモに対して、強い姿勢で臨むようになっていきました。
政権後半には、イスラム主義を基本とする新憲法を制定しようとしますが、大規模な反政府運動が起こり、2013年7月にその政権担当能力を疑問視したエジプト軍国防大臣アブデル・ファッターハ・シーシーにより、身柄を拘束されて解任させられました。
これは、軍の介入による政権奪還で、事実上のクーデターとみられていますが、アメリカはエジプト軍を支援している手前クーデターと言うのを控えています。(アメリカの法律ではクーデター国家を支援できないため)
その後、モハメッド・モルシ元大統領は、複数の罪による裁判にかけられ、死刑判決が下った裁判もありますが、裁判が継続され拘束中の身でありました。そして、2019年6月17日、裁判の法廷で審問中でしたが、檻の中で倒れて病院に搬送され死亡が確認されました。67歳でした。
【アラブの春】エジプト革命は、何だったのか?
エジプト国民は、ようやく手に入れた、民主的な政権を反対派に押されるような形で軍部に上手く利用されてしまい、モハメッド・モルシ元大統領を解任してしまいました。
現在のシーシー政権は、事実上の軍事強権政治体制で、民主主義を無くしてしまいました。今のエジプトは、ムバラク元大統領の時よりも政権の統制が厳しくなっていると言われています。
モハメッド・モルシ大統領が、気に入らなければ4年の任期を我慢して、次回の選挙で他の候補に投票する事も出来たはずです。残念ながら、民主化によって欧米諸国のような生活や富を、早急に求めたエジプト人には、モハメッド・モルシ元大統領の改革では、時間がかかって待ちきれなかったのでしょう。
しかし、その後誕生したシーシー政権の強権政治や、エジプト経済低迷の長期化、エジプトポンド安など、庶民の暮らしや統制は一層の厳しさを増し、現在のエジプトでは、貧困による犯罪が以前にも増して増え続けています。
イスラム教徒にとっては、聖日の金曜日21日は、モハメッド・モルシの弔い合戦とも言われかねない大規模なデモが予測され、エジプトでは厳戒態勢が引かれています。
同日、開会式を迎えるサッカーのアフリカン・ネイションズカップが、エジプトで開催されるため、群衆の集まる所には、多くの警察官が配置されることでしょう。
何人もの民衆の血が流された、あの革命は何だったのかと考える時、民主化とは本当に難しい問題で、そう簡単に手に入れられるものではない事に気づかされます。
モハメッド・モルシ元大統領のご冥福をお祈りいたします。日本の民主主義は、守っていきたいですね。