2025年3月2日に最愛の母が亡くなって今日でちょうど1ヶ月。。
死因はコロナ感染による急性肺炎。
事の発端は2月24日が祝日だった月曜の朝に遡る。
9時34分に親父から最初の電話がかかった。
ちょうどその時僕はベットで横になってスマフォを弄ってた時だった。
仕方なく電話に出た直後に親父が『LINE見た?LINE見た?』と繰り返し聞いてきた。
いちいち何事やと思って仕方なく言う通りに一旦電話を切りすぐさまLINEを確認した。
なんか嫌な予感はしてたがまさにうちのおかんがいま大変な状況になってることを初めて理解した。
ちなみに両親とは離れて暮らしてるのでもちろん親父から電話がかかってくるまではまさかそんな大変なことになってるとは知る由もなかった。
改めて親父に電話で確認してみると母に異変が起きたのはまさに極寒だったであろう早朝で風呂から上がった直後。
しかもこの日に限って何故か暖房が入ってない冷え切った脱衣所で裸のまま手足が動けなくて、親父が助けを求める母の所へ駆けつけて服を着させようとするが全く着れないので毛布に包ませベットへ避難し救急を呼んだのだと。
病院で検査した結果では脳に異常がなかったことが先ずは不幸中の幸い。
原因はただの低体温症だった。
まあこの時は命に直結するような事でもないからきっと大丈夫やろとどこか安心しきってた自分がいた。
しかし入院して2日後の26日水曜におかんがまさかのコロナ陽性になったことを知らされこれには驚いた‼️
これまで母はコロナとは無縁の存在と思わせるくらい今まで一度も感染したことがなかったのに信じられなかった。
なんなら今まで風邪とかインフルにすらかかった事がなかったくらいなので今回運悪くコロナに感染してしまったのは少しショックだった。
運悪くコロナに感染してしまったせいで入院期間がさらに延びてしまい気の毒に思えたがまあ母ちゃんのことだし免疫も強いほうだし時間かけて快方に向かうはずであろうと信じていた。
しかし2日後の28日の夕方4時過ぎのこと。
ちょうど会社の事務所でパソコンしてる時に私のスマフォから着信音がデカく鳴り響いた。
電話番号を見て市外局番で地元の病院だなと察しすぐさま事務所を出て更衣室に向かい恐る恐る電話に出た記憶が鮮明にありあの恐怖は今でも忘れられない。
看護師から血圧がかなり下がって危ない状況なのですぐに来れないかという連絡だった。
え?嘘やろ!?
もうそれは頭が真っ白になった。
しどろもどろになりかけたが手の施しようはないのか聞いたのを覚えてる。
看護師もかなり切羽詰まった感じで早く来て欲しいとの一点張りだったので質問攻めは諦めなんとか夜行くようにしますと答えた。
悪い夢でも見てるかのようで泣きそうにも泣けないし絶望の淵に立たされた感覚に陥った。
看護師が僕の携帯にかけたのは親父にかけても繋がらなかったので身元保証人の息子にかけてきたのだろう。
この日は月末だったこともあり定時で仕事が終えれたので助かった。
それはもうおかんのことで頭がいっぱいだった。
帰る途中に親父に電話するとようやく繋がってすでに病院に向かっていた模様だった。
僕も本来ならとんで帰るべきだったが精神的に参ってしまいでもまだどこか母の復活に期待していた。
医師に問い合わせても人口呼吸器に繋がれ回復は難しいと言われたくらいだから絶望真っしぐら。
親父にも危篤状態だと言われたくらいだから。。
信じられない今度は流石に息絶えてしまうのかおかん。
一生忘れることのないおかんが急変した2025年2月28日。
そして3月2日日曜の13時半過ぎにまた病院からすぐ来てくれとの連絡があり急いで親父に連絡し病院に向かわせた。
最後の最後の望みにかけ祈ったが叶わず。
3月2日14時半、母は3日間に及ぶ懸命な療養の末息を引き取りました。
享年63歳
母の最期がコロナによる肺炎。
まさか肺炎が重症化していくなんて夢にも思ってなかったのだからおとぎ話みたいだ。
母が亡くなってもう1ヶ月。
この1ヶ月はいろんな展開が起こりすぎて時間の流れが早すぎて気づけばあっという間に4月に突入してしまい信じられない思い。
まだどこか未だに母の死を完全に受け入れられてないので辛い。
葬儀から相続手続きに毎週末実家に帰省しては郵便物の整理や遺品整理に追われて仕事と並行してとにかく今が一番しんどい。
早くこの辛さから解放されたい。
とにかく母の死は大きな損失である。
2月15日に30歳迎えたばかりに一度も会えずに旅立ってしまったのはほんと悔しい。
これほど胸が張り裂けるほど計り知れない悲しい経験をするのは初めてで時より自分が何者なのかが分からなくなる。
やっぱし2025年に入っておかんが生きてる間に一度も帰省しなかったことはとにかく後悔がでかい。
こうなるって分かってたらもっと側に寄り添うべきだった。
もっと母の健康面に気を向けるべきだった。
1ヶ月経った今でも母のことで毎日四六時中仕事の時でも頭から離れられずにいて後ろめたい気持ちで心苦しい。
これから僕は幸せの道を歩めるだろうか。
結婚もしたいし子供も授かりたい。
母が生きてる内に結婚もして孫を見せてあげたかっけどその夢が叶わないまま早くに旅立ってしまい虚しいものだ。
今はただ常に母の事を想うことばかりでもう辛い日常を過ごすことになるが前向きに頑張るしかないのだ。