そろそろ本題に入ろう。

 

ジャニーズ問題を見てもわかるようにマスメディアはサーカスの興行の延長でしかなく、タレントと漫才師とドラマで、手軽な快感と嫌悪感を消費者に与える道具でしかない。

 

いかにも正義ヅラした報道とは、幕間の時事漫談レベルで、本質に迫る報道など見たことがあっただろうか。所詮、彼らも経済活動であり、真実の追求と言っても、自主規制や忖度が働くタブーだらけの世界なのだ。

 

しかし、その現象はマスメディアだけでなく、我々の周り全てがフラクタル(同現象)ではないか。

 

表の話と裏の話は、何も芸能界だけではない。そして、それをネタに繰り広げられるワイドショーと報道にも表と裏があり、政治の表裏、経済の表裏もどっぷりで、この社会がある。

 

平和のためだという戦争では、世界規模の金持ちたちが西と東に相場を張り、どっちに転ぶかで値踏みする。マスメディアも片棒を担ぎ、西と東で報道合戦。裏ではマネーがじゃぶじゃぶ。それがこの世なのだ。

 

さて、目の前で起こっているその現実には二つの側面があることは当然だが、それを俯瞰(ふかん)して考察する三つ目の立ち位置があることはご存知だろう。

 

そこからこの社会を見たとき、映画マトリックスのデジタル仮想世界と同じに、私たちはマネー仮想世界の中にある。

 

マネーとは単なる紙幣でもなく、硬貨でもなく、金(キン)でもなく、米でもない。その時代時代に仕組みとして作られた約束でしかない。

 

約束なんて、守る奴もいれば守らない奴もいる。しかし、守らない奴は仲間になれないし、悪くすれば犯罪者として扱われるので、そこが信用の担保となる。

 

目の前のすべてのものが、この約束で縛られている。例えば、住んでいる家、水道光熱費、スマホ代から、食費やその他生活に関わるすべてのものが、マネーという約束で支配されているということを、まずは理解してほしい。

 

では、この約束を誰が作ったのか。自然発生的な物々交換の延長となる原始貨幣制度は別として、現在の金利連動型貨幣制度、つまりは金融は複雑怪奇な反自然現象である。

 

農作物や食品は、古くなれば価値が下がるが、金融の世界では価値が保証され、持つものから持たざる者に融通する上で、金利というものが設定される。では、この金利とは何なのか。

 

生み出される利益によってその金利が生じると表向きには言われているが、自然の摂理に永遠の成長などあり得ない。いつしか辻褄が合わなくなり、金融システムの破綻が見えてくる。

 

話は変わるが、北海道では農家が借金を返せなくなると、自死して保険金で返済するという都市伝説があるが、まさに同じことが世界規模で起こっている。

 

戦争が起こり、街が破壊され、人が死に、古い武器が消費され、新しい武器が作られ、マネーが武器産業に流れ、その金が戦後の再開発で膨らみ帳尻が合うことによって、金融界の破綻が防げる仕組みは、その昔、大恐慌後に起こった戦争と同じなのだ。どこかで帳尻を合わせなければ、マネーの約束は継続不可能なのである。

 

まさに文明の自転車操業で、同じマトリクスが繰り返されている。そして犠牲になるのは死者だけではない。高い金利で貧乏人を餌食にするローンしかり、サラ金しかり。これら資本力の無い人間が犠牲になる資本主義の根幹は、彼らを約束の鎖に繋ぐ奴隷制度なのだ。

 

まさに、ジャニーが少年たちの生気を吸うが如く、金融の世界では金持ちが貧乏人の血を吸って生きながらえている。そして、この仕組みを薄々知っていながらも、見て見ぬ振りをする私たちの姿は、ジャニーズ問題とも重なる。

 

では、このマトリクスから抜け出すのかといえば、そうではない。いや、そのようなことはできるわけもなく、私たちの社会はマネー無くして動かない。では、俯瞰した第三の考察では、どういう未来を見出そうというのか。また、誰がこのシステムを作ったのか・・・

 

それは、次回のお話にしよう。