真木よう子、韓国進出に向けての
反日行動で韓国メディアに韓国大好き
アピール!
韓国併合ニ関スル条約
1910年に発効した条約 韓国(大韓帝国/中国の属国)皇帝が、ロシアの南下軍事政策で、
ロシアからの進攻、占領、植民地化を恐れ、隣国の近代工業化に成功して、屈強な軍隊を持つ
大日本帝国、天皇陛下に救いを求めて韓国を助けてくれと、頭を下げ併合に至る条約
李氏朝鮮
大韓帝国
朝鮮総督府
韓国併合ニ関スル条約(かんこくへいごうにかんするじょうやく、朝: 한일병합조약)とは、1910年(日: 明治43年 / 韓: 隆熙4年)8月22日に漢城府(現ソウル特別市)で寺内正毅・統監と李完用・総理が調印し、同年8月29日に裁可公布して発効した「韓国皇帝が大韓帝国の一切の統治権を完全かつ永久に日本国皇帝(天皇)に譲与する」等の内容を規定した条約である。
「韓国併合ニ関スル条約」に関する李完用への全権委任状には
大韓帝国の内閣総理大臣李完用の名前や、最後の皇帝純宗の諱である坧の署名が見える。
大日本帝国は、この条約に基づき大韓帝国を併合した。通称は「韓国併合条約」や「日韓併合条約」。韓国では「韓日併合条約(한일병합조약/韓日倂合條約)」と呼ばれている。
調印された条約文書、並びに明治天皇と純宗がそれぞれの国に発した勅諭は、大韓民国・ソウル大学の奎章閣に保管・展示されている。
条約公布に際し大韓帝国皇帝(純宗)が公布した勅諭
朝鮮語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。
朝鮮王朝実録/純宗実録/3年 |
- 勅諭 邦訳
- 皇帝、若(ここ)に曰く、朕否徳にして艱大なる業を承け、臨御以後今日に至るまで、維新政令に関し承図し備試し、未だ曽て至らずと雖も、由来積弱痼を成し、疲弊極処に至り、時日間に挽回の施措望み無し、中夜憂慮善後の策茫然たり。
- 此に任し支離益甚だしければ、終局に収拾し能わざるに底(いた)らん、寧ろ大任を人に託し完全なる方法と革新なる功効を奏せいむるに如かず。故に朕是に於いて瞿然として内に省み廊然として、自ら断じ、茲に韓国の統治権を従前より親信依り仰したる、隣国大日本皇帝陛下に譲与し、外東洋の平和を強固ならしめ、内八域の民生を保全ならしめんとす。
- 大韓帝国皇帝勅諭「朕は即位以来あらゆる努力をしたが朝鮮の病は悪化する一方で、極限に達し、もう打つ手は無い。そこで朕は朝鮮の統治権を日本の天皇陛下に譲渡することを決意した。国民は日本の優れた文明に服して幸福を享受せよ」隆熙4年(1910年)8月29日 御名御璽
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百害あって一利なし=日韓併合
売国奴は、朝鮮半島へ帰れ!!